第43話 ただ、ケジメはしっかりつけろよ

 呼び出したエレベーターが下りてくる。その階数表示が1に近づいていくのを、佳代はただ眺めていた。総合病院の1階、エレベーターホール。薄く漂う薬の香りを感じながら、佳代はただ階数表示を見つめる。と、電子レンジのような音と共に、エレベーターの扉が開く。そして、現れたのは――学校で見慣れた、一人の少年だった。小柄な体躯、さらりと揺れる銀髪、夏でも外さない黒マスク、鋭い視線――。

「き、霧島なのだ?」

「……勘解由小路かでのこうじ氏」

 見開かれた瞳を見つめ返し、佳代はきょとんと首を傾げる。対し、えんじゅは気まずそうに視線を逸らした。顔を隠すように黒マスクに手を当て、口を開く。

「……奇遇」

「まったくなのだ。こんなところで会うとは思わなかったのだ。こんなところで何をしているのだ?」

「そ、その……」

 気まずそうに視線を伏せたまま、まごつくように言葉を詰まらせるえんじゅ。しかし佳代のアーモンド形の瞳に絡め取られて、観念したように息を吐いた。銀髪を掻きながら、自白を決めた犯人のように口を開く。


「……見舞い」

「わぁ、奇遇なのだ! 僕もきざしの見舞いに来たのだ!」

「え、なに、法師濱ほしはま氏、どうした系?」

「色々あったのだ」

 あえて話すことはせず、佳代はただ淡く微笑みを浮かべる。思わずそれを見つめ、そしてえんじゅは視線を伏せた。口の中で言葉を咀嚼し、ゆっくりと開く。

「……乙」

「ありがとうなのだ、兆に伝えておくのだ。霧島は誰の見舞いなのだ?」

「……」

 何気ない問いに、えんじゅは深く顔を伏せる。脳裏をかすめるのは、緩やかなウェーブを描く淡い茶色の髪。今にも折れそうなほど細い身体と、儚い花のような笑顔。それらを脳裏に描きながら、彼は俯いたまま、口を開く。

「そ、その……中学の、同級生。病弱。だから、高校、通信制……他校……」

「ふむふむ」

「中学もろくに行けてなかった系。俺は……たまたま席が隣だったパターン。先公に言われて世話焼いてるうちに、なんか……懐かれたパターン」

「ほうほう」

 時折相槌を打ちつつ、えんじゅの言葉に耳を傾ける佳代。脳裏にその友人の想像図を描き、一つ頷く。


「……だいたいわかったのだ。霧島、意外と世話焼きなところあるのだな」

「意外とは余計。じゃなかったら風紀委員なんてやってなさみ」

 佳代から視線を逸らし、えんじゅは白い手で後頭部を掻く。横に流された視線は、本当はそんなことを言いたくはないと、雄弁に物語っていて。しかし佳代は一つ唾を飲み込み、続きに耳を傾ける。

「……押し付けられたパターン」

「まぁ、そりゃそうなのだよな……風紀委員なんて、自分からやる奴の方が少ないと思うのだ。特に昇龍二高のような環境では」

「わかりみ」

 頷き、えんじゅは俯いたまま、視線だけを佳代に戻した。鋭い瞳はじっとりと佳代を見つめていたが、当の佳代はそんなことなど気にせず両腕を広げた。

「とりあえず、そのご友人に『お大事に』と伝えておいてほしいのだ」

「……承知。法師濱氏も、お大事に……とだけ。じゃあ」

「了解なのだ。それじゃあ、またどこかで、なのだー!」

 エレベーターホールから出ていくえんじゅを、軽く手を振って見送る佳代。意気揚々とエレベーターに乗ろうとして……ふとその階数表示に目を向け、愕然と目を見開くのだった。


「……話している間に、全部上層まで行ってしまっていたのだ……ッ!?」



「見舞いに来たぞ、兆」

「元気ー?」

 白いベッドに二人分の影が落ちる。ふと投げかけられた声に、兆は参考書から顔を上げた。特徴的に編まれたアッシュゴールドの髪と、耳元で揺れるフェザーピアス。黒髪の中で特徴的に輝く赤メッシュと、軽薄に瞬く大きな瞳。

