第11話 オリンピック?なにそれおいしいの?

前回の投稿にレビューまでいただき感謝の極みであります。

少年時代の私が愛しいなどと…。

ただ自分の思うまま行動し、ちょっとした楽しみを

満喫していただけだったあの日々。


今思えば、ただただ幸せであったと感じる次第。



さて、2022/02/14現在、北京で冬季オリンピックが開催中である。


だが!私にとっては「なにそれ?おいしいの?」

といった感想なのだ。


かつては私もオリンピックに夢中になった。

TV中継にかじりついて各種競技を楽しんでいたものだった。


私がオリンピックに本格的に目覚めたのは

1972年の ミュンヘン大会からだった。


当時、日本は高度経済成長期で

「昨日より今日、今日より明日はより豊かになる。」

その事が確約されていると信じることができた時代だった。


それは生活のあらゆる面で実感されていて

家庭では自家用車や電化製品の普及。

40年前は家にクーラーがあるのがステータスだったり。

(当時はエアコンではなく夏の暑さを涼しく過ごすための

冷却単機能型家電が販売されていた。一台で冷暖房が出来る

エアコンは1980年代後半になってから普及している。)

サラリーマンの給与は右肩上がり。

エネルギー問題も原子力発電で解決できる! と

無邪気に全ての人々が信じていた「幸せな時代」。


そして、スポーツでも種目によってではあるけれど

国際大会で良い成績が出せるようになって

大いに日本人の自信を回復させたのである。

(敗戦・占領によって日本人の矜持・自信は打ち砕かれ

国際社会での地位は地に落ちた。)


1964年の東京大会・1972年の札幌大会で

いくつもの金メダルを獲得し

スポーツ分野で国際な活動に復帰できた事。

これは日本国民を大いに励まし

更なる国の成長へのエネルギーとなった。


と言うと大げさに聞こえるが

実際に大いに影響があった事は間違いない。


私が最初にTVでみた札幌大会。

70m級純ジャンプ競技で

(現在はノーマルヒル・ジャンプ競技)

日本人選手3名が金・銀・銅を独占したのを

リアルタイムで見た私は

子供心に

「すっげーーーーーーーー‼」と感動したものだ。


その時にオリンピックは凄い!と

刷り込まれと言っていい。


ミュンヘン大会は札幌大会と同じ1972年の夏に開催された。

当時は現在のように夏・冬の大会が

2年おきに開催されるのではなく同年中に開催されていた。

現在の形にいつからなったか記憶にないのだが

理由については……後ほど考察する。


さて、ミュンヘン大会は

日本で異様に期待感が高まっていた。


それは金メダルを狙える競技が数多くあったから。


レスリング・柔道・重量挙げ、そして男子バレーボールだ。


男子バレーボールは

東京大会で「東洋の魔女」と謳われ

金メダルに輝いた女子バレーボールに比べて

目立った成績を納める事が出来なかった。

しかしながら国を挙げての強化策が功を奏し

直近の国際大会で次々と好成績を上げて

オリンピックに出場できる事となったのだ。


男子バレーボール応援キャンペーンが行われるほど

期待されていたのだが

特筆すべきは応援アニメが制作・放映されたことだろう。

「ミュンヘンへの道」

これがタイトルである。


今現在もスポーツの世界大会へ出場をかけた

予選大会のスケジュールなどを指して

「○○への道」とか「ロードオブ○○」と

呼ぶこともあるが

最初にこの言葉を使ったのは

この「ミュンヘンへの道」だろう。


内容だが出場選手にスポットを当てて

日本代表に選出されるまでの経緯や

チーム内でのポジションや戦術の解説などが

メインだったと記憶している。

(既に50年ほど経過している。記憶違いはご容赦。)

全15回に渡って放送されて最終回は

オリンピック・バレーボール競技開催1週間前と言う

正に応援番組と言える作品だ。


特徴としてストーリーの部分はアニメーションなのだが

練習風景や試合の場面では実写映像が使われている

ハイブリッド構造をしている事だろう。

当時としては非常に斬新な手法で初めて見た時には

ビックリした。

しかも登場人物は全て代表選手・実名で登場なのである。

そのおかげで選手の名前などをしっかりと記憶でき

オリンピックの中継を見ていても各選手に入れ込んで

「○○!行け!」「○○!ナイスレシーブ!」などと

TVの前での応援に一端の声を上げたのものである。


考えてみれば。

試合に絶対などなく惨敗する可能性もあった。

もし。金メダルを獲得をできなかったら

男子バレーボールの黒歴史として

このアニメーションは抹消されていたかもしれない。

結果としては見事に金メダルを獲得した。

それまでの苛酷な練習を耐え、苛烈な試合を戦い抜いた選手達は

どれほど称賛しても足りないだろう。

その後も現在に至るまで日本のバレーボールは

男女ともに世界トップレベルを維持している。

その礎を築いたのが東京オリンピックの「東洋の魔女」であり

ミュンヘンオリンピックの男子バレーボール代表なのだから。


昔話が長くなった。話を戻そう。


これほどオリンピックに入れ込んでいた私が

なぜほとんど興味を示す事が出来なくなったのか?


