第26話 んなわけ、あるかよ
「昼だー! 速攻で飯食って練習行こー。そんで練習を言い訳に午後サボろー」
「サボるな! 授業はちゃんと出ろ、上原ッ!」
派手な金髪が夏風にそよぐ。教室の真ん中あたりからかけられた声に、佳代の怒鳴り声が被さった。この1学期ですっかり見慣れてしまった光景に、男子生徒たちの苦笑がちらほらと見て取れた。
「ん、兆どこ行くのだ?」
「購買」
「承知なのだ、いってらっしゃいなのだー!」
子供のように大きく手を振ってくる佳代に、兆はやれやれ、と肩をすくめた。穢れを知らぬアーモンド形の瞳、この場所には似合わぬ無邪気な笑顔。一度脳裏に浮かべたそれは、簡単には拭い去ることができなくて、兆はただ歩を進める。――と、隣で派手な赤メッシュが揺れた。手の中からするりと財布が抜け、目の前でゆらゆらと揺れる。
「――ッ!?」
「何ボーっとしてんだよ、キザッシー。そんなんじゃ財布盗られるよ?」
「お前が盗ったんだろ。返せよ」
「いいよ。キザッシーの財布いっつも薄っぺらいし、めぼしいものとか絶対入ってないし」
屈託のない笑顔で言い放つ国近から、兆は安物の財布を奪い返した。三白眼でじっとりと彼を睨むけれど、彼は悪びれる様子もなく、へらりと笑った。
「ま、一応『ライドラ』のサブリーダーとして、キザッシーの事情も把握してるけどさ。けどまぁ悪気はなかったってことで! っていうか、そんなことより佳代ちゃんだよ」
「……は?」
ふと立ち止まり、国近は大きな瞳に真剣な光を宿した。兆もつられて立ち止まり、怪訝そうに眉をひそめる。何故、ここで佳代の名前が出てくるのか。意味がわからなくて、国近の大きな瞳を覗き込んだ。
「最近、ちょいちょい佳代ちゃんたちとタイヤの練習してんだけどさ。なんか……佳代ちゃんと話してると、調子狂わない?」
「諦めろ。佳代は昔からそういう奴だ」
再び購買に向けて歩き出しつつ、兆は語る。その脳裏に巡るのは幼い頃の記憶。グロッシーブラックの髪を掻きながら、細い指で心臓を撫でるように呟く。
「あいつは良くも悪くも自分を強く持ってるからな……自分が信じる正義の道を爆走するタイプっていうか。圭史さんとか風紀委員長みたいなカリスマ性は無ぇけど、だけど、不思議と人を惹きつけるんだよな……」
「え、何? 惚れてんの?」
「はっ?」
思わず立ち止まり、兆は三白眼をはっと見開く。国近の大きな瞳を見つめ返すと、彼はからかうように口元を歪める。頭の後ろで腕を組み、特徴的な赤メッシュを軽く揺らした。
「だってそうじゃん。佳代ちゃんの話してるとき、妙に声が優しいっつーの? 聞くからに佳代ちゃんのこと大事っぽいじゃん。暴れキザッシーも丸くなったなー」
「うるせぇ」
声に棘を仕込んで言い放つが、当の国近は軽い調子でそれを笑い飛ばした。軽薄で掴みどころのない彼に、兆はぐっと唇を引き結ぶ。ひとしきり笑い、国近は疲れたように軽く息を吐いた。大きな瞳を兆に向け、パンにマーガリンを塗るような調子で問う。
「で、実際どうなん? 恋しちゃってんの?」
「……んなわけ、あるかよ」
言い放つと、喉元に魚の小骨のような引っ掛かりを感じた。口の中が妙に乾いて、声を出しにくい。半ば無理やり息を吸い込み、兆は国近のから視線を外した。安物の財布を握り直し、歩き出す。
「つか、昼休み終わんだろ。飯買ってくる」
「いってらー。俺はどーしよっかな……そだ、1年生カツアゲしてくる」
「なんでだよ」
◇
「今日の練習はこれにてお終いなのだ! 皆お疲れ様なのだ、今夜はゆっくり休むのだ!」
「やっと終わったー!」
