第28話 応援とか応援とか応援とか!

「……は?」

 アーモンド形の瞳が、きょとんと見開かれる。夕暮れの校門前に長い影が落ちる。何を言っているのかわからない、とでも言いたげに瞬きを繰り返す佳代から、きざしはばつが悪そうに視線を外した。どこか申し訳なさそうに目を伏せる彼に、佳代はわちゃわちゃと両手を動かしながら問いかける。

「ちょっと話を整理させてくれなのだ。まず、兆は東堂と名女川なめがわ先輩が話しているところに出くわした、のだよな?」

「ああ」

「それで、僕を目の敵にしている東堂は名女川先輩を抱き込もうとして、にべもなく断られた……」

「そうだ」

「……で、何故そこで僕と東堂が勝負することになるのだ?」

「頼むから俺に聞かないでくれ……」

 無事な方の手で額を押さえ、兆は深く溜め息を吐いた。佳代は困ったように頭を掻き、キッと顔を上げた。徐々に茜色に染まりつつある空が、ひどく真っ直ぐに彼の表情を照らし出す。

「とりあえず、名女川先輩に連絡を――」

「あ、いたいた!」

 唐突に響いたハイトーンボイスに、二人は弾かれたようにそちらに顔を向けた。派手なピンク髪が夕日に反射してきらめき、Yシャツの上に羽織られた黄色の半袖パーカーが風に膨らむ。

「噂をすれば。名女川先輩、こんにちはなのです」

「ちゃす」

「ねー佳代ちゃん、なんか大変なんだよ! あのね、なんか生徒会のよくわかんない人が――」

「あ、聞いたのです」

「ふぇ?」

 はしばみ色の瞳をきょとんと見開き、陽刀ひなたは小動物のように首を傾げる。そんな彼に一歩近づき、兆は浅く息を吸い――勢いよく頭を下げた。

「すんません……!」

「ほぇ?」

「き、兆!?」

 反対側に首を傾げる陽刀に、兆はアスファルトを見つめたまま声を張り上げる。それはまるで、主に許しを請う武士のように。

「その辺通りがかったら聞こえちまって……東堂の奴、あそこまできたら話聞かないだろうし、だったら佳代に伝えた方が早いと思って……すんませんした……」

 徐々に尻すぼみになっていく言葉に、陽刀ははしばみ色の瞳を瞬かせながら耳を傾けた。あたふたと二人を見比べる佳代をよそに、陽刀は兆の後頭部をしばし眺め……不意に、ふっと瞳を細めた。苦虫を嚙み潰したような、微妙な表情が愛らしい顔を彩る。

「……や、そんな謝られても困るんだけど……」

「……はい?」

 思わず顔を上げた瞬間、陽刀の手が伸び、思いっきり額を弾かれる。銃弾でも撃ち込まれたかのような衝撃が頭部に走り、視界に勢いよく星が飛ぶ。兆は思わず後方に数歩よろけつつも、なんとか踏みとどまり、無事な方の手で額をさする。

「ちょ、何するのですか名女川先輩! 怪我人に向かって!」

「デ、デコピンしたくなるおでこだったから、つい……てへっ?」

「てへっ、ではないのですよ! 大丈夫なのか、兆!?」

「だ、大丈夫だ……すっげぇ痛ぇけど……」

 兆の三白眼が痛そうに細められ、その端には涙すら浮かんでいる。佳代は深く溜め息を吐き、キッと顔を上げ――勢いよく頭を左右に振った。アイボリーブラックの髪が西日を浴び、ふわふわと揺れる。

「というか! 何故、東堂は僕に直接言わなかったのだ!」

「それはボクも思ったよ。決闘するなら面と向かって手袋投げつけて『手袋を拾いたまえ!』ってやらなきゃー」

「いつの時代ですかそれ……って、そうじゃ、なく、てッ!」

 ひときわ大きく腕を振り、佳代は指揮者のように深く息を吐いた。一周回って冷静になったのか、秋の空のように清々しい笑顔を浮かべる。

「なんにせよ、僕のすべきことは変わらないのだ。この手に勝利をつかむのみ、なのだぁ」

「……何ラリってだよ、佳代」



「さーて皆! いよいよ明日は運命の日! 体育祭なのだー!!」

「おー!」

 校庭の片隅、2年3組タイヤウォーズチームのメンバーを見回し、佳代は勢いよく両手を振り上げた。何故か同じノリで拳を振り上げる八手に、モンスターでも見るような石ノ森の視線が突き刺さる。肩をすくめてそれを見つめ、国近は赤メッシュを揺らして首を傾げた。両の腰に手を当て、問いかける。

