第81話 驚きは祝福に

 わたしの世界。弟のルベルムと小言が長いお母様。何かにつけて淑女とは何かを諭す家庭教師のヴォドラ夫人。

 イプスニカ城の奥で過ごす代わり映えのしない毎日。


 そんな日常に変化が訪れた。


 白銀の髪は、日の光に照らされた初雪のように美しくて。紫色の瞳は、春に咲くすみれのように可憐で。

 鈴の音のような声と優しい微笑み。

 わたしは、お兄様の妃として嫁してきたエデルお義姉様のことが大好きになった。



「妃殿下は本日体調がすぐれません。大事を取って今日はどなたともお会いになりません」


 とある日、リンテがエデルの住まう区画を訪れた時のことだった。

 オストロムの冬は冷える。王妃が風邪をひいては一大事だ。

 リンテはエデルへの見舞いの言葉を女官に言付け、大人しく回れ右をした。


 体調不良は杞憂であってほしい。ゆっくり休んで回復してほしいという願いも空しく、エデルの体調はその後も思わしくなかった。


 元気が取り柄のリンテも、数年に一度は大きな風邪をひく。高い熱が出てうなされて、寝台の中でこの苦しさが一生続くのではないか、と不安に思ったりしたものだ。

 もしかしたらエデルも寝台の中で不安に思っているかもしれない。熱が出ると心細くなるものだ。誰かに手を握っていてもらうとそれだけで心強くもなる。安心する。


 心細くしているのなら励ましたい。そう思いリンテは王妃付きの女官の元を訪れた。現在の様子を知りたかったし、もし叶うのであれば一目でいいからエデルに会いたかった。


 だが、そんなリンテの希望は、「妃殿下は静養中でございますゆえ、限られた御方としかお会いになりません」という女官の言葉の前に撃沈した。

 とぼとぼと自分の部屋に戻ったリンテは女官の言葉を思い出し、ちょっと腹を立てた。


「わたしはお義姉様の妹よね? 限られた人の中にどうしてわたしを入れてくれないの?」

「そりゃあ、リンテはうるさいし。側でぎゃんぎゃん騒がれたら治るものも治らないよね」


 ルベルムを相手におかしいと主張をすると、双子の弟はおざなりに返事をした。


「ちょっとルベルム、それどういう意味よ」

「そのままの意味だよ」


 双子の弟は今日も姉に対して冷たい。

 ぎろりと睨み付けても、生まれた時から一緒にいる彼はびくともせずに、肩をすくめただけだった。


 その次の日も、またその次の日も、結果は同じで。

 結果リンテは十日以上もエデルに会えていない。


「さすがにおかしくない?」

 リンテが爆発したのもある意味しょうがないことだ。


「うーん……」


 ルベルムも首を傾げている。

 王妃がずっと奥に籠りきりだのだ。王族の、それも王妃が体調を崩したとなればもっと騒いでもいいはずだ。それが妙に静かなのだ。


「ということは体調不良ではないのかしら?」

「この時期あまり大きな宴もないし、謁見の数も限られているし。もしかしたらゆっくりされているのかもしれないね」


 折しも今は冬真っ盛りで、諸侯たちは領地に籠っている時季である。国全体が春の訪れを待ちつつ家で慎ましやかに過ごすのがオストロムの冬だ。


 秋口に起こったアルトゥールの反乱は記憶に新しい。隣国に嫁いでわずかな間にたくさんのことが起こり、王妃の心身が疲弊していてもおかしくはない。

 この機会に心を休めているのだろう、というのがルベルムの見解だった。


「こういう時こそ一緒に遊んだ方が気分もすっきりするのに」


 何となく釈然としない。

 まだむずかしく眉根を寄せるリンテにルベルムは「はいはい」とおざなりに返事をしたのだった。



「妃殿下は奥の間で静養中でございます。誰ともお会いになりません」

「えええ~、今日もなの? だって、熱は下がったのでしょう?」

「熱はお下がりになりましたが、静養中なのでございます」


 王妃付きの女官は仮にも前王の娘であるリンテに対して素っ気ない返事をするのみだ。

 感情を乗せない顔と声であしらわれたリンテは分かりやすく頬を膨らませた。


「わたしはお兄様の妹なのだけれど」

「存じております」

「ぐ……」


 つんとあごをそらして居丈高に言ったのに、ばっさり切られた。


「リンテ殿下は本日のご予定は全て済ませられたのですか? 教育係のヴォドラ夫人は殿下がこちらにいらっしゃることを知っているのでしょうか」

「……」


 女官に痛いところをつかれたリンテは不承不承帰ることにした。

 これ以上ごねてヴォドラ夫人に告げ口されてはかなわない。ご夫人のお説教はとっても長いのだ。同じ話が三度は繰り返される。


「じゃあこれだけは教えて。お義姉様はお元気なのよね? 苦しんでいらっしゃらないわよね?」

「……ええ。もちろんでございますわ」


