第78話 書籍発売記念SS はじめまして、お義姉さま

「お兄様の結婚が決まったの?」


 いつもの朝食の時間、母ミルテアが発した言葉をリンテは驚きとともに繰り返した。


「ええ。国王陛下であらせられるオルティウス様の結婚が正式に決まりました。王妃として選ばれたのは西の隣国ゼルスのウィーディア王女殿下。あなたたち、ゼルスについては学んでいますね?」


「はい。母上」


 返事をしたのは双子の弟ルベルムだ。リンテは毎朝母と弟の三人でテーブルを囲む。昔はここに父王の姿もあったのだが、父は胸の病で亡くなってしまった。

 ルベルムは教師を前にするかのように流暢に西の隣国について知っていることを語っていく。


「――先のヴェシュエとの戦の隙を突く形でゼルス王国は我が国に侵入を果たしましたが、兄上、当時王太子であられたオルティウス殿下が見事撃退しました」


 こたびの結婚は両国の和平の意味も込められた政略的なもの。ルベルムがそう締めくくると、母ミルテアは目じりを柔和に和らげた。


「よく学んでいますね、ルベルム」


 母から褒められ、弟がはにかむ。自分だってルベルムと同じように教師から学んでいる。先を越されたようでちょっとだけ面白くない。


 だからリンテは少しだけ付け足すことにした。


「でも、ゼルス以西の国々は建国浅いオストロムを軽視していると聞いているわ。ゼルスの王女様がいじわるなお人じゃないといいけれど」


「確かに西の国々にはそのような風潮があるでしょう。リンテ、ルベルム。王女殿下が嫁いで来たら、きちんとその人を見て差し上げなさい」

「はあい」

「はい」


 ミルテアの静かな口調に、リンテとルベルムは頷いた。

 たった一人で嫁いでくる王女。彼女は一体どんな人なのだろう。


 意地悪じゃないといいな。一緒に遊んでくれるかしら。それとも口もきいてくれない? 乗馬はできるのかしら。ゼルスの人々はオストロムの人間とは違い銀色の髪をしているという。リンテは冬の晴れた日の、一面に輝く白銀色を思い浮かべた。


 新国王の結婚は広く周知され、イプスニカ城内もにわかに騒がしくなった。皆、ゼルスの王女を迎え入れる準備で忙しい。雪が解けたら結婚式である。人々のそわそわした気持ちが移ったかのように、リンテは毎日指を折って王女到着の日を数えた。


 リンテが仕入れてきた情報によると、ゼルスの王女は白き薔薇と謳われるほどの美貌を持っているのだという。


「そんなにもきれいなら、やっぱりお高くとまっているのかしら?」

「そんなの、会ってみないと分からないよ」


 二人きりで話すのは兄の妻となる女性のことばかり。

 好奇心と少しの不安。小さな胸に渦巻くのは様々な感情。仲良くなりたい。でも、拒絶されたらどうしよう。お姉様って呼んだら怒られるかしら。たくさんの気持ちが心の中に浮かんでは混ざっていった。

 そうして、季節は春を迎えた。




「王妃殿下に会いに行くって、リンテ本気なの?」

「しぃっ! ルベルム、声が大きい」


 リンテは慌てて人差し指をたてて、彼の口元へと持っていった。これでは密談の意味がないではないか。

 室内には二人きりだが、用心に越したことはない。リンテとルベルムは前国王の子どもなのだ。常に誰かしらが控えている身分なのである。


「一体何を考えているのかと思ったら……」

「あなたの協力がないと駄目なのよ」

「僕に居留守の片棒を担げってわけだね」

「話が早くて助かるわ」


 リンテはにっこりと笑った。前王の娘という立場上、ルベルムの協力がないと留守をごまかせないのだ。


「悪事の片棒を担ぐのはごめんだよ」

「あら、王妃殿下にお会いするだけよ」


 まあ、一緒にお願い事もする予定ではあるけれど。と、リンテは心の中だけで呟いた。


「でもまたどうして急に」

「だって、結婚式で一度会ったきりじゃない。せっかくだもの……仲良くなりたいわ」


 本心を告げるとルベルムは姉に対する警戒心を少しだけ解いた。昔から、彼を巻き込んでいたずらやらお転婆やらを発揮してきたゆえんの彼の態度である。


「……仕方ないなあ」

「ルベルム大好き」


 ぎゅっと抱き着くと、弟は姉の抱擁からすぐに逃れた。最近つれない態度の弟である。


 無事にルベルムの協力を取り付けたリンテはこっそり部屋を抜け出した。

 リンテの調べによると、王妃は毎日決まった時間に王城内を散歩するとのこと。


(ええと、名前が変わったのだったわね……。今はエデルツィーア王妃殿下、っと)


 先ごろ、国王自ら触れを出し、王妃ウィーディア改めエデルツィーアとするよう周知した。


 リンテは彼女の帰り道へ先回りをしながら、白銀の美しい王妃に思いを馳せる。

 結婚式で初めて目にしたエデルツィーア。雪のように光輝く銀色の髪を持ち、雪解けの大地にひっそりと咲く菫のように淡い紫色の瞳の、儚げな女性。


 彼女の姿はリンテの瞳にはひどく新鮮に映った。もしかしたら本当に雪の精霊なのかもしれない。彼女はどんな風に微笑むのだろう。笑った顔を見せてくださるかしら。


「仲良くなって……くれるかしら?」


 期待と不安が混じる心を抱え、リンテはエデルツィーアを待った。


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