行き過ぎた「商業主義」のせいが1つ。

もう一つが「意識的な情報遮断」によって

オリンピックの情報を取り入れなくなったからだ。


商業主義に関しては悪い面ばかりではない。


かつてオリンピックの金メダリストであっても

引退後は別の職業に就かなければ生活できない

なんてことはごく当たり前だった。

正しく「名誉のみが報酬」であり

これは古代ギリシアのオリンピックからすれば

「正当な報酬」である。


しかし現代において

「アスリートの努力に対する正当な報酬が名誉だけで良いのか?」

と言う意識が起き上がってきた。

実際、国威発揚を狙う国々はメダリストに

莫大な報酬を出している。

(その国の平均年収の数倍以上の賞金とか生涯年金とか)

しかし、先進国では、ほとんど報酬がなかった。

特に日本では政府による表彰で記念品をもらうくらいで

報奨金など全く無かった。


これではオリンピック後の選手達は

「あの努力は何だったのか…」と虚しさを感じて

競技から去るのも無理はない。

後進の育成のためコーチになれるのならましな方で

そうでなければ競技とは関係ない職業に就く。

でないと生活出来ないのだ。


これが変化したのはロサンゼルス大会だ。

民間企業の参入を認めた事で

(大会スポンサーを募集して

オリンピック・ロゴマークの使用権などを売り出した)

オリンピックは巨大な集金システムとなった。


元々は大会運営費を賄うためである。

(それまでは運営費は開催都市が全負担。

そのため運営決算は常に赤字であった。

このままでは立候補都市が無くなるとも言われた。)


ところが。

ロサンゼルス大会は大幅な黒字を出した。


オリンピックは金なる。


この認識が現在まで続く商業主義偏重の始まりだ。


企業スポンサーは大会運営だけでなく

アスリート個人にもスポンサードを始めた。

これは遠征費やウェア・用具を自腹で賄っていた

アスリートたちには朗報だった。

競技に専念できる環境が整えられ、より良い成績を

目指せるようになったからだ。


企業にとってもメリットは大きい。

そこらのタレントよりも知名度が高いアスリートは

抜群の広告効果をもたらす上に

有名タレントに支払うよりも格安でCMを作ることができる。


さらに良い成績を出した選手は「アドバイザー」などの

セカンドキャリアを手にするなど。

引退後の生活を心配しなくて良くなると言う

メリットがあるのだ。


アスリートが金の事を心配せずに競技に専念できる。


これはオリンピックの商業主義の良い面である。


その一方で、商業主義によって

運営が捻じ曲げられてしまう事もある。


特に競技の開催時間である。


オリンピックの収益の内、最も比重が大きいのが

TV放送権料である。

そして世界で一番オリンピック中継を視聴している国が

アメリカ合衆国。


最も多額の放送権料を支払ってくれる大得意先の

意向を無視するわけにはいかない。

故にアメリカで人気の高い陸上競技などは

アメリカ時間の夕方から夜にかけて行われる。

開催地がヨーロッパであればさほど時差がない為

余り問題にならないのだが

アジア地域だと大きな影響が出てくるのだ。


現在開催中の北京大会でもフィギュアスケートが

日本時間の12時頃に行われている。

フィギュアスケートは冬季大会の華である。

本来なら開催地の夕刻から始めてもごく普通だと思うのだが。

奇妙な違和感を感じずには居られない。


そして。

商業主義偏重はIOCを変化させてしまった。


あくまで適正な運営と公平なジャッジのための組織が

IOCに金を集めるための組織に変貌しているのだ。


前段の方で夏・冬の大会が同年に行われていたのが

2年おきに分割されたことを指摘した。

これも商業主義によるものだ。


オリンピックと言う世界的なスポーツイベント。

そのスパンは4年である。

同年に開催した場合、次の大会まで4年の間隔が開く。

スポーツイベントを4年を1サイクルで考えると


サッカー・ワールドカップ。

ワールドカップ・ラグビー。

オリンピック・夏。

オリンピック・冬。

この4大会が行われる事になる。

もし、オリンピックが同年に開催されると

4年の内、1年が何も開催されないブランクとなる。

大会開催の偏りをなくすために分割した……

とは建前で本当のところは

「そうした方が金が集まる」からであろう。


スポンサー企業にしてみれば

オリンピックに多額のスポンサー料を払うのに

一年のうちに2回も支払うことは避けたいだろう。

当然、一括での契約を希望するだろうが

そうなるとIOCとしては収入が減る。

そこで夏・冬を分ければ、それぞれ1回分の収入を

得ることができる。

実にセコイとおもわないか?(笑)


放送権料の問題もある。

現在は放送権料はIOCへ払われて、後に開催都市へ

分配されるようになっている。

だが、その大部分をIOCが取り、開催都市の取り分は

かなり少額となっている。


最近のリオデジャネイロ大会では

運営決算は大赤字だった。

おそらくは放送権料を当てにしていたが

その当てが外れたのではないだろうか?


以上、書いてきた通り。


「スポーツの祭典」からかけ離れた

「IOCの集金イベント」になってしまった

オリンピックには興味を持てなくなったのである。



少々、長くなった。


もう一つ理由である

「意識的な情報遮断」については

次回に書かせていただく事とする。



今回はここまで。














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