第26話 「前公爵 クラウス・オストレーベは暗躍を楽しむ」 8
連射型クロスボウをお披露目したクラウスは
エドワードから夕食の招待を受けた。
クロスボウを装備した騎兵の運用について
もう少し聞きたいとの事だった。
夕食の席でクロスボウ騎兵についての話を楽しんだクラウスは
食後のコーヒーが出されたところでエドワードに頼んだ。
「婿殿。ちと、公爵家の「奥向き」について話をしたいのじゃが?」
「奥向き」とは、貴族家の家庭内のあれこれを指す言葉である。
内容的には婚姻・愛妾を娶るなど、かなり生臭い話が多い。
故に基本的に「人払い」をして当事者同士のみで話すことになる。
「分かりました。」
エドワードは給仕をしていた従兵に合図を出し、人払いをした。
「『奥向き』の話とは、どのような事でしょうか?」
現在、ノルデン公爵家の「奥向き」の話題としては
エドワードとコレットの婚約関連だけである。
それも至極順調で特に問題があるわけではない。
まぁ、婚約を結んだ経緯については、
多少、思うところが無いわけではないが。
それを聞いたクラウスは眉を寄せて溜息をつく。
「婿殿。少しは、察して欲しい物じゃて。」
え?
エドワードは目をパチクリさせた。
「やはり、まだまだ経験が足りぬようじゃ。
本当の意思を隠して物事を進める事など
「貴族の常套手段」であろうに。
婿殿の素直さは美徳ではあるが、
悪意をもって仕掛けてくる奴等には付け入られる隙となる。
気を引き締める事じゃな。」
つまり、「奥向き」と言うのは口実で、
人払いするのが目的であったのか…。
「さて、時間が惜しい故、簡潔に話すぞよ。」
本題に入ったクラウスに気圧されながらエドワードは頷いた。
「明日も朝から軍議が有るのであろう?
そこで、婿殿。
ポルスカへの補給作戦を提案するのじゃ!」
ポルスカへの補給。
それは、包囲下に置かれた領都を救うには必須と言えた。
しかし、ザビネ公爵以下の諸侯が賛成してくれるはずもない。
「賛同が得られるとは思いません。
ザビネ公爵はポルスカ公爵の力を削ぐ事しか頭に無いようですし。
それに補給とおっしゃいますがその物資はどうするのです?」
「ワシが率いて来た部隊を使えば良いではないか!」
ニカっと笑うクラウス。
それを見たエドワードは慌てた。
「それは、いくら何でも強引すぎます。
帝国軍の補給物資なんですから、右から左とはいかないでしょう!」
「今回の補給部隊はな、
物資の全量を我がオストレーベから持ってきたのじゃ。
誰に渡そうが、他から文句を付けられる理由など無いぞ。」
帝国軍の補給は通常2段階になっている。
各領地から指定された集積地までは領地軍が運び
そこから前線までは輜重部隊が運ぶと言うシステムである。
物資は集積地についた時点で「帝国軍の物資」となり
それを所有していた貴族の勝手で動かすことなど出来ない。
だが、集積地を通さず直接に前線に持ってきたとしたら?
補給物資はそれを用意した貴族の所有物のままだ!
であれば、その物資をどう分配しようが
物資保有貴族の裁量内と言う事である。
「物資については良しとしましょう。
ですが、軍議において裁可されるのは見込めないかと…。」
やはり、軍議での状況を考えると悲観的にならざるを得ないエドワード。
「そこは、ちょいと仕込みをするでな。
ちゃんと裁可は降りるゆえ、婿殿は思う通りに発言すれば良い。」
クラウスの瞳を覗き込んでエドワードは
隠された意思をくみ取ろうとしたが、
小僧扱いされている自分では無理だと諦めた。
「分かりました。明日の軍議で強行補給作戦を提案します。」
クラウスは少し口角を上げるとエドワードにこう言った。
「うむ。明日の軍議で何が起きようと驚いてはいかんぞ。
良いな?」
エドワードの天幕を出たクラウスの前に
一人の男が膝付く。
「ご隠居様。例の件、調べがつきましてございます。」
「いかがであった?」
「ヴェストベルガー公爵が
今回の侵攻に関わっておられたのは、
間違いないかと。」
「やはり…のぉ。」
クラウスに報告している男。
彼は情報局に属する影の一人で
名をヤシークと言う。
答え合わせ旅でも護衛を務めた
クラウスが最も信頼を置いている情報局員の一人である。
クラウスは彼を立たせると
陣中に建てられた1番大きな天幕に
向かって歩き始めた。
「仕込みはどうじゃ?」
「そちらも、済んでおります。
明日の朝には『報せ』が飛び込んでまいります。」
「よろしい。では、明日の攻撃までに
敵陣に影を潜ませよ。
その後の手筈は説明してあるな?」
「はっ、抜かりなく。」
「よろしく頼む。」
歩きながらの打ち合わせを終えると
ヤシークは駆け去った。
天幕に着いたクラウスは
警護の兵に一枚のカードを差し出しながら
言葉をかけた。
「オストリーベ公爵様の使いで、クルトと申します。
侍従の方にお取り次ぎ、願えませぬか?
こちらを見て頂けば、用件はお分かりになるかと。」
差し出されたカード。
それには、満開のアマリリスが
描かれていた。
警護兵は首をひねりつつ
「しばし待たれよ」と言い置いて天幕へ入って行った。
警護兵からカードを見せられた侍従のモルコスは
一瞬、目を見開いたが、すぐに仕事用の顔に切り替えて言った。
「ここへ連れて来て下さい。丁重に。」
警護兵が外へ向かうと
モルコスはすぐに、仕切ってある帆布をくぐり抜け
皇帝マルティネス4世陛下の寝所へ入った。
「何事じゃ?モルコス。」
皇帝は寝台に腰をおろして
寝酒を楽しんでいたようだ。
「アマリリスが咲きましてございます。」
「あい分かった。連れて参れ。」
アマリリスが咲く。これは
「火急の用件があるため面会したい」
と言う意味の符丁である。
この符丁は皇帝が信頼を置く者、数名にしか教えていない。
クラウスはそのうちの一人なのだ。
侍従・控え室へ、モルコスが戻って数瞬で
警護兵がクルトを連れて来た。
「クルト殿!久しぶりですな。お元気でしたか?」
「ええ、ご覧の通りですじゃ。
モルコス様もお変わり無いようですな。
安心しましたぞ。」
「安心ですと?」
「そうです。何やらご心痛で髪が薄くなられたとか。
どうやら、根も葉もない噂だったようですな。」
「クルト殿。私はどこぞの公爵閣下ではごぞらんぞ!」
声を上げて笑いあう二人を警護兵は怪訝な表情で見ていたが
モルコスに促され控室を出て行った。
それを見送ったモルコスは表情を改めて、クラウスを促す。
「陛下がお待ちです。」
先ほどの朗らかさとは無縁の厳しい表情で、
モルコスは仕切りの帆布を横に開く。
クラウスも表情を引き締めて帆布を潜った。
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