第35話 「前公爵 クラウス・オストレーベは暗躍を楽しむ」17
ノルデン軍は行動を開始した。
時刻は午後4時を少し回った所。
太陽が西側の地平線に少しずつ近づいていく、そんな時間だ。
ポルスカからヴェストベルガー公爵領へ続く北東街道は
3キロほど平原を進み、丘を回り込むように道が延びている。
その丘の影にノルデン軍13500と義勇軍400、補給馬車の隊列は
姿を隠していた。
ポルスカの城壁と丘の間の平原にバクラ王国の包囲陣がある。
城壁から300mほど離れた所から500mの幅に、
街道を挟んだ両側に兵を配置してあり、
街道上には城壁側、街道側それぞれに向けた
逆茂木を置いて道を封鎖している。
騎兵による強行突破をさせない備えだ。
その情景を丘の上から望んだエドワードは
隣に立つコレットに話し掛けた。
「これから、あの敵をかき分けて道を開くかと思うと、
緊張してくるなぁ。本当にできるかな?」
そう零すエドワードにコレットは
「弱気は勝機を逃しますよ。大丈夫、あなたなら出来ますとも。」
視線を敵陣に向けたまま答えた。
その顔に笑顔はなく、固い物だった。
「コレットも緊張しているのかい?
大きな舞台には、もう何度も立っているくせに。」
「あれとは違います!
それに新しい作品の初演と言う物は、どんな大女優だって、
緊張すると伺いましたわ!」
コレットは美しい柳眉を吊り上げてエドワードに振り向き、
瞳に力を込めて反論する。
それを見たエドワードは口角をわずかに上げて、こう言った。
「良い顔になったな。
あんなにカチカチでは、いい演技を見せる事は出来ないよ。」
コレットはハッとした。
少しばかり、怒りの感情が沸き上がった事で
強張っていた顔が緩んでいる。
(ご自身も緊張しているはずなのに…。
「初舞台」に上がる私の気持ちを解してくれるなんて。
やはり、旦那様は素敵です…。)
吊り上げた眉をハの字に降ろして、コレットは答える。
「はい。もう大丈夫ですわ。」
数瞬の間、二人の間に沈黙が下りた後。
「そろそろ始めよう。
あそこには、苦しんでいる人が助けを待っている。」
ポルスカを向いて言葉を紡いだエドワードに
コレットは軽く抱き着いた。
「ご武運を。」
そう一言、言って体を離すコレット。
「そうですわ。
もう一つ、おまじないを授けましょう。
エドワード様、跪いていただけますか?」
怪訝な表情をしつつエドワードは、
コレットに指示されるまま跪く。
「戦いに赴く貴方に、我が祝福を授けん!
我の力は貴方に宿り、必ずや敵を滅ぼすであろう!
そして、勝利の凱歌を我に届けたまえ!」
そしてエドワードの頭頂部に口づけた。
「はっ!必ず凱歌を響かせて、御覧に入れまする!」
エドワードは立ち上がり、背筋を伸ばしてコレットに微笑む。
今のはエドワードが初めて見た、
コレットの出演する舞台劇の一場面だった。
英雄物語で、
コレット演ずる
魔王討伐に向かう主人公に祝福を授ける場面。
コレットは、あの時と同じセリフでエドワードを鼓舞してくれた。
それに気づいたエドワードも劇中のセリフで答えたのだった。
「行って来る。土産を楽しみにしていてくれ。」
「はい。
2人は、再び軽く抱き合うと並んで丘を降り、
部隊が集結している場所へ戻った。
騎乗したエドワードに
「準備は完了しております。おや、何か良い事がありましたかな?」
緊張よりも笑みを多く含んだ
エドワードの顔を見たピーターは軽口をいれた。
「ああ、戦女神殿から祝福を頂いた!我らの勝利は約束されたぞ!」
ニヤリと笑うエドワード。
「それは、心強いですな!」
ピーターにも笑みが浮かんだ。
「では、閣下。進軍のお下知を!」
一つ頷くとエドワードは鐙の上に立ち上がり、
「作戦を開始せよ!」
ポルスカの北東門前のバクラ王国軍陣営には
のんびりとした、いや、いささか緩みすぎの空気が漂っていた。
包囲してから既に1ヶ月が経った。
最初はポルスカ領軍が打って出て来る事を警戒していたが
今は、無用の心配だと感じている。
20万の大軍に囲まれては、
精鋭で知られるポルスカ領軍も身動きが取れない。
我らは包囲を維持しておれば良いのだ。
長対陣に倦み始めていた彼らの行動は最前線のそれではなく
