第9話 王の戸惑い

 白銀の髪の毛が薄暗い室内で、燭台の光を受けて輝いている。


 敷き布の上に散った絹糸のような細い髪の束を、オルティウスは何気なくすくい上げた。さらさらと指の合間から銀糸が落ちていく。


 夫婦の契りを終えれば気を失うように眠りについたウィーディアを、オルティウスは見下ろした。夜着を取り払うと想像よりも細い肢体が現れた。けれども瑞々しい肌は男の手によく馴染み、か細い啼き声がオルティウスの耳に届くと己の中から徐々に理性が取り払われていくのを感じ取っていった。


「……最後まで抵抗しなかったな」


 ぽつりと呟いたのは、誰かに言い聞かせるためなのだろうか。


 きっと、彼女が想像以上に儚げでオルティウスに従順だったからだ。抵抗をされたほうがよかったくらいだ。


 傍らの少女は微動だにしない。オルティウスはつい不安になって彼女の口元に手をやった。弱いがきちんと呼吸をしていて安心する。


(さて、どうしたものか……)


 初夜の行いは幾分オルティウスを感傷的にさせていた。


 初めて肌を交わしたウィーディアはオルティウスの戸惑いなどまるで気にしていないという風に眠りについている。


 夫婦になったとはいえウィーディアに気を許すつもりなかった。当然寝室は別に用意をしていたし、伽が済めば彼女は王妃の寝所へ帰す予定だった。


 オルティウスはウィーディアが寒く無いよう上掛けをかけてやる。

 どうしてだか、起こすのがはばかられた。このまま寝かせておいてやりたいと訳も無く考えたのは強引な契りを王として強いた罪滅ぼしか。


 オストロムは戦利品のようにゼルスから王女を奪った。


 ゼルスから西の国々に住まう人々は皆銀の髪に紫の瞳を持っている。もっともこの特徴を持った人々は大きな大陸の北側に住まう人間の特徴なのだが。ゼルスから南下をすると金や茶色の髪や青や緑の瞳を持った民族も多く住んでいる。


 彼らは黒い髪を持つ元騎馬民族の人々を野蛮人と蔑視している。


 幾度も領土争いをしているのだから当然といえば当然だ。新興国のものの道理も分からぬ民族だと軽視する。だから今回の婚姻は意趣返しでもある。


(まあいいか。それに……寝起きというのは隙が生まれやすくもなる)


 ウィーディアが真意を見せるとすれば明日の朝眠りから覚めた時。きっと彼女はオルティウスの隣にいることに驚愕し、嫌悪に顔をゆがめることになるだろう。


 嫌われているときちんと自覚をすればオルティウスとしてもありがたい。下手に情が移る前にこちらも割り切ることが出来るからだ。


 オルティウスは寝台から立ち上がり扉を開いた。王妃をこのままここで寝かせることを伝えておかなければならない。侍従に言うと少し目を丸くしたが何も言わなかった。


 侍従を下がらせようとした段になって、侍従長が寝所の前室へ入ってきた。彼によると、初夜を済ませたウィーディアの引き渡しをバーネット夫人が求めているという。彼女は王の寝室へ入室する許可を声高に叫び、ウィーディアが正真正銘純潔だったという証をこの目で見る義務があると主張しているとのことだった。


「俺が証人だ。文句はあるか?」

「いいえ。ございません」


 侍従長は王の言葉にこうべを垂れた。


 オルティウスとてそのような風習があることくらい知っている。しかし、ゼルス側の人間を王の寝室へ入れるわけにはいかない。そしてオストロムには初夜の立会などという慣習は特に存在しない。


「ではそのように伝えておけ」

「かしこまりました」


 まったく、図々しい女を連れてきたものだ。


 オルティウスはふと思いつき、侍従に明日の朝食についても命令を下した。


 ウィーディアが粗食を愛することは聞き及んでいるが彼女はもうオルティウスの妻になった。あんなにも細い体をしているのは物を食べないせいだ。もっと太らせる必要がある。でないと出産には耐えられないかもしれない。彼女はすでにオストロムの人間だ。ゼルスの習慣など知ったことではない。