少しずつ茜色に染まっていく空の下、国近の声がからりと響く。まだまだ元気そうに背伸びをしつつ、赤メッシュを揺らして佳代に歩み寄った。
「ねえ佳代ちゃん、ポカリおごってー」
「そのくらい自分で買うのだ。自販機でたったの130円なのだぞ」
「いや、俺イオンウォーター派だから」
「それは140円なのだ! たったの10円しか変わらないのだ! というかどちらにせよ自分で買えなのだ! 僕は帰るのだ、後は頼むのだッ!」
「えー……」
言うが早いか、気付いた時には佳代ははるか遠くに走り去っていた。一拍遅れて吹いた風が彼の赤メッシュをふわりと揺らす。ふっと息を吐き、静かに表情を消す。
(……佳代ちゃんにもキザッシーのことどう思ってるか、聞いてみようと思ったんだけどな。キザッシーは無自覚片想いしてるっぽいけど……佳代ちゃんの方はどうだかなぁ。あの子、恋愛とか興味なさそうだし)
頼まれてもいないのに二人の関係性について考えを巡らせつつ、赤メッシュをふわりと揺らして視線を八手の方に投げる。平和に揉めている二人に歩み寄り、二人の方にそっと手を置く。
「よっ!」
「うおっ!?」
「――ッ!?」
弾かれたように振り返る二人、その動作は鏡写しのようにそろっていて、国近は思わず吹き出しそうになるのをこらえる。大きな瞳に二人の姿を映し、じゃれつく猛獣のように微笑む。
「ねーねー、折角だから親睦深めようじゃん。一緒にゲーセン行かない? 音ゲやろう、音ゲ」
「は? 何で」
「おう、行く行く! な、栄須も来いよー」
「お前が行くなら俺は行かない」
「ガーン!?」
言い放ち、鋭い視線を背ける石ノ森。露骨に愕然としたような擬音を口にする八手に背を向け、荷物を背負う――が、気付くと国近に回り込まれていた。獲物を前にした肉食獣のような微笑みを浮かべる彼に、石ノ森はぐっと唾を飲み下す。
「……なんだよ、国近」
「『ライドラ』サブリーダーの名に懸けて、石ノ森エースくんに2択問題を出します。ここで音ゲやりに行くか、俺に有り金巻き上げられるか選んで?」
「ひでぇな国近さん!?」
「コースケ、シャラップ。で、行くの? 行かないの?」
舌を出し入れする蛇のような笑顔に、石ノ森は思わず一歩後ずさる。諦めたように息を吐き、半ばやけくそで言い放った。
「わかったよ、行くよ! 行けばいいんだろ!」
「そうそう、行けばいいんだよ。偉いねーエースくん」
「俺は子供か!」
「高校生は子供ですぅ。そんじゃ、早速行きますか!」
◇
「……なんだこれ」
ドラム式洗濯機のような形状のゲーム筐体を前に、石ノ森は呆然と口を開く。洗濯機なら蓋にあたる円形の部分はパステルカラーの光を宿し、愛らしく輝いていた。そんな彼の隣で太い腕を組み、八手は平然と口を開く。
「音ゲだぞ。ma●ma●っていう。
「は!? なんでお前と二人で――」
「しーっ」
反対側で、国近が自分の唇に指をあてる。ぱちりと一つウィンクをし、彼は軽い調子で筐体を指さした。
「君ら二人、本当に仲悪いからさー。何かしらやって息合わせてくれって、佳代ちゃんからのお達し。当の本人はキザッシーにつきっきりだし。夫婦じゃん……ま、それはともかく、二人ともこれ使って仲良くしろって話」
「は? 何で――」
「負けたくはないよねぇ……?」
「……っ」
唐突に光をなくす国近の瞳から、石ノ森は困惑したように視線を逸らす。国近
「……わかったよ、やればいいんだろ……」
「な、頑張ろうぜ栄須!」
「近寄んな」
言い放ちつつも、石ノ森は静かに筐体に歩み寄る。ポケットの財布から100円玉を取り出し、静かに筐体に差し込んだ。
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