第85話 初めての狩りの日 後編

「思い出すなあ。僕の妹もきみと同じくらいなんだよ」

「お兄ちゃん、妹がいるの?」

「そうだよ。きみと同じくらい泣き虫」

「わたし、泣き虫じゃないもん」


 二人の会話が聞こえてくる。


 彼はオストロムの北東部の土地を治める領主の三男坊だ。家督を継ぐ立場にないため将来は騎士になり身を立てるため王都へやって来た。


 彼はにへらっと笑いながら前に乗せたゾラと名乗った幼子の頭を撫でた。ルネの仕草を横目に見たルベルムは自分の後頭部に意識を寄せた。


 ふとした時に、兄から同じことをされたのを思い出したのだ。彼からしてみたら、十二も年が離れた弟など、まだ子供なのだろう。そのようなこと分かってはいるのだが。


 それでも、兄の背中を追いかけるばかりではなく、早く一人前として認められたい。今年ようやく兄と同じ舞台に立つことができたのに。


(せめて獲物の一匹は仕留めたかった……)


 胸の奥からじりじりとした焦燥が顔を出し、ルベルムはそれを慌てて振り払う。今はゾラの羊を探すことが先決だ。もし羊が他の射手が率いる集団に見つかれば、矢を向けられる可能性がある。故意に迷い込んだわけでないのだし、できれば穏便に済ませ、彼女を牧場へ帰したい。


「あ、いた!」


 ゾラの声に導かれるように視線が集中する。木々と下草に隠れる白い物体を捉えることは難しい。ゾラがもどかしそうに「あっち。ほら、あそこ」と指を何度もその方向へ向ける。


 ようやく補足し、馬を降り羊捕獲作戦が始動した。逃げ惑う羊を数人がかりで追い詰め、一人が羊めがけて飛び込むこと数回。最後は勢子たちも交えてどうにか捕まえることができた。


 すっかり連帯感が生まれ一匹の羊を抱く少年を囲み「おおおおお~」という野太い雄たけびが辺りに響いた。


 ゾラを森の外れまで送り届け、羊と一緒に降ろしたところでルネが「さて、これから挽回しなくちゃですね」とことさら明るい声を出す。

 そうだ、まだ終了まで時間はある。ギリギリまで粘ろう。ルベルムは思考を切り替える。


「鹿を狩りたいなんて贅沢は言わない! 何か、せめて兎の一羽でも。鳥でもいい! むしろ僕は鳥のが好物だ!」


 ルネが天を仰いだ。心の内を明るく正直に口に出せるのが彼のいい所だ。


「おにーちゃんたち、鳥さんが好きなの?」

 大きな青い目で少年たちを見上げたゾラに「鳥は美味い!」とルネが断言した。




 レゼクネ宮殿に狩りに出ていた男たちが次々と帰還する。

 ある者は自らの成果を声高に吹聴し、またある者は肩を落としている。悲喜こもごもな声を耳が拾っていると、オルティウスがこちらの方へ歩いてきた。


「ルベルム、初めての狩りはどうだった?」

「練習と実践ではまるで違いました。動く標的に矢を放つのは何とも難しいものですね」

「そうだな。予期せぬことが起こるし、練習通りにいくことなどほぼない。それを学ぶ場所でもある」


 兄の言葉にルベルムは頷いた。確かに今日は予想もしなかったことばかりが起きた。


 成果を尋ねられたため、ルベルムは「雉を」と伝えた。他、鶉も狩った。

 決して大物ではないため、小さな声を出したルベルムにオルティウスは「鳥は少しの物音にも敏感に反応する。ずいぶんと目がいいんだな」と返した。


「それは……色々と事情があって……」


 つい近くのルネたちに視線を向けたのだが、彼らは昨日と同様、国王の登場にカチコチに固まり口を開けそうもない。


 ここですべてを自分の手柄にできるほどルベルムは強靭な心臓を持ち合わせてはいない。しかし理由があったとはいえ、無断で王の管理する土地に侵入したと知られればゾラとその家族は罰せられる可能性がある。


「実は……」


 できればことを荒立ててほしくないと願いつつ、ルベルムはオルティウスと側に控えるガリューにだけ聞こえる音量でかいつまんで本日の出来事を語った。


 野鳥を数羽仕留めることができたのも、ゾラのおかげだ。ルベルムたちが狩りを行っているのだと知れば「今日は森に入ってはいけない日だったのに、ごめんなさい」と再び涙目になった。


 ルネが何とかゾラをよしよしと撫でてやれば、彼女は「鳥がいる場所になら案内できる」と申し出た。普段から自然を遊び相手にしている彼女は野鳥を見つけるのが上手で、離れた場所から「ほら、あそこ!」と教えてくれた。


 こちらを警戒していない野鳥に慎重に狙いを定め、ルベルムたちは何とか面目を保つことができたのだ。


 ルベルムの話を聞き終えたオルティウスは「そうか」とだけ短く話した。

 その青い瞳の中に温もりが灯っているのを感じ取った。


 それから大きな手がこちらに伸びてきて、ルベルムの頭をくしゃりと撫でる。先ほどルネがゾラに対して同じことを行っていたのを間近で見たせいか、かなり恥ずかしい。


 思わず一歩足を後ろに引くと、ガリューが忍び笑いを漏らす。


「陛下、ルベルム殿下はもうすぐ十四歳ですよ」

「……そうだったな。ついエデルへするのと同じことをしたが……」


 オルティウスが己の手のひらを見下ろし苦笑した。どうやら子供扱いというより、守るべき相手に対しての仕草だったようだ。


「おまえももう立派な騎士だ。困っている民を助けてやったのだからな」


 そう言ってオルティウスはルベルムの肩をぽんと叩いた。それはまるで、同僚にするような、気安さをまじえたものでもあって。

 忙しいオルティウスはすぐに踵を返してしまったが、ルベルムはその場にぼんやりと佇んだままであった。


 胸の奥からたくさんの思いが生まれた。兄に認められた誇らしさと、生まれて初めての狩猟を終えた高揚と適度な疲労。牧場へと帰っていくゾラの笑顔。

 今日一日でたくさんのことを経験した。思い通りにいかないこともたくさんあった。自分の未熟さも経験のなさも痛感した。


 それでも、どうしてだろう。今日という日は一生忘れないものになるという予感があった。


「ああ~、陛下の近くは緊張する」

 と、ルネが大げさなため息を吐くと、他の同輩たちも同調した。


「僕には緊張しないのかよ」

「え、ルベルム殿下はほら、なんていうか……ねえ?」


 一応自分も王族なのだが、と唇を尖らせるとルネがにへらっと笑った。彼らはイプスニカ城の奥で大切に育てられた箱入り少年を、守るべき対象のように考えている節がある。何かムカッときて、ルベルムはルネたちを小突いた。


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3巻のページの都合上入りきらなかったエピソードです。

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