第76話 ガリューの思い出
城の外に出たガリューは、明るさに目を細めた。見上げた先には、色鮮やかな青色が広がっている。短い夏に向けて、太陽が日増しに力強くなっていく、そのような日のことだった。
王の側近として、ガリューはオルティウスの一日の予定を把握している。
王立軍上層部との会議もそろそろ終わる頃合いだろう。散歩も兼ねて迎えに来たというわけだ。
王立軍の建物へと続く小道で、ガリューはお目当ての人物を見つけることができた。現在のオストロム国王そのお人だ。珍しく、彼は一人きりだった。王とて一人の人間である。一日のうちに、気を休めたいときもあるだろう。
彼は立ち止まり、とある一点に視線を定めている。一体オルティウスは何に気を取られているのだろう。ガリューは彼の目線を辿った。
そして、得心した。
オルティウスがかすかに口元を綻ばせている理由。小道の隅に咲いているのは、可憐な薄紫色の花々。おそらく彼は、それらと同じ色の瞳を持つ少女に想いを馳せているのだろう。
(まったく、まさかあのオルティウス様がこうも柔らかな表情を作るようになられるとは)
ガリューはとある会話を思い出していた。前国王とのものである。
あれはまだ、ガリューが十代の頃のことだった。確か、十七、八だっただろうか。
あの日ガリューは前国王陛下と二人きりで話をする機会に恵まれたのだ。
「ガリュー、一人の父としてそなたに頼みがある」
前国王が神妙な顔を作ったため、ガリューは背筋をぴんと伸ばし、身構えた。
「どのようなことでしょうか、陛下」
「……実はな、オルティウスを娼館に連れて行ってほしいのだ。あいつはどうも……雰囲気が堅苦しい」
ガリューは次にどう返事をしていいのか、たっぷり十秒は迷った。
「あれは剣や槍の腕前はよいのだが、どうにも女の扱いは不得手らしい。少し厳しく育て過ぎたのか……」
固まったままのガリューの目の前で、前国王がぶつくさと息子の評価を垂れ流す。
友人としての率直な感想を言えば、確かにオルティウスは堅物だ。いや、彼は次期国王としての自覚が十分にあるため、火遊びですら厭うている。己に群がる女たちが、何を見ているのか、彼は正確に理解しているのだろう。
「陛下、なぜ急にそのようなことを?」
ガリューはひとまず、そこから尋ねることにした。
前国王は、顎髭をひと撫でした。
「実はな……オルティウスを前にするとリンテが泣くのだ」
「……」
まったく想定外の返しを受けたガリューはやはりたっぷり十秒は固まった。
「あまり人見知りをしないはずのリンテがぐずぐず泣いてな。どうにもあれは女の扱いが不得手のようだ」
「リンテ様とオルティウス様は滅多にお会いになられませんからね」
「あやつももう少し、愛想ってものを振りまけばよいものを……。いや、女の扱いがなっておらんようだ。そこで、娼館にでも通って女の扱いを知れば多少は愛想が身に着くかと思ってな」
あのときは、どうにかして会話を切り上げたのだ。まさか、前国王陛下からオルティウスと女遊びに励めと言われるとは思わなかった。
(まさか、リンテ様が泣くからという理由だとは思わなかったな。そもそも幼女に懐かれることと女性の扱いは別物だと思うのだが……。前国王陛下もリンテ様の前ではただの親ばか……おっと、娘に激甘な父親でしたからねえ)
初めての娘ということもあり、普段の厳めしさからは想像もつかないほどの甘やかしぶりだった。娘が泣くからという理由でオルティウスに娼館通いを提案しようとするくらいには迷走していた。
前国王も本気ではないだろう、とガリューはのらりくらりと話を交わし、結局適度に遊んでいたのは己一人きりだ。
(まあでも、今はずいぶんと柔らかな顔をするようになりましたよ)
ガリューは心の中で前国王に報告した。
リンテに泣かれるかどうかはさておき、オルティウスの妻エデルは彼に対してゆっくりと歩み寄っている。純粋に王を見つめる光景を何度か目撃したガリューは、微笑ましく感じたものだ。
「ガリュー、どうした。何を笑っている?」
いつの間にかオルティウスがこちらへ近づいていた。
「いいえ。昔のことを思い出していたんですよ」
「昔?」
「内緒です」
「よく分からん奴だ」
くすりと笑うと、オルティウスは憮然としながらも、深く追求してこなかった。
二人並んで歩き出す。
ガリューはもう一度空を見上げた。
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