第17話 どうすりゃいいってんだよ

「……どうすりゃいいってんだよ」

 窓から差し込む月明かりに、派手な金髪が輝く。カップラーメンのスープを飲み干し、憲太郎は容器をゴミ箱に投げ込んだ。それは綺麗な放物線を描いて伸びて、ゴミ箱の縁に当たる。軽い音を立てて跳ね返され、カーペットにころころと転がった。暗い部屋に舌打ちが響く。続いて割り箸も投げ込んだが、それもゴミ箱の縁に跳ね返されて、薄青いカーペットの上を数度跳ねる。不貞腐れたかのように溜め息を吐き、彼は立ち上がった。オフホワイトの壁を殴りつけ、唇を噛む。

「……どうすりゃいいってんだよッ!」

 何度問うても、答えが出る気配はなくて。壁を殴りつけた拳がじんじんと痛み、彼はゆっくりと手を下ろした。ボディバッグに財布とスマホだけを突っ込んで、制服を着替えることすらしないままに部屋を出ていく。


「ん、憲太郎? どした?」

「うるせえよ兄貴……放っといて」

 後ろからかけられた声に、憲太郎は振り返りもせずに廊下を渡っていく。しかし、軽い足音は飼い犬のように彼を追いかけた。人懐こい愛玩犬のような声が後ろから降ってくる。

「なんでだよ。俺たち兄弟だろ?」

「……」

 降ってくる声色は、憲太郎のそれをコピーしたかのように似ている。だけどそんな声色は、ただただ耳障りだった。

(……兄弟だなんて、思いたくないよ……)

 よくできた兄。都内でも三本の指に入る進学校に通い、その中でもトップクラスの成績を収めている兄。それに引き換え、三流私立高校でくすぶっている自分。彼らの間の溝はクレバスのように深くて、憲太郎は兄に視線を向けることもなく歩いてゆく。

「ご飯できてるよ」

「要らない。カップラーメン食べたし」

「それだけじゃお腹すくだろ? 今日のご飯、ハンバーグだよ」

「要らないって……出かけてくる」

「ちょ、待てってば」

「――放っておけ」

 さらに後ろから氷のような声が響いて、軽い足音はぴたりと止まった。憲太郎もつられて足を止めかけて、無理やりに足を前に向ける。父親の声。ひどく冷たい、木枯らしのような声。

「……ッ!」

 耐えきれず、憲太郎はYシャツの裾を翻して駆け出した。……今はただ、この息苦しい家を飛び出したくて。



「ありがとうございましたー」

 女の店員の声を振り払うように、足早にコンビニを出ていく。小さな袋の中で揺れるのは、筆ペンとコピー用紙。それらを乱暴に揺らしながら、更けてゆく夜の中を風を切って歩いてゆく。


『……はは……くっだらねぇ』

 記憶の隅で、赤メッシュが入った黒髪が揺れた。嘲笑うように言葉を吐き出し、国近は憲太郎に見下すような視線を向けてきた。それはまるで聖人が振るう剣のようで、彼は記憶を振り払うように頭を振る。


『――放っておけ』

 父の声が、氷を打ち鳴らすかのように響く。両親は憲太郎のことなど、どうせ見てはくれなくて。そこそこ広い一軒家だが、彼の居場所はそこにはない。元々憲太郎は勉強は苦手だった。どんなに努力しても、兄に追いつくことはできなくて……いつからか、努力することすら馬鹿馬鹿しくなって。


「……くそっ」

 唇を噛むと、細い紅色が顎を伝った。カラコンで緑色に偽った瞳が虚ろに輝く。足早に夜の街を過ぎる憲太郎の脳裏で、アイボリーブラックのふわふわ髪が揺れた。アーモンド形の瞳が、騎士が振るう槍のように彼を突き刺す。


『――逃げるような真似だけは絶対するな、なのだッ!』

「うるさい……うるさい、うるさいうるさいうるさい!」

 佳代は何もわかっていない。今更立ち向かうなんてできっこない。やさぐれた子供のように唇を噛みながら、憲太郎はひたすらに足を動かしてゆく。



「たっ、大変です圭史さん!」

「なんだよ、そんなに慌てちゃって……何かあったわけ?」

 バタバタと大きな足音を立て、白いYシャツに身を包んだ人影が廃ビルの広間に乱入してきた。ゲームをしたりスマホをいじったり、思い思いの放課後を過ごす男子たちの視線が一気に彼に集中する。肩で息をする彼をいさめるように一歩前に出て、国近は彼がつき出した白い封筒を奪い取った。窓際で煙草を吸っていた圭史がちらりと彼に視線を向け、白い煙を吐き出す。国近は赤メッシュが入った黒髪を揺らし、封筒を受け取ろうと片手を伸ばした。

「なにそれ。よこして」

「は、はい……」

「サンキュ……って、マっ!?」

 ――暴発した銃のような声に、爆竹がぜるようにその場の空気が震えた。圭史の隣でぼんやりと外を眺めていた兆が、グロッシーブラックの髪を揺らして勢いよく振り返る。大股で彼に歩み寄り、白い封筒を覗き込み――目の前の文字を信じられないとでもいうように、息を呑んだ。


「――果たし状ッ!?」

「キザッシー声でかい!」

「す、すまん」

 ぴしゃりと言い放ち、国近は窓に寄りかかっている圭史に歩み寄った。恐る恐る白い封筒を差し出し、ひどく硬い声を絞り出す。

「……こちらになります」

「ありがとう」

 ピッと指先で受け取り、圭史は封筒を丁寧に広げた。はしばみ色の鋭い瞳が、白の上に踊る筆文字を追いかける。国近が喉を鳴らし、兆が静かに俯く。左側に流された圭史の髪が、初夏の風にさらりと揺れた。


果たし状

 『Rising Dragon』との決闘を申し込む。

 今週土曜日、『イソップタシット』一同、拠点にて待つ。

                『イソップタシット』代表 


「……決闘、か」

 無骨な指で丁寧に封筒を畳み、圭史はそれをポケットに仕舞う。硬い足音を立てて広間の中心に立ち、カッと目を見開いた。刹那、雷に打たれたかのように空気が震える。蛇に睨まれた蛙のように身をすくませる『Rising Dragon』メンバーたちを睥睨し、圭史は堂々と言い放つ。

「お前らッ! 『イソップ』の奴から果たし状が届いた。俺はこの挑戦、受けようと思う。そして連中は例によって総当たり戦で挑んでくることだろう」

 一呼吸を挟み、圭史は直立不動の体勢を取るメンバーたちを一人一人眺め回した。大きく息を吸い、再び夜の猫のように目を見開く。雷鳴のような声が廃ビルの一室をつんざいた。

「――お前らぁ! 覚悟はできてるんだろうなぁ!?」

「はいッ!!」

 ――地を揺らすような声が響いた。少年たちの瞳に炎のような光が宿る。これ以上、何一つとして失うわけにはいかないと。

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