第4話 ゼルスの王女3

 月に一度の王家の晩餐の席は決して家族の団欒のひと時という空気ではない。国王の座する晩餐室はある種異様な空気に包まれる。


 長い晩餐用のテーブルに着くのは国王夫妻と子供たち三人のみ。


 かちゃかちゃとナイフとフォークを動かす音が聞こえるのみで、時折王太子であるアンゼルムが王に話しかけている。政治の話に彼は時折「ああ」とか「うむ」などと返すのみ。


 昔は王妃であるイースウィアもあれこれやと話題を提供した。しかし、王は王妃の言葉に返事をすることはなかった。いつの頃からか王妃は王へ話しかけることを止めてしまった。その代り、王は気まぐれにエデルに話しかける。受け答えが満足にできないと王は失望し、それからエデルの教育係を解雇する。または王妃に対して軽蔑の眼差しを向ける。


 そのたびにイースウィアは隠れてエデルを苛める。

 毎度そのような調子なのに、今日は違った。


 王はなんと、エデルではなく姉のウィーディアに視線を向け話しかけた。


「ウィーディア、おまえの結婚が決まった」


 食事の皿が全て下げられたときのことだった。突然に名指しをされたウィーディアは一瞬呆けた顔をした後に、頬を上気させた。


「まあ。お相手はどこですの?」


 ウィーディアは嬉しそうにゼルスから見て西方の国々の名前を挙げていく。もちろん彼女の中で王家に嫁ぐことは規定事項である。ゼルスの王の娘として生を受けたのだから、己が嫁すのは王家の、それも王位を約束された男のみ。


「オストロムの国王、オルティウスの元だ」


 次の瞬間、ダンッとテーブルを叩く音が聞こえた。

 ウィーディアが両手を握りしめ真下に振り下ろしたからだ。その身が小刻みに震えている。


「お父様! わたくしは、あんな……あんな蛮族の元に嫁ぐためにゼルス王家に生まれてきたのではありませんわっ!」


 金切り声が豪奢な晩餐室に響き渡る。


「文句なら私ではなく、そこの王太子に言え」

 王は晩餐の席に同席する息子にちらりと視線を向けた。

「なっ……」


 ウィーディアが小さな口を中途半端に開いた。

 ちなみに父王の息子であるところの王太子は屈辱そうに眉を持ち上げた。


「おまえたちも我が国がオストロムに敗戦したのは知っておろう。彼の国は賠償金と共に、ゼルスの白き薔薇と謳われる王女を妻にしたいと追加で要求してきた」

「な……」


 輝く銀色の髪に水晶のような透明感のある紫色の瞳。可憐で美しい顔立ちのウィーディアはゼルスの白き薔薇と讃えられている。その彼女は屈辱に顔を蒼白にした。


「追加……ですって。このわたくしを、まるで物のように」

「あなた! いくらなんでもあんまりですわ。あんな下劣な遊牧民風情に、わたくしの可愛いウィーディアをやるだなんて!」


 王妃イースウィアも堪らないとばかりに気色ばむ。

 王はじろりと妻に視線をやった。何を言うでもない王の冷徹な眼差しにイースウィアは瞳に怒りを湛えながらも口をつぐんだ。


「わたくしは嫌ですわ。あんな、あんな黒い狼とも言われる異民族の元に嫁ぐなど。わたくしは蛮族の元へ嫁ぐために淑女教育を受けてきたわけでも、美容に気を使ってきたわけでもありませんわ」


 ウィーディアはめらめらと瞳を怒りで燃え上がらせていた。


 東の隣国オストロムは建国二百年ほどの若い国だ。大陸は東へ行けば行くほど文明とは程遠い生活習慣を残していた。平原を馬で駆け、狩猟をしながら移動天幕で生活をする民族。彼らはやがて大きな部族へと発展し、そして西側諸国を真似て畑を耕し定住をし始めた。それがオストロムの始まりで、彼らは国としてまとまり、今の王家の始祖が国の名をオストロムと定めて約二百年。


 今ではすっかり国として成熟した彼の国の王都は西方諸国とそん色ないとエデルの耳にも入ってくる。しかしゼルス国内ではオストロムを軽視する色の方が濃い。それはウィーディアの反応を見てもよく分かる通りだ。


「しかし決まったことだ。臣下らも承認した」

 王はなんの関心も示さず淡々と事実のみを口に乗せる。


「お兄様のせいよ! お兄様が負けるからいけないんだわ!」


 ウィーディアは怒りの矛先を兄へ向けた。


 王太子はきれいに整った眉を持ち上げ、「あれは……」と言いよどむ。王都に援軍を頼んだのだが、ゼルスの王はそれを承認しなかった。それなりに多くの兵を割いたからだ。結果王太子の経歴にケチが付いた。土地の割譲と賠償金。そのことを持ち出したいが、王太子にはまだ国王である父に真正面から対峙する気概がない。


「とにかく、そういうことだ」


 王が侍従に食後の酒を持ってくるよう命じた直後、ウィーディアが「そうだわ!」と再び声を上げた。先ほどまでの悲哀の色はかけらも残っていなかった。


「わたくしではなく、そこのエデルに行かせればいいのではなくって。だって、オストロムはゼルスの白き薔薇を所望したのでしょう。わたくしを名指ししていないのであれば、エデルであっても問題はないはずだわ。むしろ、名前くらい差し上げてもいいくらいよ。蛮族の妻など、そこの娘(エデル)で十分事足りるわ」


 娘の発言に王がこちらを向いて、エデルの心臓が大きく跳ねあがる。


 突然のことに頭がついていかなかった。

 まさか。胸の鼓動が大きく高鳴る。


「ねえ、お父様。この子には蛮族の妻がお似合いだわ」


 ウィーディアは愉快そうに瞳を細めた。兄と王妃は口をはさまない。父王はウィーディアとエデルを順番に睥睨した。


「ゼルスの王女がオストロムに嫁するのであれば、私はどちらでも構わぬ」

 王は食後酒には手を着けずに席を立ちあがった。

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