第16話 盗んだバイクで走りだしたい年頃なのだ?

「あー……最悪」

 放課後の路地裏で、派手な金髪が梅雨の風に揺れた。カラコンが入った緑の瞳が瞬き、前開けにされたYシャツがそよぐ。短い髪の毛先だけを青く染めた少年が、彼の隣に腰を下ろし、かくりと首を傾げた。

「どした、ケンタロー?」

「いや、なんか腹立つっつーか……何なんだよ、あいつ」

「あぁ、2の3の編入生?」

「じゃなくて、国近だよ国近」

 苛立ったようにアスファルトを指先で叩きながら、憲太郎は呟く。まるで世界の理不尽に抗議するように、スズメバチに蜜蜂が群がっていくように。

「わざわざチクることなくね? 佐々木も『イソップ』じゃ下っ端の方だし、どう使おうが俺の勝手じゃね?」

「まーなー。ガムいる?」

「いらね」

 差し出されたガムを突っぱね、憲太郎は空を見上げる。暗雲が立ち込める空からは、今にも雨が降り出しそうだ。ガシガシと頭を掻き、憲太郎は苛立ったように呟く。

「もうちょっとで騙し通せるとこだったのにさ、何なのあいつ。アレさえなければ普通にスルーできるとこだったのに。マジ何なんだよ、最悪なんだけど」

「まー、気持ちはわかるわ」

 乾いた笑いを吐き出し、青髪は大きく伸びをした。八重歯を覗かせて口元を吊り上げ、どうでもよさそうに言い放つ。

「って、風紀委員の方はどうでもいいわけ? あの編入生が来てから、やれ服装頭髪検査だの持ち物検査だの、めんどくさくなったじゃん」

「いや、それはいいんだよ。ペナルティとか全然課されないし。スルーさえすればどうにでもなるじゃんね? っていうか佳代ちゃんもスルースキル身に着けなよ。いいじゃん、たかが校則くらい」

「お断りなのだ!」

「なんでだよ、ちょっとくらい……ええっ!?」

 顔の上に小柄な影が落ち、憲太郎は何気なく視線を上げ――反射的に立ち上がり、思わず飛び退った。梅雨の風にアイボリーブラックのふわふわ髪が揺れ、意志の強そうなアーモンド形の瞳が彼を凝視している。

「佳代ちゃん!? 何やってんのこんなとこで!?」

「なにって、パトロールなのだ」

「お、編入生の風紀委員じゃん。宿題は?」

「とうのとっくに終わらせたのだ……っと、初めましてなのだ。勘解由小路かでのこうじ佳代なのだ」

「お、おう。3年8組の志間しまだけど……」

「いや、何自己紹介してんの志間っち」

 律儀に自己紹介を返す青髪――改め、志間に突っ込みを入れ、憲太郎はしっしっと片手を振る。

「ごめん、俺今イラついてんの。佳代ちゃんに構ってる余裕ないっていうか。それ以前に佳代ちゃん、なんでいんの? ここ『イソップ』の領地なんだけど」

「何を言ってるのだ? ここは日本国の領土なのだぞ?」

「そうじゃなくてさ……」

 再びガシガシと頭を掻き、憲太郎は天を仰ぐ。相変わらず黒々とした雲に覆われた空を見上げ、面倒そうに佳代に視線を移した。

「あーもう、マジ話通じない。帰って」

「お断りなのだ。ちょっと話をさせてくれなのだ」

「は? 嫌に決まってんじゃん、帰って」

「そもそも君たちは何ゆえ校則を破るのだ?」

「聞いてねえし……ねえ助けて志間っち……あれ?」

 気付いた時には志間の姿はなくて、憲太郎は緑色の瞳をぱしぱしと瞬かせた。一気に重力が二倍になったかのように肩が重くなって、彼は肺の空気をすべて吐き出す勢いで溜め息を吐く。疲れ果てたように佳代に視線を向け、観念したように両手を上げた。

「わぁかったよ。話が終わったらすぐ帰ってよね」

「よし、いい子なのだ」

「俺は犬なの?」



「では、改めて問うのだ。君はどうして校則を破るのだ?」

 佳代の問いかけに、憲太郎は気まずそうに視線を逸らした。カラコンが入った緑の瞳に、痛みをこらえるような色が浮かぶ。しかし瞬きひとつでそれを拭い去り、憲太郎は皮肉げな笑顔を浮かべた。

