第14話 忍び寄る悪意
バーネット夫人は焦っていた。
元よりゼルスから輿入れをしてきた王女ウィーディアに対してオストロムの王宮の人々は多少なりとも警戒をしている。何かおかしな様子はないか、王宮を不用意にうろついてはいないかとそれとなく見張っているのだ。
結婚式が終わりエデルをオストロムへ連れてきたゼルスの家臣団は帰国の途に就いた。ゼルス側の人間で居残ったのはバーネット夫人のみ。その彼女は真綿で首を締められるように、己の行動範囲を狭められていた。
バーネット夫人は秘密裏に命令を受けてオストロムに居残っている。
ゼルスの王妃、イースウィアの密命。それはエデルを殺すことだった。
イースウィアはエデルを憎んでいる。エデルが生まれる前からずっと。彼女の母親が王に見初められ、王に抱かれたときからずっとだ。
バーネット夫人だとてそれは同じだった。
元は王妃付きの侍女であっただけの女が、王のお手付きとなり離宮に囲われ、子供まで生んだ。王は囲った女の元へ通った。ゼルスの王は愛情を一介の侍女に求めた。
これは裏切りだった。
あの侍女はバーネット夫人がそれなりに目をかけてやっていたのだ。
王妃付きの侍女は王妃のことだけを考えていればよいものを。
それなのにあの女は王に媚びを売ったのだ。女の色目を使った。たくさんたくさん目をかけてやった娘が裏切ったのだ。そして王の子を身籠った。恩知らずの恥さらしの淫売婦。
バーネット夫人はイースウィアのためにもエデルを殺さなければならない。
でないとイースウィア王妃の心の憂いを晴らすことが出来ない。
バーネット夫人だって、いつまでも罪を背負ったままだ。あの女を王妃の侍女に取り立ててやったという罪が。いつまでも消えてなくならない。だから早急にあの女の罪を消さなければならない。
ようやくだ。ようやくエデルはゼルスを出た。
ゼルスから出てしまえば、エデルを守るゼルス王の言葉などないに等しい。
しかし、オストロムの王は存外に厄介だった。
バーネット夫人のやることなすこと全てにおいて邪魔をした。
王の命令によりバーネット夫人はオストロムの女官や侍従たちに見張られ、エデルと二人きりになる機会が無くなってしまった。
イースウィアの願いはエデルを徐々に苦しめて死に追いやること。
一気に胸を突き刺しても苦しみは一瞬だけ。ゆっくりとその身を苦痛に苛み、小鳥の羽をもぎ取るように、じりじりと殺すこと。これがイースウィアの望みだった。
バーネット夫人に対するオルティウスの監視は日に日に厳しくなった。
どうやら宝物庫の場所をしつこく聞いたことも彼は問題視したようだ。
エデルが輿入れの際に持たされた嫁入り道具はすべて本来ウィーディアのために用意されたもののはずだった。それがすべてエデルに奪われた。蛮族に輿入れするエデルには、この国には過分なものだろうに!
イースウィアは目録を見て目を見開いた。夫に意見をしたがゼルスの王は何一つ取り合わなかった。もう何年も、ゼルスの王は王妃をただ横にいるだけの人形としか見ていない。
怒りをたぎらせたイースウィアはバーネット夫人にもう一つ密命を下した。
エデルに持たせられた宝飾品をゼルスに持ち帰ること。あの女にそのようなものは似つかわしくない。すべては我が娘ウィーディアのためのもの。だからおまえがなんとかして取り戻しておいで。主の言葉に頷いたバーネット夫人であったが、さすがに宝飾品を奪還するのは難しそうだった。
けれども、エデルの命だけはなんとしても奪わなければならない。
オルティウスの厳命によりバーネット夫人はエデルに近づけなくなった。すでにオルティウスのことを篭絡したらしい。さすがはあの女の娘だと、バーネット夫人は苛立った。
野蛮人だらけの国での滞在はバーネット夫人の苛立ちを増加させるだけだった。
こんな低俗な国の人間たちに、王命だと言われ存外に扱われ高圧的な脅しともとれる言葉の数々を受けなければならない日々にうんざりだったが、彼女は辛抱強く待つことにした。
そのうち機は来る。エデルへの関心をなくした振りをし、バーネット夫人は用心深く日々を過ごした。いざというときに動けるように。
オストロムの王は即位して日が浅いためそれなりに忙しい。エデルにばかり構っているわけにはいかない。隙は必ず生まれる。
待ち続けた甲斐があり、その日オルティウスは視察に出かけることになり城を空けることになった。おあつらえ向きに夕方からしとしとと雨が降り出した。
(このまま雨が降り続けてくれれば……)
雨は色々な音を消してくれる。
バーネット夫人はほくそ笑んだ。手に入れたのはペーパーナイフ。こんなものでも、十分に役に立つ。
バーネット夫人はそっと部屋を出た。
王妃の部屋への順路も使用人用の通路もきちんと把握をしている。一瞬の隙をつくことが出来れば、エデルを連れ出すことなど簡単だ。見張りの衛兵が交代する隙をついてバーネット夫人はエデルの寝室へと続く続き間の扉をしずかに開いた。
バーネット夫人はうっすらと微笑んだ。
幸いにも雨はますますひどくなっている。
濡れねずみになるエデルを想像するだけでこれまでの苦労が報われるようだった。
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