 女官の歯切れの悪さに、リンテはひっかりりを覚えながらとぼとぼと帰路についた。



 さて、ここで諦めないのがリンテの良いところであり、悪いところでもあった。

 大人たちがリンテとエデルの仲を邪魔するのなら、こっそり忍び込めばいいのだ。


 よし、そうしよう。伊達にイプスニカ城で生まれ育ったわけではない。城のことなら、そこらの新米女官よりも詳しい。


 お転婆を発揮したリンテはエデルが住まう区画へ潜り込むため作戦を練った。ルベルムにも内緒だ。


 そうと決まれば実行するのみである。オルティウスがいるとはいえ、日中は一人で寂しい思いをしているかもしれない。リンテはお気に入りの人形を持参しようと考えた。


 その昔、父から贈られた外国由来の高価な人形だ。

 侍女や女官の目をかいくぐり、王妃の間へ忍び込むと、エデルは目を丸くしつつも出迎えてくれた。


「リンテ一体どうやって?」

「ふふん。わたしはこのお城で生まれ育ったのよ。色々な通路や扉を知っているもの」


 胸を張ってみせるとエデルが肩を揺らしながら笑った。


「お義姉様、少しお痩せになった?」

「最近、あまり食べることができないの」


 近寄ればエデルは以前よりも頬がこけているようにも思えた。初めて相対した時、彼女の線の細さに驚いた。あの時よりも最近は血色が良くなり、頬もいくぶんふっくらしてきていたのに。


「もしかして……不治の病なの?」

「違うわ、リンテ。あのね……」


 くしゃりと顔を歪ませたリンテを宥めるように、耳の近くに顔が寄ってきた。ふわりと花のような香りが漂い、妙にドキドキした。これが大人の女性の香り。


「えっ!」

 ドキドキは驚きに塗り替えられた。


「赤ちゃん……」

「そうなの。お腹の中にオルティウス様の赤ちゃんがいるの」


 エデルが視線を落としたからリンテもつられて彼女の胎を見下ろした。ぺたんとしていて、そこに赤ん坊がいるようには感じられない。


「身籠ると体調に変化をきたすことがあって、最近あまり食べることができないの。それで少し瘦せてしまったのだけれど、わたしは元気よ」


 楚々とした笑みを浮かべるエデルは少々白い顔をしているが満ち足りた眼差しで自身の胎を何度も撫でた。


「よかった。不治の病でも風邪が長引いているのでもなくて、本当に良かった」

「ヤニシーク夫人やお義母様たちが心配してくださって。安静にしているの。寂しい思いをさせてしまってごめんなさい」

「やっぱり、お母様はご存じだったのね!」


 結局子供たちには何も教えてくれないのだ。そう思うとちょっと悔しい。自分だってエデルの力になりたいのに。ただ、この場合どうやって力になればいいのか分からないのだけれど。


「久しぶりにリンテに会えて嬉しかった。きっともうすぐリンテにも普通に会えるようになるわ。お腹の子が生まれたら、一緒に遊んであげてね」

「もちろんよ! わたし、うんと可愛がるわ」


 リンテは胸を叩いた。このお城にリンテとルベルム以外の子供が生まれる。お姉さんになるのだと思い至れば、胸の奥から不思議な使命感が沸き起こった。


 それから他愛もない雑談をしたリンテは名残惜しくもエデルの部屋を辞した。

 寂しくないようにお人形を置いて帰ったから、きっとこのことはすぐに露見するだろう。


 でも、お見舞いの品を渡せたことも、久しぶりにエデルに会えたことも嬉しくて。

 お説教も甘んじて受け入れようと思った。



 それから数日が経過した。不思議と誰からもお咎めはなくて、リンテは不思議に思っていた。


 エデルが取りなしてくれたのだろうか。

 彼女に会えないのは寂しいけれど、きっと元気な赤ん坊を産んだらまた会えるようになる。


 母ミルテアに双子が呼ばれたのはエデルに会いに行って五日後のことで、懐妊の事実を静かに告げられた。ずっと奥の間に閉じこもったままのエデルの気分転換にと、リンテとルベルムの面会が解禁されたと伝えられれば、リンテは飛び上がって喜んだ。


「あなたは突拍子もないことをしますからね。あまりエデルを驚かしてはいけませんよ。お腹の子もびっくりしてしまいます」

「はあい、お母様」

「長居も駄目ですよ」

「分かっているわ」

「それから――」

「ああもう。お母様の話は長いのよ」


 親子で言い合いを始めるのもいつもの光景であった。




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コミックウォーカー、もしくはニコニコ静画で読めます。

書籍2巻とコミカライズ連載、どちらもよろしくお願いします。

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