第29話 そこはちゃんと否定するところなのだ!
ぬけるような青空に、刷毛で塗ったような雲が走っている。土手に植えられた桜の木は鮮やかな濃緑をしていて、夏の朝の日差しに輝いていた。
「やぁ、いい朝なのだ! 絶好の体育祭日和なのだぁ!」
夏の日差しに白いハチマキが光る。相変わらずふわふわと浮いているアイボリーブラックの髪を揺らし、佳代は片腕を天に突き上げた。子供のように無邪気な笑顔に、
「……元気だな。どうなるかわからねえってのに」
「ふん、くよくよ悩んでいたって始まらないのだ。何より僕たちは、やれることは全部やってきたのだ。ならば、すべきことは自分と仲間を信じること。そして、本番で全力を尽くすことだけなのだ。僕は悩まないのだ!」
輝くような笑顔を見せる佳代に、兆は思わず表情を綻ばせる。どこまでも真っ直ぐで、自分に圧倒的な自信を持つ、勇者のような笑顔。
「……ったく。本当に変わんねえな、お前は」
「当たり前なのだ。僕はいつだって僕なのだ!」
自慢げに胸に手を当て、言い放つ佳代。その白い歯がひどく眩しくて、兆の心臓が少しだけ拍動を速めた。
◇
「さて……午前中は短距離とパン食いに障害物にしっぽとり、あと綱引き、だったのだよな」
「……だな」
100メートル走が行われるトラックの前には、全校生徒のほとんどが集っていた。某大佐なら人がゴミのようだとでも言っていたことだろう。その最前列には当然のように佳代と、何故かジャージの上に黒い長ランを羽織り、メガホンを持った兆。
(つか、なんで俺が2年応援リーダーにさせられんだよ……本来の応援リーダーが熱出して寝込んだのは一旦置いておくとして、なんで代理が俺なんだよ。急に言われても困るっつの……だいたい学級委員でもねえのに、なんでお前が仕切ってんだよ)
恨めしそうな三白眼が、佳代とは反対側に立つ少年に向けられる。当の憲太郎は何食わぬ顔で口笛を吹きながら、一つウィンクをした。視線に力を込めて睨みつけるも、効果はない。口笛で謎にロングトーンを吹き、苦しそうに大きく息を吸う。呆れたように肩をすくめ、兆はそんな彼から視線を外した。と、無事な方の腕を軽くつつかれる。見ると、佳代が銀色の剣のような視線で彼を見つめていた。
「兆。もうすぐ競技が始まるのだぞ。応援リーダーがそんなザマでどうする」
「ザマって……お前もだいぶ二高に染まってきたよな」
「そんなことはないのだ。僕は僕なのだ」
「……お、おう」
無意味に胸を張る彼から視線を外し、兆は深く息を吸い、吐き出した。おもむろにメガホンを掲げ、一歩前に出る。強く吹いた夏風に長ランの裾が派手にはためき、グロッシーブラックの髪が太陽光にきらめいた。
◇
「ナイスだったよ、キザッシー!」
「憲太郎……」
歩み寄ってきた派手な金髪を、兆は鋭い三白眼で睨みつける。対し、憲太郎は全く堪えていないかのように、カラコンで緑色に染まった瞳を細めた。
「お前、何で俺を指名したんだよ」
「今日熱出した
「なんだそれ……」
呆れたように肩をすくめ、兆は困ったように言葉を吐きだす。確かに見学である。暇である。何かしらの役割は委ねられるとは思っていたが、まさか当日になって降ってわいてくるとは。
「てか、ぶっちゃけキザッシーにできるかどうか不安だったけど。そこそこ暗いし、まあまあテンション低いし、カリスマ性皆無だし、はっきり言ってキザッシースイングしか能ないし」
「は?」
「やだなー、怒んないでよ。でも意外とやるじゃん、ちょっと安心したわ」
白日のように微笑む彼から、兆はふっと視線を外した。放っておいても盛り上がっている生徒たちを見回し、呟くように言い放つ。
「……この高校の生徒、基本的に無駄にノリいいし。別に俺じゃなくてもどうにかなっただろ」
「ま、否定はしないけど」
「そこはちゃんと否定するところなのだ!」
「あ、佳代ちゃん」
小動物のように唐突に顔を出し、佳代はズビシッと憲太郎を指さす。その指先をピシャリと弾き、憲太郎は刷毛で描いた雲のような笑顔を浮かべた。両手を腰に当て、ぐいっと兆に顔を近づける。
「ま、悪くはないけどさ。もしかして勝浦パイセンの真似っこでもしてる?」
「……っ」
首を絞められたかのように、声が詰まる。至近距離で瞬く緑色の瞳は、どこか見透かすような光を宿していて。確かに圭史には華やかなカリスマ性があって、兆にとって彼は憧れの人で……だけど、何故か胸が苦しくて、兆はぐっと目を閉じた。
「……」
肩をすくめ、佳代は兆の無事な方の肩に手を置いた。薄く開かれた瞳を見つめ、軽く背伸びする。その頬に小さな手を伸ばし――綱引きと同じノリで、思いっきり引っ張った。
「っだ!?」
頬に電撃のような痛みが走り、兆は思わず鋭い声を上げた。憲太郎が緑色の瞳をきょとんと見開いている。無事な方の手で頬をさすりながら、兆は佳代のアーモンド形の瞳を見やる。
「何すんだよ……お前といい風紀委員長といい、俺の顔をなんだと思ってんだよ」
「兆は兆なのだっ」
――その声はまるで、正面から投げつけられた白球のようで。兆は小さく目を見開き、アーモンド形の瞳をじっと見つめ返す。
「ほかの何者でもないのだ。空が空であるように、
「……」
「だから自信持つのだ。応援リーダーなのだろう?」
にっ、と太陽光線のように笑い、佳代は自慢げに腕を組む。冷静に考えれば暴論にも程があるが、だからこそ兆の胸の苦しさを吸い取ってしまうようで。太陽のように眩しくて、目が潰れそうだけれど……兆は彼のアーモンド形の瞳を正面から見つめた。
「……なりたくてなったわけじゃないんだがな。でもまぁ、任されたからには精一杯、やる」
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