第34話 なんか、嫌だったんだよ

『タイヤウォーズ2年生の部は、白軍の勝利です』

「――ありがとうございましたッ!」

 生徒たちの声が響く。両軍の生徒たちがフィールドからはけていく。赤いハチマキをした列の中で、七三分けに銀縁眼鏡の少年が唇を噛みしめる。トラックを横切り、生徒の席に辿り着いたところで……立ち止まり、重力に耐えきれなくなったかのようにしゃがみ込んだ。

「……東堂くん?」

 その後ろで、長い前髪の少年が立ち止まる。どこか心配そうなその声に、東堂は顔を上げることも叶わない。ただ、絞り出すように呟いた。

「……何も言わないでくれないか、上北かみきたくん。今は……一人にしてくれないか?」

「……」

 俯き、上北と呼ばれた少年は唇を噛みしめた。その口元が震え、どこか泣きそうな息遣いが響く。夏風が彼の前髪を揺らすけれど、その表情はいまだ見えなくて。彼はただ、大切な人の顔の傷をいたわるように口を開いた。

「……俺、東堂くんがあの不遜な顔を取り戻すまで、待ってますから」



きざしー!」

 駆け寄ってくる小柄な影に、兆は三白眼をそちらに向けた。弾丸のように飛び込んでくるアイボリーブラックに向き直り、淡く笑顔を浮かべる。

「……佳代」

「兆、兆! 僕、やったのだぁ!」

 興奮冷めやらぬのか、頬をほの紅く染めて声を上げる佳代。アーモンド形の瞳は子供のように無邪気に輝いていて、テンションに合わせて足先が軽く上下して。そんな無邪気さがひどく眩しくて、兆はふっと目を細める。

「よかったな。おめでとう……か?」

「ふふ、ありがとうなのだ。兆のおかげなのだっ!」

「は……?」

 思いもよらぬ言葉に、兆は思わず三白眼を見開く。対し、佳代は太陽が輝くような笑顔を浮かべた。兆の三白眼をじっと見つめ、花束を差し出すように口を開く。

「あの時、兆がああ言ってくれたから、僕は頑張れたのだ。兆がああ言ってくれて、僕はすごく……すごく嬉しかったのだ!」

「……佳代」

 ふわり、爽やかな夏風が兆の髪を揺らす。佳代の声は、高く鳴り響く鐘の音のように兆の胸を打って。心臓が緩やかに鼓動を高鳴らせてゆく。夏を閉じ込めたような熱が全身を満たしてゆく。頭が痺れるようで、それでも、花の香りに満たされたように心地よくて。

「……なんか、嫌だったんだよ。お前があの程度のことで諦めるだなんて」

 思わず佳代から顔を逸らし、ぼそりと呟く。そんな横顔を佳代は瞳を瞬かせながら見つめ……桜の花がほころぶように、ふっと目を細めた。



「――よろしくお願いしますッ」

 赤と白、フィールドの両側で二色のハチマキが揺れる。赤陣営には華やかなアッシュゴールドの髪の少年、白陣営には派手な金髪に緑のカラコンが入った瞳。紺色のジャージの胸に手を当て、憲太郎は勢いよく顔を上げる。土手の上の保護者席を見上げ、自信ありげに口元を吊り上げた。

 その視線の先で、濡羽色の髪が揺れた。オリーブ色のパーカーに包まれた腕が盛大に振られる。大切な兄が見てくれている。ならば、醜態を晒すことはできない。

 三人のクラスメイトが憲太郎のもとに集い、彼の緑色の瞳に視線を合わせる。対し、憲太郎は堂々と胸を叩いて見せた。

「そんじゃ、皆! いっちょブチ上げて行こうじゃん!!」


 彼が出場する協議は騎馬戦だ。三人の生徒たちの上でバランスを取りつつ、憲太郎は華やかなアッシュゴールドを見つめる。全体的に左側に流され、右側は頭皮に沿って編み込みがなされた髪。鋭いはしばみ色の瞳。指定ジャージの下には、血のように赤いTシャツ。――ライバルチーム『Rising Dragon』の頭、勝浦圭史。離れた場所で見つめ合い、二人は見つめ合う。

