第13話 夫と眠る

 オルティウスの命令によりエデルの食事は完全に王の監視下に置かれることになった。


 おかげでエデルは飢える心配はなくなったのだが、オルティウスが立ち会えない時は彼の近衛騎士の誰かに見張られることになり少々堅苦しい。


 バーネット夫人は目に見えて機嫌を悪くしたが、不思議と彼女と二人きりになることが無くなった。


 バーネット夫人が人払いをしようとしてもヤニシーク夫人が王の命令を笠に頑として譲らなくなった。バーネット夫人は金切り声をあげてもヤニシーク夫人は立ち去ることは無かった。エデルは内心ホッとしているのだが、バーネット夫人の苛立ちは増しているように思えた。


 執務が終わると、王は毎晩エデルを寝所へと呼び寄せた。

 夕食はオルティウスの私室に用意され、食事からの流れでエデルはそのまま彼の居室に居座ることになる。


「毎日ちゃんと食べているみたいだな」

「はい」


 前王の急逝に伴い即位した若き王オルティウスは立て続けに起こった戦争の後処理や国内のまつりごとで忙しくしている。ゼルスともまだ交渉が続いているらしいが、エデルの耳に入る情報は少ない。


 オルティウスに促され、エデルは彼の隣に座った。彼との間に隙間を開けてちょこんと腰を落とすと彼はエデルのことを引き寄せた。当然のように触れてくるオルティウスにされるがまま、エデルは自然と彼にくっつく。


 オルティウスにとってエデルは警戒対象なのに、どうして彼はエデルを側に置こうとするのだろう。それともオルティウスにとってエデルは単なるとぎの相手に過ぎないのだろうか。触れた箇所がじんわりと温かくなりエデルは落ち着かなくなる。


「おまえはもっと太ったほうがいい。今のままでは簡単に折れてしまいそうだ」


 エデルはきょとんとオルティウスを見つめる。燭台の光に照らされた青い瞳がじっとこちらを見据えている。通った鼻筋に、薄い唇。美丈夫である正面の男は、もしかしたらエデルのような痩せた娘は好みではないのかもしれない。しかし、太れと言われても難しい。エデルはずっと空腹を抱えて暮らしてきた。


「陛下は太った女性がお好みなのですか?」

「……そういう意味ではない」


 オルティウスが半眼になる。エデルは答えに失敗したのだと悟った。


「食べればもっと丈夫になるだろう。だから食べろと言っている」

「……はい」


 どうやらエデルの細い体を心配しているらしい。


 彼の意向なのだろう、最近のエデルの食事には肉料理が多く並べられている。従順に返事をし、そのまま瞳を伏せたエデルのことをオルティウスはじっと見つめた。次の句を発することなく視線を斜め下の床へと落とすエデルに対してオルティウスは面白くなさそうに唇を引き結ぶ。しかし、視線を外したエデルが気が付くことはなかった。


「祖国では……何が一番好きだった?」

「……あまり好き嫌いはございません」

「そうか」


 エデルは好き嫌いができるほど恵まれた環境ではなかった。薄い麦粥も具の少ないスープもエデルにとっては貴重な食糧だった。


 それきりオルティウスは何かを言うことはなかった。エデルはただじっとオルティウスのとなりに座っている。元より、男性と何を話していいのかもわからない。気の利いたことを言えればいいのだが、出会って日が浅く彼の嗜好が分からない。彼としては単にウィーディアを観察しているだけかもしれないし、政略で嫁いできた女があれこれと姦しくしたら機嫌を損ねてしまう可能性もある。


 オルティウスの隣で、彼とぴたりと密接したまま少なくない時間を過ごしているとさすがに身体から緊張が抜けてくる。そういえば彼はエデルを引き寄せるために彼女の背中に腕を回したままだったな、と今更ながらに意識をした。この距離感が夫婦としては正しいのだろうか。身近に手本がいなかったからエデルにはよくわからないが、彼がエデルを離そうとしないのなら、このままのほうがいいのだろう。


 ただじっと夫に寄り掛かるように座っている今の状況が不思議だと思う反面、この静寂がエデルは嫌いではないと思った。


 オルティウスが内心どう思っているか、エデルに推し量ることはできない。けれども彼は少なくとも気分を害してはいない。彼は時折片手に持った食後酒の入った銀のゴブレットを口元へと持っていく。