「……圭史さん、国近。ちゃす」

「ちゃーす。ってわけで、キザッシー」

 二人並んでベッド脇の椅子に腰を下ろし、先に口を開いたのは国近だった。大きな瞳に隙のない光を宿し、かくり、と首を傾げる。

「……説明してくんない? なんでこんなことになったのか」

「……っ」

 その隣では圭史が静かに腕を組み、鋭い視線で兆を見つめていた。思わず三白眼を伏せ、参考書を強く握りしめる。ページにかすかに皴がつくけれど、それすら気付かないまま兆は口を開いた。

「……進学したくて。それで遅くまで勉強したり、『ライドラ』の活動に参加したりして、全然休んでなくて。それと、飯もろくに食ってなかったから……」

「過労と貧血と睡眠不足が祟ったっていうのは、噂で聞いたよ」

「どこで流出した、それ」

「『ライドラ』の連絡網、舐めないでくんない?」

 言い放ち、国近は兆のベッドに手を伸ばした。参考書を奪い取り、パラパラとめくる。興味なさげな視線が参考書の上を滑っていった。その隣で、圭史がゆっくりと顔を上げる。

「……勘解由小路、だったか。あいつの影響か?」

「そっ、それは違います!」

 びくりと盛大に震え、衝動的に叫ぶ兆。一拍遅れて体温が上がっていくのを感じ、全身の血管が脈動していくのが手に取るようにわかる。と、一瞬遅れて国近が顔を上げた。特徴的な赤メッシュが驚いたように揺れる。

「……え? 佳代ちゃんと一緒の大学目指してたりしないわけ?」

「し、しねぇよ!」

「声裏返ってるんだけど」

「うるせぇよ。つか、それ返せ」

 言い放つと、国近はつまらなさそうに参考書を投げ返した。無事な方の手で受け取り、視線を落とす。

「……そもそも俺、あいつほど頭よくねえし」

「でも言うて昇龍一高も自称進学校じゃん。頑張ればワンチャンいけんじゃない?」

「ふざけてんじゃねえよ……なんつーか、おこがましいっつーか……」

「うっわ超こじらせてるんですけど」

 軽く引いたような声に、兆は小さく息を吐いた。三白眼で国近を睨みつけるが、当の彼は何の痛痒も感じていないようで。と、その隣でアッシュゴールドの髪が揺れた。圭史が顔を上げ、はしばみ色の瞳で兆を凝視する。その視線はどこか痛みを噛み殺しているかのようで、兆は恐る恐る、彼に視線を向けた。


「……圭史、さん?」

「兆、よく聞け」

 鶴がいななくような声に、兆は思わず息を呑んだ。圭史の横で、国近がきょとんと目を見開く。圭史は刀のような瞳で兆を見つめ、厳かに口を開く。

「……俺たち『Rising Dragon』の、絶対の掟。『ここ以外に「居場所」がある奴は、すぐにこのチームを去れ』。忘れたとは言わせないぞ」

「……ッ!」

 不思議と責めているような調子はなく、ただ、淡々と事実を突きつける声。だけどそれは大岩のように重く、喉元につきつけられたナイフのように鋭く。ひぐっ、と兆の喉がみっともない音を立てた。みるみるうちに体温が下がっていく。圭史のはしばみ色の瞳から視線を外せぬまま、兆は震える声を絞り出した。

「……申し訳、ありません」

「謝ることはない。……ただ、ケジメはしっかりつけろよ。本来はこんな団体に、お前はいるべきじゃないんだ」

 言い放ち、立ち上がる圭史。呆然と三白眼を見開いたままの彼から視線を逸らし、ただ背を向けた。

「……戻るぞ。勇翔はやと

「はっ、はい。んじゃキザッシー、お大事にね」

 軽く手を振り、国近も圭史の背中を追って歩き出す。彼らをぼんやりと見送りながら、兆は皴になるほど参考書を握りしめていた。

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