第10話 噛み続けたガムのように柔らかくするのだ
「……
「あぁ、あの生徒会の?」
自分たちの席に戻り、ちまちまとおにぎりをかじりながら問う佳代。その目元にはどこか薄暮のような光が宿っていて、兆は咀嚼していた玉ねぎを飲み込む。先程の少年が消えていった方角に視線をやりつつ、口を開いた。
「2年6組、
「支配者、なぁ……」
何気なく佳代に視線を戻すと、彼はおにぎりの最後の一口を飲み込み、指先についた米粒を舐めとっていた。その指先がどこか色っぽくて、兆の心臓がずきりと痛む。思わず指先に釘付けになってしまう瞳を無理やり閉じ、兆は誤魔化すように言葉を続けた。
「まぁ圭史さんのカリスマに比べりゃ月とスッポンだけどな。あの方はすげー方だよ、統率力とかカリスマ性とか、そういうのは二高の中でもトップクラスだよ。なんたって――」
「キザッシー」
咎めるようなハスキーボイスが響き、顔を上げると赤メッシュが入った黒髪が揺れた。国近が指先を口元にあて、しーっ、と息を吐く。
「……あ、あぁ、すまねぇ」
「気ぃつけてよね。圭史さんはそのこと気にしてらっしゃるんだからさ」
「わかってる……軽率だった」
「わかればいい。そんじゃ、そういうわけでヨロシク」
「あ、ああ……」
一つウィンクを飛ばし、再び肉にがっつく国近。小さく息を吐き、兆は改めて佳代に向き直り……しかし、彼の表情はアイボリーブラックの髪に隠されていて。その喉元が震え、どこか泣きそうな声が漏れ出した。
「……兆……」
「なんだよ佳代」
「僕は……」
その声は悲しみに暮れる子供のようで、兆は思わず言葉を失う。目元は髪に隠されて見えないけれど、その唇はひどく辛そうに震えていて。兆はそんな彼に手を伸ばしかけて、ふと引っ込めた。……特に理由はないけれど、なんとなく、はばかられて。目を伏せて逡巡していると、佳代はふと顔を上げた。その口元は確かに笑顔の形をしていたけれど、それはどこかピエロのようで。
「なんでもないのだ。気にするななのだ。……あー、キャベツ美味しいのだ!」
食べる前からそんなことを言って、何故かキャベツではなく玉ねぎを箸で掴む佳代。その横顔があまりにも痛くて、兆は思わずそんな彼から視線を外した。
◇
「やぁ、君は昇龍第一高校からの編入生、
「……そう、なのだ」
焼肉を終え、自由時間。一人ベンチに座って俯いていた佳代のもとに、ふと影が落ちる。降ってきた声に顔を上げると、銀縁眼鏡に縁どられた鋭い目が佳代を見つめていた。それはまるで、愚かな幼子を見つめるように。
「……東堂春弘……なのだ?」
「東堂で構わない。さて、君に少し用がある。隣に座ってもいいかな?」
「ああ。構わないのだ」
「では、失礼して」
軽く一礼し、東堂は佳代の隣に腰を下ろした。紺の学ランには皴一つなく、きっちりと着こなされている。二高では珍しいタイプだな、などと考えていると、東堂は薄く微笑んで口を開いた。
「うちのクラスの風紀委員が言っていたんだが、勘解由小路君、君はこの高校を変えようとしているそうだね?」
「そうなのだ。それが何かなのだ?」
「その意気やよし。ボクも前々からこの高校の治安の悪さには辟易していたからね。同じ志を持つ仲間がいるということは、よいことではないだろうか」
「……ほう!」
東堂の言葉に、佳代は一気に瞳を輝かせる。どこか含みがあるような声に気付いているのかいないのか、彼は派手に彼に詰め寄った。
「やっと、やっと同志に出会えたのだ! 風紀委員内部での話し合いもなんかよくわからない方向に行ってしまうし、クラスメイトはほとんどみんな不良だし、誰か同じ志を持つ仲間が欲しいと、ずっと思っていたのだ!!」
「――だがしかし」
