第25話 「前公爵 クラウス・オストレーベは暗躍を楽しむ」 7
クラウスはオストレーベ公爵家の長男として生を受けた。
健康に成長し齢を重ね、20歳で公爵位を継承。
そして30年間、当主として公爵領の統治を行ったのである。
統治方針は「富国強兵」とし、その為の改革を精力的に進めた。
領地の開墾、水利の整備によって農業生産力を増大。
物流の活性化を図るための街道整備。
職人ギルドへ補助金を出して新技術を開発させたり、
商業ギルドを分割させ、独占させずに各ギルド間での
競争を促して経済を活性化させる。
これらの政策は概ね成功を納め、
オストレーベ公爵領を大いに発展させた。
もちろん、改革には痛みを伴う物もあったし、
既得権益の再編が必要な物もあり
家臣・官僚からの反発は大きかったが
「全ては民のためである。」
クラウスはその度に、反発する家臣・官僚にそう答え、
彼らを黙らせて改革を進めたのである。
父公爵は「貴族らしい貴族」だった。
領内の軍・財・民の全ては己の所有物であり
自由にできる物である。
そう言った考えの下での統治だ。
それは「自己満足のための政策」を生み
社会の実状を顧みることなく実施された。
当然、そんな政策は効果を上げることはまれで
オストレーベ公爵領は発展から停滞、そして衰退へと
ゆっくり進んで行った。
クラウスは10歳頃から父公爵の統治に疑問を抱いた。
所用で街に出ていくと、公爵家の馬車に領民たちは
恨めし気な、あるいは軽蔑するような眼差しを向けてくる。
「貴族とは皇帝を守り、領地を守り、民を守る者である。」
常々、そう教育されてきたクラウスは
「なぜ、こんな不快な視線に晒されなくてはいけないのだろう?」
そう思った。
その疑問を押さえきれなくなったクラウスは家庭教師に尋ねてみた。
なぜ、民たちは恨めし気な視線を向けて来るのかと。
家庭教師は言葉に詰まったが、クラウスの目を見て口を開いた。
「おそらくは…。
閣下のなさることが民たちへの負担になっているのでしょう。」
表現を選んで紡がれた言葉。
しかし、クラウスはその裏に隠された意味に驚愕した。
「父上がなさることで民が苦しんでいるだと⁈」
自分や兄弟には優しく、執務室では堂々とした態度で
政務に向き合う立派な父上。
そんな父上が民を苦しめている?
信じられなかった。
では、民たちの視線はどうしてなのだ?
思わず上げたクラウスの大声に首をすくめた家庭教師は
背筋を再び伸ばして言葉を紡ぐ。
「全ての物事には良い面と悪い面、裏と表があるのです。
良かれと行われた事が、当事者にとって最悪であったと言う事も
少なくありません。」
クラウスは家庭教師の言葉を嚙み砕いて飲み込むと
もう一度、問いかけた。
「そのようにならぬ為には、どうしたら良いのか?」
「自ら物事を知る事ですな。
正しい知識は、さまざまな物事の判断にとって最重要です。
民たちの実情、隣国の情勢、他公爵家の動向。
それらを「正しく知る事」でクラウス様は「正しい道」を
進んでいくことが出来るでありましょう。」
人として、領主として。
正しい判断をするには正確な情報を手に入れた上で
考察しなくてはならない。
と言う事なのだ。とクラウスは理解した。
では、先ほどの家庭教師の言葉は…。
(クラウス様は……)
つまり、父上は実状を知らない…
いや、知ろうともしない領主失格な人物であると?
選び抜かれた言葉の裏に辛辣な批判が隠されていた。
その後は雑談となり、そのまま終了時間となった。
帰り際に家庭教師はクラウスに告げる。
「私は今日をもって辞職いたします。
まだまだお教えしなくてはいけない事もありますが…。
理由については、お分かりですよね?」
分ってしまった。
ハッキリと口にした訳では無いが
領主の施政を批判・否定したのだ。
そんな自分は公爵家長男の家庭教師には相応しくない、
と思ったのだろう。
きっと彼にも領主に対して思う事があるに違いない。
それを感じたクラウスは引き留める事など出来なかった。
「今までの講義に感謝します。
貴方の最後の講義は胸に刻まれました。
これからは、それを「座右の銘」として生きていこうと思います。」
クラウスは右手を彼に差し出した。
彼は驚いたが、ゆっくり微笑むと右手で握り返して
力のこもった握手を交わした。
「クラウス様が良き領主となられる事を願っております。」
その翌日からクラウスは行動を開始する。
まずは、民たちの実状を知るために変装して
領都市街へ出掛け、街の平民たちと交流を図った。
ある時は一人で。
ある時は平民に変装した騎士とメイドを連れ、
親子を装って。
屋敷に籠っている時には知ることも無かった街の事情。
クラウスは自分の世界が実に狭い物だったと思い知り
積極的にそれを広げていった。
3年後。
領都で数々の人脈を築いたクラウスは
「民たちの声」を収集する組織を父公爵にも秘密にして創設した。
民たちの「生の声」をクラウスに届け、
領都の現状を知らせる組織である。
その情報に触れたクラウスは一つの確信を得た。
「この世は平民によって成り立っている。
貴族は彼ら無くして存在できない」のだと。
公爵領の衰退を食い止め、発展させるには
平民の力が必要不可欠なのだと。
今は公爵家の嫡男でしかないが、
いずれ爵位を継いで当主となった時には
平民を富ませ、その力をもって領内を発展させる。
13歳にしてクラウスは未来の領地経営の指針を定めたのである。
そして、爵位を継いだクラウス。
次々と改革を断行し、平民の力をつける事に成功した。
その力は、30年でオストレーベ公爵領の領内生産額を
2.4倍にする事になったのである。
クラウスは民声情報室を領内全域へ拡大し
その情報を基に、きめ細やかな政策を実施した。
それによって、彼は二つ名を得た。
「最良の公爵閣下」と。
領民から二つ名を贈られるほどの名君と
呼ばれるようになったクラウスだったが
自身はいつも不安を抱えていた。
「私の政策は本当に民のためになったのか?」と。
民声情報室の報告を見る限り、良さそうであるが、
実際に自分の目で確かめて見ないと安心できなかった。
短期的には良くても、長期的には間違っていたりすることも
あるだろう。
また社会の変化に適応出来ていない政策もあるはずだ。
領主と言う立場ゆえに
現場を自身の目で見て「生の声を聴く」ことも難しい。
もどかしい思いを抱えつつ30年を過ごしたクラウスは
隠居して「答え合わせ」の旅に出た。
その行く先々で見た物は、
領民たちの幸せそうな笑顔と楽し気な笑い声。
それを確認したクラウスは
背負った荷物をやっと降ろせたような
安堵感に包まれるのだった。
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