『それでは――開始です!』


 笛の音が高らかに鳴り響く。同時に、生徒たちは縄を解かれたように駆け出した。各々獣のように組み合い、互いのハチマキを狙い合う。示し合わされた演武のような戦いの中、憲太郎は圭史の騎馬に向かって駆けてゆく。

「――勝浦パイセン! ちっと胸、貸してくださいよぉ!」

「ああ――望むところだ」

 二つの騎馬が激突する。憲太郎の手が伸び、圭史のハチマキをかすめ――しかし、その寸前で圭史は片腕を伸ばした。ハチマキを狙う手をガードし、弾き飛ばす。

「……ッ!」

 ハンマーのような強い打撃。思わず体勢を崩しかけ、踏みとどまる。憲太郎は深く息を吐き――ニッ、と好戦的に笑った。

「ハハッ……やっぱこうじゃなくちゃな! 今度こそ決着、つけさせてもらうぞ!」

「あの時はうやむやになったからな……ああ、正々堂々やり合おうじゃねえか」

 緑色とはしばみ色の視線が交錯する。獰猛な笑顔と剣のような表情が睨み合う。二対の腕が伸び、互いのハチマキへをさらおうと、あるいは攻撃からハチマキを守ろうと、複雑な軌道を描く両腕が交錯する。


 白いハチマキに伸びた腕を弾き飛ばし、憲太郎は歯を見せて獰猛に笑う。ここで勝たなければ、チームに迷惑がかかってしまう。今までもそこそこ振り回してきた自覚があるし、それは避けたい。何より、兄にみっともない姿は見せたくなくて。上半身を大きく動かして圭史の腕を回避し、鋭く腕を伸ばす。

 それを半身を軽くひねって回避し、圭史は軽く手をはたき落とした。そのまま鋭く片手を伸ばし、ハチマキを狙う。彼にも『Rising Dragon』がある。仲間たちに醜態は見せられないし、『イソップタシット』に主導権を握られることも避けたい。何より……と、彼は軽く視線を動かした。応援スペースで揺れる、特徴的な桃色の髪。不思議と彼の中で大きな存在感を持つ彼を想い、圭史は腕を伸ばす。

 しかし、その腕はクロスした両腕でガードされた。緑色の瞳が獰猛に輝く。勢いよくその腕を弾き飛ばし、憲太郎は騎馬に合図を出して圭史の後方に勢い良く回り込む。そして、汗ばむ片手をハチマキに伸ばした瞬間――


 ……無慈悲に、笛の音が鳴り響いた。

「え……?」

「試合終了……か」

 呆然と両手を浮かせたままの憲太郎に対し、圭史はおもむろに手を下ろす。結果は……圭史が属する紅軍が2本、憲太郎が属する白軍が1本。だが、圭史と憲太郎の戦いには、決着がついていなくて。

「うわぁ……俺、こんな負け方嫌だよ? 正々堂々戦って負けたのなら、まだ納得いくけどさ……」

「……気にするな」

「情けならやめてくれない?」

「情けじゃない」

 言い放ち、圭史はそっと片手を差し出した。緑色の瞳で呆然とそれを見つめる憲太郎に、促すように口を開く。

「俺もお前も、ひとつのチームの頭。孤独な者に居場所を与える人間。……少し考えればわかるだろう? 二つのチームは拮抗していた方が、色々と都合がいい」

「……」

 ひどく乾いた言葉に、憲太郎はゆっくりと俯く。確かに、趣向の異なった二つのチームが存在する方が、色々と都合がいいだろう。対立するチームがあればそちらにフラストレーションを向けることもできるし、勢力も拮抗していた方が、一方的な八つ当たりなどを防ぐこともできる。しかし、憲太郎は半分と少ししか理解できていないように首を傾げた。

「……そういうもん?」

「ああ。だから……これでいいんだ」

 憲太郎は、緑色の瞳で圭史の片手を見つめた。そっと手を伸ばし、武骨な手を握る。かすかに口元をほころばせる圭史に、憲太郎も皮肉げに薄く笑ってみせるのだった。

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