 用件を済ませて寝台に戻ったオルティウスは今度こそ眠りにつく準備をする。

 少々体が冷えたため、相変わらずすぴすぴ眠るウィーディアの体をこちら側に引き寄せる。適度なぬくもりを心地よく感じた。


 朝まで女と一緒に過ごすなどこれまでのオルティウスには考えもつかなかったのだが、まあいいかと思った。どうにも調子を狂わされて判断能力が緩くなっているようだ。


 しっとりと熱を持ったウィーディアのおかげで体が温まり、オルティウスはそのまま眠りについた。それでも日ごろから軍を率いる立場でもあるため、万が一にでもウィーディアがおかしな行動をすればすぐに気が付く。


 翌朝オルティウスが目を覚ます段になってもウィーディアが目覚める気配はない。隣でぐっすりと眠っている彼女を起き抜けに眺めたオルティウスは警戒をして夜中何回か目を覚ました己が馬鹿らしくなった。


 どうして無防備にすやすやと眠っていられるのだろう。疲れているにしても、もっとこう、あるだろう。何か。オルティウスはぎゅっと眉根を寄せた。何となく、面白くない。


「おい。起きろ」


 隣で声を掛けるも反応は無し。


 むにゃむにゃと言葉にならない何かを発し、こちら側にごろんと寝返りを打った。

 ウィーディアの白い肌が視界に入る。豊満な体つきとは程遠いはずなのに、色白の肌の陰影が妙になまめかしくてオルティウスは息を呑む。白銀の長いまつげに縁どられた瞳は固く閉ざされている。小さな唇がほんの少しだけ開いており、規則正しい呼吸が繰り返されている。


 オルティウスは無意識に彼女の頬に手を伸ばした。


 まるで人形のようだと思った。触れれば壊れてしまいそうな陶器の人形。目の前で眠る少女は本当に人間なのだろうか。そのように考えた己の思考を振り払うようにオルティウスはもう一度声を出す。


「朝だ。起きろ、ウィーディア」


 同じ言葉を何度か繰り返すと、ウィーディアの瞳がぱちりと開いた。紫水晶の瞳がぼんやりとこちらに向けられる。


「ん……んぅ……」


 ぼんやりとオルティウスを見つめる少女は、寝ぼけているらしい。ぱちぱちと何度か瞳を瞬いた。焦点が合い、正面のオルティウスと目が合い、それから数秒。


「ひゃぁ……」


 驚いて小さな悲鳴を上げるウィーディアを観察していたオルティウスはやっぱり拍子抜けをしてしまった。


「ウィーディア」

「……」

「ウィーディア」

「は、はいっ!」


 今度はいくらか裏返った声で返事が返ってきた。


「よく寝ていたな」

「は、はい……。申し訳ございません。陛下の寝所を……その、独占してしまって」


 起きたウィーディアは慌てた様子で起き上がり、けれども己が裸であることを確認して顔を真っ赤に染めあげ、掛け布を引き寄せる。彼女はこちらを見ようとはせず、うつむいたまま固まっている。初心うぶな反応にオルティウスはこっそり視線を外した。二人の間に珍妙な空気が流れる。


 これではまるで初めての恋に戸惑う少年少女ではないか。


「まだ顔色がよくない。もう少し眠っていろ」


 だからだろうか、らしくないことを口走り、ウィーディアの銀色の髪の毛をくしゃりと撫でた。


「しかし……」


 ちらりとこちらを見やる紫色の瞳と、未だに真っ赤に熟れたさくらんぼのような赤い頬。物慣れぬ態度に釈然としないながらも、オルティウスは彼女の白銀の髪がとても柔らかなことに気が付いた。


「いいから眠っていろ。朝食はしばらくしたらこちらに届けさせる」


 言うことだけ言ってオルティウスは脱ぎ捨てていたガウンを取り上げ、素早く身に着ける。部屋から出て行く前に後ろを振り返った。ウィーディアは困惑した顔でこちらを見つめ返している。


「寝ろ」

「は、い……」

 それだけ言ってオルティウスは部屋から出て行った。


 どうにも拍子抜けをしてしまう。ゼルスの王女とはあんなにも大人しく男慣れしていない女だったのだろうか。どこかおかしいと思うのにオルティウスの瞳の裏にはウィーディアのあどけない様子が焼き付いて離れない。


 次の間に控えている侍従と侍女にウィーディアを寝かせることと彼女が起きたら朝食を運ぶことを伝えたオルティウスは手早く朝の支度を整えていった。

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