第17話 倒れた妻2

 それから、彼は熱にうなされるエデルを頻繁に見舞いに来た。


「おまえの本当の名前はエデルというのだな……」


 敵国から嫁いできた姫だというのに、彼女はオルティウスの心をかき乱す存在だった。初夜に脅せば本性を現すと思ったのに、まるでそんな気配も無く従順すぎる態度でオルティウスに抱かれたエデル。演技をしているのかと思えば顔を真っ赤にして黙り込むし、意地を張って食事制限をしているのかと思い嫌がらせも兼ねて王命だと半ば脅して食事をさせれば最後に美味しいと感想を言った。


 従順なのか反抗したいのか、まったくもってよくわからない。

 いったいどういうつもりなのか。


 オルティウスが不審に思っていると侍従経由でヤニシーク夫人から陳情が来た。オストロムの人間にばれないようにバーネット夫人はエデルを痛めつけていた。


 王妃と付添人のいびつな関係。

 エデルがゼルス国王と愛妾との間に生まれたもう一人の王女という事実。


 視察を終えたあと、バーネット夫人から事情聴取をしようと側近たちと話し合っていた最中さなかの凶事だった。


 オルティウスが見つめる下でエデルはか細い呼吸を繰り返していた。

 元から白いエデルの肌が、今のオルティウスには恐ろしく思えた。このまま彼女が目を覚ますことなく天上の国へと旅立ってしまったらと嫌な考えが頭の中をちらつく。もう一度、水晶のように澄んだ紫色の瞳を見つめたいと思った。


 物静かなエデルは何を主張するわけでもなくオルティウスが隣にいろと言えばその命令に従った。従順な態度に満足すればよいのに、何か物足りない。


 どうしてそう思うのか、つい最近判明した。


 エデルは無なのだ。欲が無い。隣にいるのはエデルという器のみで、彼女からはこうしたいという欲が感じられない。そのことに無性に苛立った。


(大体、夫が隣にいるのによりにもよって母親呼びはないだろう?)


 だが、人のぬくもりを間近に感じたエデルが母親を恋しがる気持ちもいまならなんとなく分かった。


 ガリューの報告によるとエデルは幼少時こそ母と共に過ごしていたが、ある時を境にその母親が出奔した。真相は定かではないが、ちょうどその年ゼルスの王妃、現王妃であるイースウィアの姑に当たる人物が崩御し、宮殿内での権力をものにしたイースウィアが密かに手を回したのではないかという噂が出回ったとのことだった。


 前王妃とイースウィアは対立関係にあったらしい。前王妃は気位の高すぎる他国の王女であったイースウィアと馬が合わず、面と向かって王の愛妾を擁護する言葉を発したという。そして前王妃は何度か離宮に住まうエデルの元へ通っていた。


「そういう、嫁と姑の対立などに対する鬱屈がすべてエデル様に向かわれたのでしょう。イースウィア王妃が宮殿の奥を掌握してからエデル様への風当たりは相当に強いものになったとか」とガリューは続けた。


 聞いていて胸が悪くなる話だった。


 すべては女同士の諍いではないか。そんなものにどうしてエデルを巻き込む必要があるというのか。


 一日中エデルの側に張り付くことができないことがもどかしかった。


 どうしてこんなにも彼女の存在に心が乱されるのだろう。

 触れるとさらりと零れ落ちる細い白銀の髪の毛も、鈴の音のように清らかな声も、こちらを怖がるようにまつげを震わせる仕草も、すべてがオルティウスの心を捉えて離さない。


 エデルはその後目を覚まし、女官たちによって甲斐甲斐しく世話をされた。意識を取り戻した彼女はなんとかスープを受けつけ、薬湯を飲ませることができたと報告を受けたオルティウスは安堵した。


 夜、仕事を片付けたオルティウスは王妃の間へと戻った。王としての生活は多忙で始終彼女の側についているわけにはいかない。


 せめて夜の間はエデルの側に居たかった。

 寝台はエデルが使っているためオルティウスは長椅子で眠る生活を続けている。戦では他の兵士と野外で寝ることも少なくはないし、元より訓練を受けている身である。屋根の下で眠れるのだからまったく辛くはない。


 オルティウスはエデルの額に置かれた布を水に浸けた。冷たい水に晒した布を固く絞り、顔と首の汗を拭いてやる。日中は体を起こし会話ができたと報告を受けていたが夜になり熱が再び上がってきた。寝台の上に横たわるエデルの意識は混濁し、か細い呼吸を繰り返している。


 その姿にオルティウスの胸がちりちりと焼き切れそうになる。

 水差しを手に取り、水を彼女の口に含ませる。


「エデル、早く元気になってくれ」


 まだおまえのことを何も知らない。政略で結ばれた夫婦だが、オルティウスはエデルのことを知りたいと感じている。それは不思議な気持ちだった。


 王になったのだから己の妻になる女は完全に国の都合で選ばれ、儀礼的な夫婦として接するのだろうと考えていたはずなのに。気が付くとエデルから目が離せなくなっていた。


 オルティウスはエデルの手を握りしめた。


「ん……」


 ゆっくりとエデルの瞳が開かれた。紫色の瞳がぼんやりとオルティウスを映している。焦点が定まらない、不安定な視線だったがオルティウスは歓喜した。


「エデル、気が付いたか? なにか、欲しいものはあるか。食べたいものは」


 オルティウスは急いた。エデルの顔を覗き込み、彼女から声を引き出そうとする。


 エデルは開いた目でぼんやりとオルティウスを見つめた。

 オルティウスはエデルの頬に手を添えた。まだ熱がある。


「ユ……ウェン……さま?」


 それだけ呟いたエデルはそのまま眠りの泉へと落ちていった。

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