第41話「前公爵 クラウス・オストレーベは暗躍を楽しむ」23
エドワードの言葉は大天幕の空気を固まらせた。
小麦粉が燃える?
粉の物は熱を加えれば焦げる事はある。
でも、「燃える」とはどう言う事だろう?
「燃える」と言うのなら、燃える物から炎が上がるはず。
しかし、彼らの経験則からしてみると
粉が「燃える」とは思えないのだった。
「婿殿の言う通り、小麦粉が燃えて爆発を引き起こした。
これは、学者どもが確信を持っておる。
彼らの議論と考察と実験の検証によって分かったのは
小麦粉は普段見ている状態では燃えることは無いが、
「状態によって」燃やす事が出来ると言う事なのじゃよ。」
クラウスの言葉に天幕内の一同は首を傾げる。
小麦粉の状態とは、なんなのだ?
「いきなり小麦粉の状態と言われても、よく分からんじゃろ。
ここは水を例にとって話してみよう。」
クラウスは水の「状態」について話した。
水は同じ物にも拘らず、氷・水・水蒸気の3形態が存在する。
氷は水が固まった「固体」。
水はそのままで存在する「液体」。
水蒸気は目には見えないが存在する「気体」。
つまり、水は3つの「状態」を持っているのだと
クラウスは話した。
軍議と言うより科学、
あるいは物理学の講義と言う様相を呈してきたが、
参加者全員が、目を輝かせて聞き入っている。
『自分たちは今、最先端の科学知識に触れているのだ。』
そう言った気持ちが彼らに口を挟む余地を与えなかった。
貴族として教育を受けてきたゆえに、
新たな知識を得る事には貪欲であった。
「知らない事を知りたい。」
これは人間なら誰しもが持つ本能的な欲求である。
そして、彼らは今、その欲求を満たしつつあるのだ。
クラウスは学者たちから得た知識を使って解説を続ける。
「水と小麦粉では状態の変化において大きな差があるのじゃが…。
『物はその状態において色んな形態を持つ』事は理解できたと思う。」
「なるほど。
そうなると、小麦粉も状態によっては燃える事が
あると言う事ですかな?」
今度は弓隊指揮官、アルド・ストリングス少佐が問いかけてきた。
「その通りじゃよ。
さて、小麦粉の状態について、考えて見るとしよう。」
クラウスの講義は続く。
一般的に小麦粉を見た場合、大抵は袋などの容器に入った状態である。
しかし、小麦粉本来の姿は小麦が挽かれて微細な粒となった物。
容器に入った物はその粒が「集まって」いる状態なのだ。
「本来、小麦粉の一粒は我々の目では確認できないほど小さい。
それが集まっているが故に、我々は「小麦粉」と認識できるのだ。
それを学者どもは「集合状態」と名付けておる。」
パン生地などは小麦粉を
これは、見た目が変わっているのだが本質的には小麦粉のままだ。
「パン生地の場合、練る事で
粒と粒の隙間が潰されて密着していくのだそうだ。
こうなると容易に粒同士を引き離す事は出来ない。
これを「結合状態」と名付けたそうじゃよ。」
そして、風車小屋で起きていた小麦粉の状態。
空気中に小麦粉の粒が舞っていたあの状態。
「小麦粉が広い空間に散らばる事で一粒一粒の
こうして一粒がほかの粒に影響されない状態になった時の事を
「拡散状態」と呼ぶのだそうじゃ。」
エドワードが問いかける。
「それでは、小麦粉が拡散状態になった為に
『燃えるようになった』と言う事でしょうか?」
クラウスは頷く。
「つまり物の状態によって『燃えやすさ』が変わってくる、
と言う事なのですね?」
エドワードの言葉にクラウスは破顔した。
それは、門下生が正解を導き出した事を喜ぶ
教授の
「諸卿らも経験したことは無いか?
野営で火を起こすとき、
枯れ木よりもおが屑の方が火が付きやすいであろう?」
ここに居るのはコレットを除いて全員が軍人である。
クラウスの「状態によって」と言う言葉の意味を理解して頷く。
小麦粉が拡散状態で燃える事は理解した。
となると。
エドワードは炭鉱事故に当てはめて考えてみる。
あそこにあるのは小麦粉ではなく石炭だ。
石炭自体は燃える。
………。
「炭鉱の坑道内に石炭の粉が舞っていたとしたら!」
エドワードは目を見開いて思わず立ち上がった。
「そして、何かの拍子に火花が散ったら!」
「火が付くであろうな。」
クラウスの言葉にエドワードはガクリと椅子に座り込んだ。
ノルデン領で石炭が発見されて以来、
領主を悩ませてきた炭鉱の爆発事故。
調査すれども原因は判明しなかった。
故に、父公爵は炭鉱夫たちの「常識」に配慮し、
「地の精霊の怒りを鎮めるため」に
だが、実際は科学的・物理的な現象に過ぎなかったのだ。
エドワードは「精霊など居ない」事を知っていた父公爵が
下した苦渋の決断を思って目を閉じた。
もっと早く解明されていたなら…。
いや、それは言うべきではない。
オストレーベ領で起きた粉ひき風車の爆発事故が無ければ
クラウスは学者たちに調査をさせる事は無かったはず。
ノルデン領としては爆発事故の原因が
解明されたことを喜ぶべきだった。
「燃える物が粉状となり
舞っている状態で火が付くと、爆発的に燃え上がる。
この現象を学者どもは、『粉塵爆発』と名付けたぞ。」
クラウスは続ける。
「この粉塵爆発と言う物の怖さは、
火が付いた場所から連鎖的に『燃える物』が燃えて行く事にある。
つまり、『燃える物』が有る範囲が一気に燃え上がるのじゃよ。
そして、条件さえ満たせば、どこでも起きてしまうと言う事じゃ。」
クラウスは一度、言葉を切って皆を見渡しながら続ける。
「たとえ、今回の戦場のような平原であってもな。」
大天幕は静まり返った。
ポルスカ北東門前面の敵包囲陣の東側に陣取る
20000のバクラ軍団。
これを最新の科学知識による術策で足止めする。
何と言う智謀だろうか!
「作戦の
しかし、コレット嬢はどのような役割を
粉塵爆発を利用するのであれば、
彼女を危険に
歩兵隊指揮官・ピーター・ストラグル大佐がクラウスに問う。
「確かに、物理的な効果のみで敵を足止めできるなら、そうであろう。
だが、ここに心理的効果を付け加える事が重要なのじゃ。」
クラウスは
「未知と無知。敵として
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