彼の声は唐突に絶対零度のような冷たさを帯びた。思わずびくりと身を震わせ、佳代は伸ばしかけた手を反射的に引っ込める。佳代のアーモンド形の瞳を覗き込み、東堂は深く笑う。まるで悪魔が対価を要求するかのように。
「君はあまりにも未熟すぎる。向こう見ずすぎる。そんな様子ではこの高校の不良たちを出し抜くことなど到底できないだろう。ましてや校則を守らせるなんて」
「……」
「それに今ある校則を変えようとしている点もいただけないな。校則は守るためのものだ。破るものでも、変えるものでもない。もし生徒会にそんなことを申し立てようものなら、ボクは認めないよ」
堂々と言い放ち、ニヤリと口元を歪める東堂。佳代は一周回って呆然としたような瞳で彼を眺め……小動物のように口を開いた。
「東堂は頭が固いのだ?」
「君にだけは言われたくないね!?」
思いもよらない方向からの言葉に、東堂は思わずベンチの上で跳ねた。ずれた眼鏡を直す彼をピッと指さし、佳代はさらに続ける。
「もっと頭を柔らかくするのだ。噛み続けたガムのように柔らかくするのだ。社会のルールというものは時代とともに変わるものだと兄が言ってたのだ。校則も時世に応じて変化させるべきだと思うのだ!」
「なんだそれは。この国の憲法は硬性憲法だが?」
「関係ないだろう!」
バッサリと言い放ち、佳代はベンチから立ち上がる。アイボリーブラックのふわふわ髪を揺らし、ズビシッと東堂を指さした。
「校則を守らないなら、守りたくなるような校則にすればいい。そうだろう!?」
その声はまるで旗を掲げる女神のようで、しかし東堂はやれやれ、と両手を広げた。眼鏡のブリッジを押し上げ、口を開く。
「どのみち、ボクはそんなこと認めないよ。認めてほしければ拳で語るがいい。一高生の君にはそんなこと、できようはずもないだろうけど」
「……ッ!」
――頭を殴られたかのような衝撃。思わず数歩後ずさり、見開いた瞳で東堂を見つめ、思わず胸を押さえた。それはまるで、違う星に来てしまったかのように。常識や価値観が全く違う、異文化の星に墜落してしまったかのように――。
◇
「……ただいまなのだ」
「お帰り、佳代」
家のリビングに続く扉を開けると、いつものようにアイボリーブラックのフェザーマッシュヘアが振り返った。大学の課題をしていたのか、PCの画面には文章が打ち込まれている。舜は一度文書を保存すると、ノートPCを閉じた。改めて佳代に視線を向け、ソファの空いている席をぽんぽんと叩く。
「まぁ、座れよ。今日遠足だったろ? 何があった」
「……なんというか、常識の違いを思い知らされたのだ」
鞄を置き、大人しく舜の隣に腰を下ろす佳代。彼は胸に受けた傷に薬を擦り込むように、少しずつ、ぽつぽつと語り出す。
「生徒会で唯一まともに仕事している奴と話したのだが……そいつすら、『認めてほしければ拳で語れ』と言い放つような世界なのだ。……理解できないのだ……」
「成程な……事情はわかった」
アイボリーブラックの髪を揺らし、深く頷く舜。重い雲が落ちる空のような佳代の瞳を見つめ、口を開く。
「だが、お前はお前のルールでやっていいと思うぞ。郷に入っては郷に従えとは言うが、悪法も法なりっていう考え方は好きじゃない。間違ったルールは変えるべきだ」
「……舜兄」
「佳代、お前はお前のやりたいようにやれ。その方が輝く」
舜の細い腕がそっと伸び、佳代のふわふわ髪を撫でる。アーモンド形の瞳に徐々に光が戻っていき……佳代は顔を上げ、ニッと笑みを浮かべた。
「そういうことなら、僕はやりたいようにやらせてもらうのだ。ありがとうなのだ、舜兄!」
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