まるで、後方の訓練所のようだった。
陣の前面で見張りに配置された兵士こそ完全武装しているが、
その他の兵のほとんどが鎧も付けない軽装で過ごしている。
見張りは交代で行うとはいえ、これほどの長対陣である。
兵たちに疲労がたまるのは避けられない。
それを軽減するために上層部は武装状態に置く兵の数を
最小限に抑えていた。
帝国軍は気づかなかったが、
現在、バクラ王国軍20万のうち、即時戦闘可能な兵は
5万程しかいないのである。
もし敵が攻撃を仕掛けてくるとしても、
見通しの良い平原で対陣しているため、その動きは察知できる。
ましてや、帝国軍としても
15万の兵を攻撃位置に展開するには多大な時間が必要だ。
敵が動きを見せてから戦闘準備をさせても間に合うと、
彼らは判断していた。
北東街道を塞ぐ逆茂木の端にもたれながら、
二人の兵士が話をしている。
見張りの兵だ。
金属製の胸当ては付けているものの
籠手、腕あて、脛あては外している。
剣は腰に下げているが、得物の槍は逆茂木に立て掛けている。
全く緊張感が見られない二人の話題は、
この長対陣についての愚痴である。
「いつまで続けるのかね、この包囲。」
「開城するまでだろ?あと少しの辛抱だよ。」
「だが、帝国軍の救援部隊が南東に居るんだぞ。
籠城側も援軍がすぐそこに来ているんだから、
開城はしないだろう。」
そう訊かれた男はニヤリと笑って答えた。
「ところが。その帝国軍に動きが見られないとさ。
救援する気が無いように見えると本営の参謀が話していたのを
俺のダチが耳にしたそうだ。
昨日、報告書を本営に届けた時に聞いた。」
「それじゃあ、ポルスカは見捨てられたのか?」
「かもしれんよ。明日当たり開城の勧告をする
使者を出そうとか、参謀が言っているらしいしな。」
そんな話をしていた二人は、太陽がだいぶ傾いてきたのに気が付いた。
「もうすぐ、交代だな。夕飯はなんだ?」
「あぁ、腹が減ってきたな。」
一度、太陽の位置を確認して、顔を街道に戻した時である。
北東の丘の影から多数の騎馬が平原になだれ込んできた!
馬蹄の音が響き始め、その数を増やしつつ、こちらに近づいてくる!
2人は唖然とした。
まさか?
「敵襲!敵襲!街道から敵騎馬隊が現れたぞ!」
ノルデン軍・騎兵隊は街道の右側へ展開して
2000mほど先に展開している…
いや、敵は展開と言うほど統制は取れていない。
こちらの攻撃に慌てふためき、
右往左往している群衆に等しい敵兵の集団へ
彼らからは声一つ聞こえてこない。
ただ、馬蹄のドドドと言う響きが流れるだけである。
馬が全速力を出せるのは実際の所、数十秒だと言われている。
常に全速力を出していれば、
あっという間に疲れてしまい走れなくなってしまうのだ。
故に、騎兵隊の突撃は全速力で行われる訳ではない。
常に戦場で機動を続ける彼らは、愛馬の疲労も考慮しつつ、
出来るだけ長く機動できるように全速の7割程度の速度、
速足で突進するのである。
ちなみに、2000mを速足で駆ければ、3分程しか掛からない。
バクラ王国軍はこの突進に対応することはできなかった。
騎兵隊・総指揮官、マーレ・ドランゴス中尉は
2000の騎兵を1000づつの2隊に分け、バクラ王国軍へ突進させた。
1か所に全戦力をぶつけるより、
2か所で攻撃をした方が、敵の混乱をより深める事になる。
彼はそう判断していた。
敵と接触するまで、あと200m!
マーレは命令を発する。
「槍を構えよ!全軍、
うおぉぉぉぉぉ!
1000の騎兵が鬨の声を上げて突入する!
騎兵が突進してくる姿に加えての
武器を構える事無く逃げだす兵が続出した。
こうして、街道の右側に配置されていたバクラ軍は、
30分ほどで右側、すなわち西側の友軍を目指して敗走したのである。
※ 喊声突撃とは話中に出てきた通り、
叫びながら突撃を行う物です。
味方の士気を高め、敵を怯ませる効果が期待できます。
ドランゴス中佐が接近中に声を上げさせなかったのは、
この喊声の効果を最大限生かすためでした。
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