第62話 初雪 後編

 普段は王妃としての振る舞いを求められてはいるが、エデルとてまだ十代なのだ。子供の頃に経験できなかったことを今からするのだと思えば、心が躍る。


 しかし、楽しみにしているのはリンテとエデルだけで、女騎士たちは、ソリで滑ろうとするエデルをそれはもうとても心配をした。


「大丈夫よ。わたしと一緒に乗るんだもの」


 リンテは大人たちの懸念もなんのその。


 生まれ育った王城はだれよりも知っていると自慢げに話し、今から滑る場所は自分が小さいころから何度も滑った、いわば初心者向けの坂だと太鼓判を押した。


「リンテが一緒だから、大丈夫よ」

「じゃあ、わたしが前に乗りますね」


 ソリの上にリンテとエデルがまたがる。最初は、ソリ遊びだだから怖くないと、思っていたのだが姿勢が低くなり、いざ坂が目の前に迫ってくると心拍音が早くなった。


 未知なる感覚に戸惑ったのもつかの間、リンテは楽しくて仕方がないといった風で、勢いよく足で雪を蹴った。


 ソリがゆっくりと動き始める。二人を乗せたソリは傾斜の上を滑るうちに、徐々に速さを増していく。


 風が頬を切る。冷たさに驚いたのもつかの間。

 気が付くとリンテと一緒に歓声を上げていた。坂を下ったのはあっという間だったのに、まだ胸がどきどきしている。


「楽しかったですか?」

「ええ。とても速いのね。びっくりしたわ。けれど、楽しかった……」


 これが楽しいということなのだ、と口にしてみて理解をする。


 滑っている時間は本当に短かった。

 冷たい風が頬に吹き付けるのも、なんのその。

 早い速度に、おっかなびっくりだったのも、過ぎ去ってみれば、楽しかった、という気持ちしかなかった。


 きっとリンテと一緒だからというのも大きい。きゃあきゃあと大きな声を出したのもとても新鮮だった。


「もう一回やりましょうっ!」

「ええ、もちろん」


 エデルは大きく頷いた。

 その日二人はソリ遊びを満喫して、そのあとは雪だるまをつくった。


 エデルの騎士たちも手伝ってくれて、積もった雪は少なかったけれど、それなりに大きな雪だるまをつくることができた。クレシダが枝を集めてきてくれて、みんなで顔を作った。


 どんな表情にするかで真剣に悩んで、できあがった雪だるまに一同満足そうに頷いた。


 帰りはリンテと手を繋いで、王城の中へ帰った。帰る道すがら、リンテはルベルムとの雪遊びの思い出を聞かせてくれた。


 ルベルムは騎士見習いとして集団生活の真っ最中だ。いつも一緒だった弟が不在で、リンテも寂しいのだ。


 本人は否定をするけれど、言葉の端々から本音が漏れていた。


 喧嘩も多い二人だけれど、愛ある喧嘩だ。

 王の娘と息子という立場に生まれたため、本音で言いたいことを言い合える人間は限られている。だからこそ遠慮なく言い合いに発展するし、仲直りも早い。


 二人を見ていると、エデルはこの二人のような仲の良い子供が自分たち夫婦の元にもやって来ないかなと想像してしまう。





 その日は珍しくオルティウスと夕食をとることができた。


 ゼルスとの交渉はまだ途中なのだが、早馬を使っても、国同士のやり取りはそれなりに日数がかかってしまう。

 今日は時間が空いたとのことで、エデルには嬉しい出来事だった。


「ソリか。俺も子供の頃はガリューたちと速さを競った」


 オルティウスは昔を思い出したのか、くつろいだ表情を見せた。

 王ではない、童心を懐かしむ少年のような顔に釘付けになる。


「オルティウス様もソリ遊びをされていたのですね」

「むしろ、男の遊びだろう。女も子供の頃はするのだろうが、リンテはお転婆が過ぎる」


「わたしは楽しいと思いました。子供の頃は雪遊びをする機会がありませんでしたから」

「……そうか。おまえが楽しんだというのなら、別によい。ただし、あまり長い間外にいるな。心配してしまう」


 どうやらオルティウスは、リンテが無理を言ってエデルを連れ出したのは無いかと、懸念をしたらしい。そうではないとエデルが自分の気持ちを見せると、彼は目元を和らげた。


「はい」


 冬の空気はたとえ昼まであっても、凍てついている。運動をすると体が温かくなるとはいえ、彼の心配はもっともだ。


 エデルはしっかりと頷いた。無茶をしなければ、オルティウスは基本的にエデルのしたいことを尊重してくれる。


「だが、さすがに王の俺が王城でソリ遊びをするのは……な」


 彼はむう、とむくれた。

 エデルはそんな夫の表情を見て、首を小さく傾けた。


「おまえがソリ遊びをしたことがないというのなら、俺が教えてやりたかった」


 確かに、国王が王城でソリ遊びに興じていれば、城勤めの者や騎士らが目のやり場に困るだろう。


 オルティウスも、それが分かっている。だから面白くなさそうな顔をする。

 それはつまり、彼もエデルと一緒に雪遊びがしたいということで。


 なんとなく、エデルは嬉しくなる。普段は立派な王なのに、たまに見せてくれる感情に、心が揺さぶられる。


 隣にいるのは、王ではなく、ただの青年なのだと。そのような素顔を見せてくれることに、エデルは至福を感じてしまう。


 もしも二人の間に子供が生まれたら。


 家族で雪遊びをして。オルティウスが子供にソリ遊びを教えるのだ。一度くらいはエデルも一緒に乗せてもらって。親子全員で乗れる大きなソリはあるものだろうか。

 想像をすれば、それはとても温かで楽しかった。

 エデルの元にも、いつか赤ん坊がやってきてくれるのだろうか。


「どうした?」


 顔に出ていたらしい。エデルはほんの少しだけ躊躇ったあと、今しがた想像した未来予想図を口にする。


 エデルの話を聞いたオルティウスが瞳を細めた。


「それは楽しそうだな」

「はい」


 まだ見ぬ未来に思いを馳せる。家族が増えればきっと賑やかになる。

 そのことを思えば、自然と口元がほころんだ。


「オルティウス様」


 今はまだ二人きりだから。

 もう少しだけ、彼を独り占めしていたい。


「なんだ?」

「明日の朝、雪だるまを作りませんか? 外に出なくても、露台に積もった雪を集めれば、小さなものでしたら、作れると思うのです」

「雪だるまか。懐かしいな」

「作ったことがあるのですか?」

「昔、雪中戦の訓練の時にな。雪を固めて豪を作っているはずが、いつのまにか雪だるまを作る羽目になった」


 まだ十代前半だったんだ、とオルティウスが続けたからエデルは笑みをこぼした。

 時折聞く、少年時代の話はとても貴重だ。きっと、ガリューたちと一緒の訓練だったのだろう。


「わたしとも、一緒に作りましょう」

「そうだな。では、顔飾りに適したものを、今から選ぶか」

「はい」


 明日はいつもよりも早起きをしよう。

 夕食を食べ終えたエデルはオルティウスと一緒に部屋に戻り、カフスボタンやら、裁縫道具をひっくり返し、楽しく明日の雪遊びの準備をしたのだった。

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