「……別に運命でもなんでもなくない? ただの学校行事じゃん」

「何を言うのだ! 学校行事だろう!」

「答えになってないんだけど……」

 呆れたように両腕を広げる国近に、佳代はマフィアのボスのように腕を組んだ。小柄ゆえに威圧感のかけらもないそのシルエットを見つめ、国近は小さく息を吐く。

「じゃあ国近、君は学校行事は遊びだと思うか?」

「思わないね。体育祭の結果如何で『イソップ』と『ライドラ』の勢力図も変わってくるだろうし。テストと違って手は抜けないじゃん?」

「『じゃん?』じゃないのだ! テストでも手を抜くなッ! そもそも学校行事に手を抜くなッ! それでも学生かッ!」

「はいはい……ふぁあ」

 濁流のような佳代の声をあっさりと流し、国近は猫のように伸びをする。ぱっちりと大きな瞳で周囲のメンバーを見回し、さて、と両腕を広げた。

「まぁ、とりあえず僕ら、今まで頑張ってきたじゃん? この頑張り……無駄にしたくはないでしょ? だからさ、皆」

 かくり、と首を横に倒し、国近は割れてゆく雲のような笑顔を浮かべる。爽やかな夏風が、赤メッシュが混じった黒髪をさらりと揺らした。


「――ぜーったい、勝ってやろう?」

「なのだっ!」



「はぁー疲れた……あれ、キザッシー何してんの?」

「佳代待ち」

「なる」

 視界の隅で揺れる派手な金髪に、視線を向けることなく兆は言い放った。前開けにされた白シャツがひどく眩しい。ふっと視線を伏せ、兆は校庭で動き回る影を見つめる。

「……そういえば、キザッシー」

「何だよ」

 いつの間にか隣に来ていた憲太郎に、兆は呆れたように三白眼を向け――はっと見開いた。彼の緑色の瞳は、どこか身を切るような光を宿しているような気がして。呆然と彼を見つめる兆に、憲太郎は言いよどむように口元を歪めた。緑色の視線が、白く眩しいギプスに向けられる。

「……言いそびれてたけどさ。うちのやつが、さ。すまなかったよ……怪我させちゃって。治療費出すよ」

「は? ……なんでお前が」

「いや、うちの奴がしでかしたことだし。謝っとかないと、人間としてどうかなーって思って、さ」

 ばつが悪そうにはにかむ彼を、兆は蝶のさなぎでも見るように眺めた。彼はそのようなことを言うような人間だったか。確かに暴君ではなかった。しかし、全てノリだけで生きているような人間で……人に謝るような人間では、なかったように思える。

無事な方の腕で窓のさんに手をつき、無知を装って問う。

「……らしくねぇな。何かあったのか?」

「大したことはないけど。ちょっと、兄貴と仲直りしただけ……かな?」

「……」

 片手で頬を掻きながら、頬を桜色に染める憲太郎。それは彼の派手な金髪とはひどく不釣り合いで、兆は居心地悪そうに目を細めた。憲太郎は兆の隣のガラス窓にそっと触れ、憑き物が落ちたような瞳で語る。

「なんてゆーか、変に突っ張っててもろくなことないね」

「……ずいぶん丸くなったな。『イソップタシット』の頭領が」

「あはっ。俺は今も不良だよ。喧嘩もするし、カツアゲもする。そこは勘違いしないでほしいな。……ただ、兄貴に誇れる人になりたいな、ってだけ」

 ふっと目を伏せ、憲太郎は深く笑みを吐き出した。だけど、それはどこか白日に手を伸ばすかのように清々しくて。兆は再び校庭に目を落とした。静かに息を吐き、アイボリーブラックの影を追う。

(……誇れる人、か)

「……兄貴も体育祭、見に来るし。勝浦圭史とも決着つけたいし……何より、シンプルに勝ちたいし。俺、珍しく頑張っちゃおうかな!」

 くるりとYシャツの裾が翻り、レイヤードされた笑顔マークのTシャツが輝く。それを三白眼で見つめ、兆はふっと肩をすくめた。憲太郎は窓から手を放し、歩き出す。すれ違いざまに兆の背中を盛大に叩き、白い歯を見せて派手に笑った。

「どわっ!?」

「ってわけで、キザッシーも頑張ってよね。応援とか応援とか応援とか! じゃ、また明日!」

 Yシャツの裾と金髪を翻し、憲太郎は颯爽と廊下を渡ってゆく。その後ろ姿を見送り、兆はぽつりと呟いた。

「……佳代って、すげぇな……」

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