第30話 僕はいつだって僕なのだ!

「さて、次はパン食いなのだよな……っと、あれに見えるは霧島くんなのだ」

「え、誰それ?」

「霧島……あぁ。4組の風紀委員か」

「あー……?」

 レーンに並ぶ生徒たちの中に、特徴的な銀髪がさらりと揺れる。この炎天下でも黒マスクを外さない謎の徹底っぷりを見せる彼は、指定ジャージの半袖短パンの上に長袖のジャージを肩にかけ、王子のマントのような留め具を使って走っても落ちないように改造している。

「……厨病激発?」

「キザッシー、それ以上いけない」

「というか、それ以前に風紀委員がジャージを改造するななのだ」

「ってか、あいつ何でパン食い競争なのにマスクしてんの?」

 首元を掻きつつ、小さく溜め息を吐く憲太郎。兆の後頭部をはたくと、彼ははっと我に返ったかのようにメガホンを掲げ直した。



 ――パンッ、乾いた号砲が空に響く。刹那、霧島えんじゅは固い土から手を離し、地を蹴った。金の留め具で固定された長袖ジャージがなびき、さらさらと細い銀髪が動きに合わせて揺れる。セロリか何かのように細い脚が地を蹴り――瞬く間に最後尾に躍り出た。

(……狙うパンをサーチ)

 謎にロボットっぽくモノローグを流してみても、特に距離が縮まるわけではない。それどころか比較的小柄なえんじゅにとっては、高い位置にあるパンを取ることは中々に難しいのである。それでも彼は駆ける、セロリのような脚で駆ける。切れ長の黒い瞳は、遠目にぶら下がったパンの数々をサーチして――その中の一つを認識した刹那、彼は猫のように目を見開いた。急に高性能エンジンでも搭載しはじめたかのように、ぐんぐんと加速してゆく。他の生徒たちに追いつき、追い越し、その瞳が狙うのはただ一つ――栗ようかんのような物体を挟んだコッペパン。

 そう――翠●堂の「かぼちゃのポタージュパン」。


 トレードマークの黒マスクを取り払うと、耽美系の美しい顔立ちが現れた。猫のように見開かれた瞳が謎パンを捉え、軽く腰を落とした。セロリのような脚でロケット花火のように跳躍し、謎パンを狙って紅い唇を開き――

「……ぐふっ!?」

 ――額に鉄球で殴られたかのような衝撃が走り、目の前に大量の星が飛んだ。額を押さえると同時に、全身に重力がかかる感覚。今度は腰を強打し、切れ長の瞳に涙が浮かぶ。

「……は?」

 聞こえた声は競技者のものだったか、それとも応援する生徒のものだったか。そんな彼には目もくれず、他の選手たちは悠々とパンをくわえて駆けてゆく。老人のように腰をさすりながら立ち上がり、えんじゅは涙目でパンの袋の先端をくわえるのだった。



「……か、勘解由小路かでのこうじ氏、ヘルプ希望……」

「こればっかりは僕にも如何ともしがたいのだ。というかそんなことはどうでもいいのだ」

「無慈悲……」

 佳代に話しかけたバッサリと言い放たれ、途端にがっくりとうなだれるえんじゅ。そのジャージの襟元に目を向け、佳代は彼の額をズビシッと指さした。先程強打した箇所にぐりぐりと指をねじ込まれ、たまらず悲鳴を上げるえんじゅ

「か、勘解由小路氏、そこだけは回避希望……!」

「風紀委員が指定ジャージを改造してどうするのだ!! そんなんで生徒が校則を守るようになると思うのか!?」

「痛痛痛痛痛……激痛……手加減希望……」

「ふんっ」

 ようやく指が抜け、えんじゅは思わず涙目で一歩下がった。佳代の隣にいるきざしと憲太郎の視線が痛い。黒いマスクの橋を濡らすえんじゅに、佳代は盛大に腕を組んで言い放つ。

「風紀委員が制服を改造するななのだ。風紀委員じゃなくても改造するななのだ。そもそも霧島はアレなのだ? ファッションだけ中二病なのだ?」

「ちゅ……!?」

「オレの邪気眼が疼きだしたとか言うタイプの男子なのだ?」

「違っ、これは……!」

 生まれたての小鹿のように膝を高速で震わせながら、銀髪をぷるぷると揺らして頭を左右に振るえんじゅ。小さく肩をすくめ、佳代は呆れたように目を細めた。両腕を組み、言い放つ。

「そういうことはプライベートでやれなのだ。学校に持ち込むななのだ。後でブラックヒストリーになっても知らんぞ?」

「……ブラックヒストリーって言ってる時点で佳代も大概だぞ」

「やかましいのだ」

 後ろからかけられた兆の声は華麗にスルーし、佳代はじっとりとした半目でえんじゅを見やる。吹雪に襲われたかのように静止したまま、彼は細い肩を細かく震わせていた。マスクの下で唇が開き、閉じ、引き裂くような吐息をひとつ。乾いた風に揺れる銀髪に、憲太郎は面倒そうに口元を引きつらせた。

「うわぁ、なんかやばみ?」

「……どうしたのだ、霧し――」

「どうだっていいだろ!!」

 ――身を切るような絶叫が、青すぎる空に木霊した。切れ長の瞳は充血したまま、心臓を抉られたような表情の憲太郎を見て、俯いて唇を噛みしめる兆を見て……そして、涙をこらえるように唇を引き結ぶ佳代が、視界に大写しになって。はっと息を呑み、えんじゅはまた違った意味で肩を震わせた。ゆっくりと俯き、おもむろに首を振る。

「……嘘。心配無用」

「そんなわけが――」

「心配無用……っ」

 それだけ言い放ち、改造ジャージを翻して席に戻っていくえんじゅ。その後ろ姿を見送りつつ、佳代は思わず唇を引き結んだ。

(……霧島も、なのか)


「佳代」

「き、兆?」

 すぐそばで黒い長ランが揺れて、佳代は思わず顔を上げる。兆の三白眼は呆れたように細められながらも、どこかタンポポの花のような光を宿していて。その唇がゆっくりと開き、温かい手のひらのような言葉が零れる。

「お前のことだから、どうせ諦めるって選択肢はないんだろ?」

「そりゃそうなのだっ」

 腕を組み、白日のような笑顔を浮かべてみせる。アーモンド形の瞳は曇ることを知らず、いつだって輝かしくて。兆はただ、背中を押すように口元をほころばせる。

「……そうか。お前はずっと、そのままでいてくれ」

「そりゃ勿論なのだ。僕はいつだって僕なのだ!」


「……ねぇ、俺はここで何を見せられてんの?」

 憲太郎の問いは誰に拾われることもなく、夏風に吹かれて消えていった。

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