第19話 居場所2
「え……?」
エデルは目をぱちくりとさせた。
どうして今ここでユウェンの名前が出るのだろう。意図を探ろうとオルティウスを見つめると、彼は少しだけきまり悪く視線をずらした。
「熱にうなされていたときに……おまえが口にしていた」
「わたしが?」
エデルは自分の口元に手をやる。どうして彼の名前を出したのだろう。熱を出していた時の記憶は曖昧だった。バーネット夫人に殺されかけ、そのあと気を失い熱を出した。混濁と覚醒を繰り返し、熱が下がっても夜になれば再び熱が上がりぼんやりと過ごすことも多かった。そういえば、一度夢にユウェンらしき人物が出てきたことがあった。
欲しいものや食べたいものを聞かれたのだった。そういうことを尋ねてくるのはきまってユウェンだった。彼はエデルに同情をしていた。その身の上を可哀そうだと言い、何かと手助けをしてくれていた。兄の騎士でもあるユウェンは兄とは違い優しい心根を持った青年だった。
「ユウェン様は、国にいた時わたしに優しくしてくださいました。同情を、していらしたのだと思います。わたしは……その……」
この先を言うのは躊躇われた。ずっといじめられていたなどと自分から告白したくはない。己はちっぽけな存在で、こうして大事にされる資格もない人間だと自ら口にするのはとても恥ずかしくて勇気のいることだった。
「おまえはユウェンをどう思っていたんだ?」
「この方が実の兄であればよいのに……と。申し訳ございません」
「どうして謝る」
「わたしは恵まれているのです。父は国王で、わたしは王女として何不自由なく育てられました。教師たちは皆言いました。わたしは恵まれていると。半分しか王家の血が入っていないにも関わらず、わたしは王家で大事に育てていただきました。それなのに……ユウェン様がお優しいからと、実の兄だったらよかったのになどと思ってしまうこと自体がいけないことなのです」
教師たちは繰り返しエデルに説いた。王と愛妾の間に生まれた子供でありながらエデルは宮殿の奥できちんと育てられている。それがどんなに恵まれたことであるかをエデルに言って聞かせた。修道院に送られることもなく、王女としての立場を得られている今の幸福に感謝をするよう常々エデルは聞かされて育ってきた。
それは王妃イースウィアへ対する教師たちのおべっかでもあった。エデルに対して王家へ、いや王妃への恩を刷り込ませることで教師たちは王妃からの要らぬ悋気を回避していた。
「兄か……」
「はい。何度もお菓子を下さいました。わたしが、その……ひもじい思いをしないように、と」
常にお腹を空かせていたエデルを見かねたユウェンは人目を忍んでエデルに食べ物を分け与えてくれた。日持ちのする菓子や干した果実などだった。
エデルは気が付くと雫を頬に垂らしていた。
ぽろぽろと流れるそれが涙だとエデルはしばらくのあいだ気が付かなかった。
どうして涙が出るのだろう。こんなもの、とっくに枯れたと思っていた。
オルティウスは手を伸ばし、エデルの目じりに溜まる涙をすくった。
「泣くな。おまえを泣かせたいわけではない」
「っ……申し訳ございません。このたびは陛下に大変な迷惑をおかけしました。わたしが結婚相手では……この先ゼルスとの友好関係は望めないかもしれません」
だから今からでも遅くはない。こうなってしまった以上本来の花嫁であるウィーディアを呼び寄せるべきだ。帰る場所の無いエデルは修道院に身を寄せるのが順当というもの。
そうなるともうオルティウスには会うことができない。大層な大男で野蛮な男だと脅されて、会う前は散々怖がっていたのに。
実際に会った彼の印象はエデルの中で日々変化していった。最初は恐ろしいと思ったのに、次第にそれは誤解だと分かった。敵国の姫を警戒していたオルティウスだったが、徐々にそれを解いていった。
敵国の姫にも彼は親切だった。
病身のエデルを看病してくれたことが何よりの証。
「さっきも言ったがこの婚姻は継続だ。おまえは正式な俺の妻だ」
「けれどもわたしは……わたしは……本来ならば存在してはいけない子供なのです」
物心ついたころからその存在を否定されてきた。王妃イースウィアにとってエデルはこの世にいてはいけない子供だった。夫が自分以外の女を抱いたという証でもある子供。王の裏切りの証である子供。
「おまえはなにも悪くない。おまえはただこの世に生まれただけだ」
気が付くとオルティウスの腕の中に閉じ込められていた。
「エデルは何も悪くない」
オルティウスはもう一度口にした。
エデルはぽろぽろと涙をこぼした。小さいころに母と別離をした。突然に母はいなくなり、その後宮殿へと連れていかれた。そこで待っていたのは父の正妻だという王妃とその子供たちから虐げられる生活だった。王妃はエデルの母を詰った。その母から生まれたエデルも罪の子だと、悪い子だとその存在を否定した。
エデルの頭を、オルティウスの大きな手の平が撫でていく。優しい手だと思った。
幼子をあやすように、彼はエデルを抱きしめゆっくりと頭を何度も撫でた。
エデルは自分の心の中がゆっくりと解けていくの感じた。もう何年も、こんな風に誰かから優しくされたことは無かった。エデルの心に触れようとする人など、ゼルスにはだれもいなかった。みんなイースウィア王妃を恐れていた。
「おまえはただこの世に生まれてきただけだ。罪など何もない。エデル」
エデルはそっと目を閉じた。
「エデル、おまえは私の妻だ。……私の側に居ろ」
「でも……」
「王の命令だ」
命令にしては、どこか温かくて柔らかかった。低い声が耳朶をくすぐり、エデルは今度は素直に頷いた。オルティウスの低い声でエデルと呼ばれた。
己の名前のはずなのに、なにか特別なもののように感じるのはなぜだろう。
「……はい、陛下」
その腕の中でエデルは静かに涙を流し続けた。
誰かに許され、必要だと言ってもらいたかったのだとエデルは初めて気が付いた。
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