「……世界への反抗……かな」

「なんなのだそれは。中二病なのだ?」

「あーごめん、くさいにも程があるよね。忘れてちょ」

 あっけらかんと両手を振り、憲太郎は読めない笑みを浮かべた。派手な金髪が初夏の風に揺れる。アーモンド形の瞳に見つめられ、憲太郎は言葉を探しあぐねるように視線を左右させる。佳代は腰に手を当て、彼を見下ろしながら言葉を待った。やがて憲太郎はおもむろに視線を上げ、口元にどうでもよさそうな笑みを貼りつける。

「じゃあ逆に聞くけどさ、佳代ちゃん。なんで校則、守んなきゃいけないわけ?」

「それは社会のルールを守れる人材を育成するためなのだ」

「そんなの小中学校だけでいいじゃんね。高校行ってまであーだこーだ言わなくてもよくない?」

「良い習慣は抜けやすく、悪い習慣は抜けにくいのだ」

「でも大学生は普通に髪染めてるし、制服もないよ?」

「大学生にもなれば流石に良識とかをわかってくるはずなのだ。というか本来、そういうことは高校生までで身につけておくべきなのだ」

「……ふーん」

 すっと目を細め、憲太郎は緑色の瞳で佳代を見つめる。頭の後ろで腕を組むと、紺のスラックスから出されたYシャツの裾が風にはためいた。

「そういうの、大人の言いなりになってるみたいで嫌なんだよね……俺は俺らしくやりたいっていうかさ」

「盗んだバイクで走りだしたい年頃なのだ?」

「そうそう、行く先もわからぬまま。尾崎豊割と好き……って、そうじゃなくてさ。あーもう、嫌なこと思い出した」

 三度みたびガリガリと頭を掻き、憲太郎は立ち上がった。Yシャツの裾をひらりと翻し、佳代に背を向けて歩き出す。

「どうしたのだ、上原かんばらくん?」

「聞かないで。……聞かれたら俺、キレそうだからさ」

 そう呟き、彼は風を切って歩き出す。真っ赤なスニーカーが重い音を立ててゆく。佳代はそれを追いかけようと一歩を踏み出し……はた、と止まった。それはきっと、何も知らない佳代が踏み込んでいい領域ではない。兆とはわけが違うのだ。一度唇を引き結び、キッと彼の後ろ姿を睨みつける。すぅっと息を吸い込み、太鼓を叩くように言い放った。


「――逃げるような真似だけは絶対するな、なのだッ!」



「おっと、ケンタロー君。こんなとこで何やってんだ?」

「……ッ!」

 唐突にかけられた声に、憲太郎は思わず顔を上げた。拳を振り上げ、声の主を殴り飛ばそうとする。しかし、突きつけた拳は空を切った。黒髪の中で赤メッシュが揺れ、嘲笑うような声が響く。

「やっぱイラついてる? ねぇねぇ今どんな気持ち?」

「うるせぇよ……元はといえばテメェのせいだろうが」

「いや、ケンタロー君が佐々木君に濡れ衣着せようとしたからだからね? 自業自得ってやつだよ」

「……ッ」

 ぐうの音も出ないとはこのことか。緑色の視線を逸らす憲太郎に、赤メッシュこと国近は頭の後ろで腕を組んだ。からかうように目を細め、意地悪げに口を開く。

「君がずっこいことするから悪いんだよ? 大人しくしてりゃいいのにさー。っていうかがそんなんじゃ、メンツもついてこないと思うけどねぇ……」

 ゆっくりと手を下ろし、片手を上げる。その指先が憲太郎の眉間を刺し、罵倒するように口元が微笑みを浮かべた。

「――『

「……ッ!」

 思わず拳を振り上げ、国近を殴り飛ばした。彼は抵抗することなく顔面を殴られ、ゴロゴロと転がっていく。きょとんと見上げてくる国近に歩み寄り、憲太郎は彼の腹を何度も足蹴にした。ぼこぼこと布袋を殴るような音が響く。

「どうでもいいんだよ……頭なんだから、何やったって、許されるだろ!? 俺はやりたいようにやりたいんだよッ! いいだろ、好きなように生きたって……!」

「……はは……くっだらねぇ」

「はぁ!?」

 先程スルースキル云々と佳代を批判していた面影はどこへやら、ひどく血走った瞳で自らを睨む憲太郎に、国近は掠れた声で笑いを吐き出す。

「……そんな身勝手な……そんなんで『ライドラ』に勝てると思うなよ?」

「――ッ!!」

 それはまるで、人間を嘲笑う悪魔のように。ひときわ強く彼を蹴りつけ、憲太郎は国近から視線を外した。何かに憑りつかれたように足早に彼のもとを離れ、ふと振り返る。アスファルトに唾を吐きつけ、言い放った。

「……テメェ、許さねえからな……」

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