「飲みたいか?」


 ふいにオルティウスが聞いてきた。

 エデルはふるふると首を振った。お酒を飲んだことはなかった。


「そうか」


 オルティウスは気分を害した風でもなく素っ気なくエデルから視線を外した。

 彼の腕はまだエデルの背中に回されたままで、燭台に灯った炎がちりちりと燃える音がエデルの耳に届いた気がした。


 食後酒の入ったゴブレットを空にしたオルティウスは侍従長に呼び出されて部屋を後にした。王が不在の間にエデルは寝支度をすることになる。


 年若い侍女がエデルの髪を梳き、夜着を着せる。エデルは王の寝所に呼ばれる日々を過ごしている。


 今日も同じように、彼の寝室へと連れて来られた。

 静謐な夜の闇の中、エデルは隣に横たわるオルティウスを意識してしまう。これまで一人で眠ってきたのに、結婚をすると夫と共に眠るのが当たり前とのこと。


 王妃の仕事の中で最重要事項は、王の子供を身籠ること。

 けれどもオルティウスはエデルを毎夜求めることはなかった。


「眠らないのか?」


 隣からぼそりと低い声が聞こえた。

 寝息が聞こえないから彼も起きているのだろうと思っていたけれど、声を掛けられるとは思わなかった。


「……」


 この場合、なんて答えるのが正解なのだろう。

 眠りたいのになかなか寝付けずにいるのは、おそらくはまだ緊張をしているから。隣に誰かがいるということ自体に慣れていない。


 それは彼にとっても同じことなのではないだろうか。

 毎夜伽をするわけでもないのに、オルティウスは毎夜エデルを寝所に呼ぶ。いくら妻とはいえ、戦を行った国の元王女を毎日隣に寝かせておいてはオルティウスの気が休まらないのではないか。


「あ、あの……。毎日陛下の寝台にお邪魔をしていては……その……」


 エデルはこの数日間疑問に思っていた言葉を唇に乗せた。


「おまえは、俺と一緒にいるのは嫌か?」


 いつもよりも低い声が返ってきてエデルは身を震わせた。なにか、怒らせてしまったのだろうか。

 エデルは頭を少し動かして、隣に横たわるオルティウスを見つめた。明かりをおとした室内は暗く、あいにくと彼の表情までは読み取れない。


「い、いえ……」


 エデル自身不可思議なのだが、緊張はするけれどオルティウスの温もりが嫌いではなかった。

 先ほど、オルティウスがエデルに触れた箇所から伝わってきたじんわりとした温かさを思い出しエデルは一人鼓動を早くした。


「ならここにいろ」

「はい」


 静かな声にエデルは素直に頷いた。

 誰かが隣にいるということが不思議だった。

 ゼルスではエデルはいつもひとりぼっちだったからだ。傅く女官も侍女も、皆イースウィアの顔色を窺ってばかりだった。


「眠れないのか?」


 一向に眠る気配のないエデルを見かねたのか、そんなことを問われた。


「……分かりません」

「そういうものなのか」


 そっと呟くとオルティウスは体勢を変えて、やおらエデルに腕を伸ばした。

 もしかしたら彼も眠れないのかもしれない。このまま伽を求められるのでは、と心構えをするとオルティウスの腕はエデルの髪の毛に触れた。

 さらさらと散らばったエデルの銀糸をオルティウスが梳いていく。


 何度も同じ行為を繰り返されると高まった緊張がするすると解けていく。

 オルティウスの手は優しくて、何の色も乗せていない。


「父上が昔言っていた。こうすると俺の妹はすぐに眠るそうだ」


 どこか懐かしむような声音だった。今ここにいるのはオストロムの王ではないのかもしれない。父を思い出すその声はどこにでもいる普通の青年と同じなのかもしれない。

 そのように考えることは不敬につながるかもしれない。

 けれど国王ではないオルティウスを少しだけ知れたことに胸の奥がほわほわした。


 髪の毛をゆっくり梳かれると、エデルの中の古い記憶が呼び起こされた。

 瞼を閉じて、隣に横たわる夫の体温を感じる。

 すぐそばから人の体温を感じることがどこか懐かしい。

 昔もこうして大好きな人の腕の中で眠っていた。


「お……かあ……さま……」


 寂しがるエデルを抱きかかえて眠ってくれた母を思い出す。

 エデルが眠るまで優しく頭を撫でてくれた大きな手。耳元でエデルと囁いてくれた声。

 幸せだったあの頃の記憶が、どうして今頃になって浮かぶのだろう。

 エデルは目じりに浮かぶ涙を抱えながら眠りについた。






 


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