第3話 ゼルスの王女2

 エデルは自分のお腹を両手でさすった。


(夕食は……ちゃんと食べたいな……)


 王妃とウィーディアはエデルを下女として扱う。王は忙しく、また妻と娘に無頓着だ。王と対面するのは月に一度の家族の晩餐の時のみ。この時、エデルは王の気まぐれで質問をされることがある。内容は様々だが、王はエデルが王女らしい教育をきちんと施されているか確認をする。


 昔、まだエデルが小さかった頃、母と引き離された彼女は今よりももっとひどい目に合わされていた。粗末な衣服に、食事は与えられても数日に一度のみ。かろうじて生かしてやっているという扱いを見咎めた王は王妃を叱責した。


 王女として育てよ、という言葉を忘れたのか、と。そして側仕えの者たちは見せしめのために罰を与えられたり解雇をされた。


 それ以降エデルは表面上は王女として育てられている。しかし、王妃とその子供たちの鬱屈が消えたわけではない。


 エデルは空腹を抱えてふらふらと歩き始めた。

 厨房に行けば何か余っていないだろうか。


 料理番は気のいい人で、王妃と彼女の手下である女官らに見つからないように食べものを恵んでくれることがある。王女として、一見すると上等なドレスに身を包んでいるのに空腹を抱えて厨房まで物乞いのように現れる彼女を、彼らは同情の眼差しで見つめてくる。


「エデル王女殿下」


 とんとん、と外テラスへと続くガラス戸が叩かれた。横に顔を向けると、外に騎士が一人佇んでいる。


 エデルは近くのガラス扉を開いた。

 外は冷たい風が吹いていた。彼は寒い中わざわざエデルのことを探し、待っていてくれた。


「ユウェン様」


 兄の騎士でもあるユウェンだ。いぶし銀の髪に、薄い紫色の瞳をした優しい面差しの彼は、エデルに微笑みかけた。


「お茶会はもう終わったのですか?」


 彼は今日ウィーディアが主催するお茶の席に呼ばれていた。姉を崇拝する騎士の会ではあるが、姉がお気に召した騎士を侍らす席でもある。ユウェンはこの通り整った顔立ちをしているためよく姉に呼ばれる。


「ええ。先ほど」


 微笑みながらユウェンは騎士装束の上着のポケットから布包みを取り出した。見た瞬間にエデルの胃が切なく動いた。


「どうぞ」


 布で覆われたそれは菓子だった。焼き菓子の甘い香りに胃が空腹をさらに主張する。


「屋敷から持ってきたものです。よければご賞味ください」

「……いつも、ありがとうございます」


 エデルは礼を言った。


 同時に、気を使わせてしまうことにも申し訳なくなる。自分の窮状を、兄の騎士が知っていて、施しを与えてくれる。複雑な心境ではあるが空腹を抱えたエデルにとってバターをたっぷりと使った焼き菓子は喉から手が出るほど魅力的だった。


「いいえ。もっと、目に見える形で助けて差し上げることができればよろしいのですが……。先の戦争で我が国ゼルスは負けてしまいましたし」


 昨年王太子が主導して東の緩衝地帯を巡る戦争は、しかしゼルスの敗戦という形で幕を閉じた。


 エデルはどう声を掛けていいか、言葉に詰まる。


 先の戦争は、王太子が己の力を誇示するために東の隣国オストロムに向けて仕掛けたもの。銀の髪に紫色の瞳を持つゼルスの民とは違いオストロムは黒髪が多いという。長い間ナステニ地方の帰属で諍いを抱えていたのだが、かの国が別の国と戦争を始めたことをきっかけに王太子が兵をナステニ地方へ進めた。オストロム王国側の領土を奪い取り箔をつけようという魂胆だったのだが、騎馬民族の流れをくむオストロムの王太子率いる一団に迎え打たれてしまった形だ。


「王女殿下にする話ではありませんでしたね。しかし、覚えておいてください。私はいつも殿下のことを気に掛けております」

「ありがとうございます。」


 優しい心遣いにエデルは口元をほころばせた。


 兄も姉も冷淡だが、エデルを気遣ってくれる人はいる。同情から手を差し伸べられているに過ぎないが、それでも冷え切った宮殿の中では救いの一つだ。


 エデルはクッキーを一口、口元へ運んだ。

 口の中でバターの香りが弾ける。


 優しいユウェンが本当の兄だったらよかったのに。それはエデルがいつも考えることだった。彼がエデルを見つめるまなざしはやわらかく、優しさに満ちている。それはエデルが失くしてしまった家族の温かさ。


 だからエデルは、ユウェンが彼女を見つめる瞳の中に隠しきれない熱を持っていることに、一切気が付くことはなかった。

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