第42話 次泣かせたら泣くのだぞ!

 視界が滲みだし、白く染まる。幾度か瞬きを繰り返すと、見覚えのない天井に焦点が合った。全体的に白い景色、薬の匂いが混じった空気、傍らに立てられた点滴台。つまりここは、病院、だろうか。

(……そうか。俺、倒れたのか)

 不思議とあっさりと納得できて、きざしはふっと目を伏せる。……また、佳代に迷惑をかけてしまった。これ以上、心配かけることはできないというのに。

「兆……目が覚めたのだ!?」

「……佳代」

 ふと投げかけられた声に、兆はゆっくりと視線を動かす。ふわふわと柔らかそうなアイボリーブラックの髪が、白い空間に映える。アーモンド形の瞳は潤んでいて、目元には泣き腫らしたような跡があって。呆然とそれを見つめる兆に歩み寄り、佳代は彼の頬を思いっきり引っ張った。

「でっ! ちょ、かよっ!?」

「兆、きざし……本当に、お前は本当に無茶するのだ! 前に骨折った時もそうなのだが、子供の頃から無茶してばっかりなのだ! 心配になるじゃないかなのだぁ!」

「はっ、はぁ!?」

 反射的に半身を起こし、佳代の手を振り払う。未だにじんじんと痛む頬をさすりながら、兆は呆れたように口を開いた。

「お前にだけは言われたくねえよ佳代! 不良のど真ん中に突っこんでって、暴論で顔面殴ってんのどこの誰だよ」

「やかましいのだ! それが僕のやり方なのだから仕方ないのだ!」

「お前ら、ここ病院だぞ。静かにしろ」

「……あ」

 佳代の隣の丸椅子に座っていたしゅんが立ち上がる。静かに兆のベッドに歩み寄ると、彼に視線を向けた。佳代とよく似たアーモンド形の瞳が瞬く。

「お医者様が言うには……過労と睡眠不足、それに貧血だそうだ」

「……」

 静かに告げられた言葉に、兆は白い布団に目を落とす。心当たりしかない。食費を切り詰めるために三食もやしで生活していたし、夜も遅くまで遊んだり勉強していたりしてろくに眠っていなかった。気付いたら勉強中に眠っていることもしばしばあったほどだ。いつかは倒れるとは頭の片隅ではわかっていたけれど、それでもやめることはできなくて。

「本当に無茶するな、兆くん」

「……すんません」

「本当に……全くもってどうしようもないやつなのだ」

「お前が言うな」

 何故か腕を組んで胸を張る佳代に、いつもの如く言い放つ兆。その声には相変わらず張りがないけれど、佳代は一つ頷く。

「その調子なら大丈夫そうなのだ。お医者様は多分、数日で退院できるんじゃないかとおっしゃっていたのだ。安心したのだっ」

「……」

「だが、食費切り詰めるとか何とか言ってもやしばっかり食ったりはするななのだ」

「なんでわかるんだよ」

 呆れたように言いつつ、兆は佳代の目元に視線を向ける。相変わらず潤んでいるし腫れているし、口元もよく見たら震えているし、兆は小さく息を吐く。

「……つか、お前もいつまでも泣いてんじゃねえよ」

「泣かせるななのだ!」

「泣いてたのは認めんのかよ……俺も悪いとは思ってるけどよ」

「次泣かせたら泣くのだぞ!」

 ぐしっ、と音を立て、再び滲みだした涙をぬぐう佳代。そのままの勢いで兆を指さすと、彼はかすかに上ずった声で叫んだ。

「入院期間中はお医者様の指示に従って、何もしないでゆっくり休むのだ! もやし以外の飯もちゃんと食うのだ! わかったのだ!?」

「……あ、ああ」

 おずおずと頷き、兆は佳代から視線を逸らす。ずっと喉に引っかかっていた言葉を咀嚼し、呟くように口を開いた。

「……ごめん。心配かけて」

「本当なのだ。何度も言うが、これ以上心配かけるような真似はするななのだ! 自分を大事にしろなのだっ!」

「わかったよ……本当に悪かったって」

「ふんっ。許してやるのだ」

 無駄に腕を組み、佳代は兆の三白眼をじっと見つめる。相変わらず潤んだままの瞳から、兆は思わず視線を逸らした。



「兆ってやつは! 本当にいつも無茶するのだ!」

「わかったから、食ってから喋れ」

 夕食の親子丼をレンゲで掬いつつぼやく佳代に、冷静に指摘する舜。佳代は一旦口の中の米を飲み込み、むっと口を尖らせる。

「兆のやつ、本当に小学校の時からそうじゃないかなのだ! 全くもって変わってないのだ! 僕と誰かが喧嘩になって、僕が殴られそうになったところに割って入ったはいいのだが、結局自分が一番殴られて、最終的に僕が兆連れて逃げてた頃と一緒じゃないかなのだっ」

「それいつの話だ?」

「小……何年生だったのだ? 2年生だった気もするし4年生だった気もするのだ」

「3年生ではないんだな」

 ツッコミを入れつつ、親子丼を口に含む舜。その後も延々と続く佳代の小言に耳を傾けながら、思考を巡らせる。

(確かに兆くんは昔から無茶ばかりする子だった。だけど……その無茶の大半が佳代のためだということに、当の佳代は気付いているのか?)

 常に向う見ずに突っ走る佳代を、少し離れたところからいつも見つめていて。佳代のピンチにはいつだって駆けつけて、彼を守ってくれて。いつも当たり前にそばにいた彼だからこそ、気付いていない面もあるのかもしれない。脳裏に浮かぶ考えをまとめつつ、舜は口を開く。


「兆くんは、佳代のことが大切なんだよ」

「そりゃそうなのだ。幼馴染なのだぞ」

「……」

 呆れたように息を吐き、舜は瞳をじっとりと細める。そういうことではない。佳代はわかっているようでわかっていない。だが、あまり言いすぎるのも野暮だろう。傍らのコップから麦茶を一口飲み、簡潔に言葉をかける。

「……佳代もいつか気づく日が来るよ。兆くんの想いに、本当の意味で」

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