第11話 相場は決まっているのだ!

「なっ……何なのだこれはぁ!?」

 高校の校舎を見るや否や、佳代は絶叫を上げた。薄青色を基調としていたはずの壁を満たすのは、いかにもストリートアートといった極彩色。スイーツや動物といったファンシーなモチーフに満たされた壁に、佳代の絶叫が反響する。生徒玄関に向かっていく学ランの群れが彼に容赦のない視線を浴びせてゆく中、佳代と同じくらい小柄なピンク色が視界の隅で揺れた。

「おっはよー佳代ちゃん!」

「アンタの仕業かぁあ!!」

 頬に絵具の後をつけた陽刀ひなたの学ランの襟を引っ掴み、先輩であることも忘れてがっくんがっくんと揺らす。しかし陽刀は応えた様子もなく、太陽のような満面の笑みを浮かべた。

「そ! よくわかったね」

「よくわかったね、じゃないですよ名女川なめがわ先輩! なんですかこれは!!」

「なにって、絵だよ。可愛いでしょ?」

「そういうことじゃないのです!!」

 思わず陽刀の襟から手を離し、ズビシッと壁画を指さす。極彩色の猫やドーナツが踊る壁画を指し示し、佳代は陽刀に首を突きつけて絶叫した。

「よりによって! 校舎に絵を描くって! どういうことなんですか一体!? なんでここに描いたんですか!?」

「だって暇だったんだもん」

「そういうことじゃないのです! 絵なら適当にキャンバスか何かにでも描けるでしょう!」

「うん。キャンパスじゃん」

「キャンパスではなくキャンバスですッ!」

 ……キャンパスである。高校の敷地をキャンパスと呼ぶのなら、確かにキャンパスに絵を描いていることになる。キャンパスとキャンバスは似ているけれども。濁点と半濁点の違いでしかないのだけれども。どこか納得してしまう自分を許せないながら、佳代はさらに言葉を続けた。

「先輩、校舎に絵を描いたらどうなると思うのです?」

「……登校するのが楽しくなる?」

「先輩、それギャグで言ってるのです? どう考えても校舎への落書きが増えるに決まっているのです! そんなことになったら高校の風紀が乱れまくるのです! 全くもってスマートじゃないのです!」

「えー……」

 子供のように唇を尖らせる陽刀に、佳代は派手に腕を組んだ。自分とさして身長の変わらない彼を凝視し、宣言する。

「今日の昼休みと放課後! 風紀委員総出で! この絵を消すのですッ!」

「えー!? 嫌だよ、折角描いたのに!」

「文句は聞きませんッ!」

 堂々と言い放ち、大股で生徒玄関へと歩いていく佳代。陽刀はその後ろ姿を呆然と見つめ……やっぱり名残惜しいのか、スマホを取り出してカメラを起動した。



「おい栄須えいす! まだ話終わってねーぞ!」

「聞く意味もない。どうせいつもと同じ話だろ」

 聞き覚えのある声に顔を上げると、赤茶色の髪をした体格のいい男子と、やや長めの黒髪を首元で縛った細身の少年。例によって八手と石ノ森である。あっさりと教室を出ていこうとする石ノ森と、そんな彼を猛獣のように追いかける八手。それを眺める佳代の脳裏に、ふと閃くものがあった。起き上がる小動物のように立ち上がり、二人の前へと回り込む。即座に追随するきざしの声。

「お、おい待て佳代!」

「二人とも、面白い提案があるのだ!」

「聞いてねえし……!」

 堂々と胸を張る佳代に、二人は足を止めた。首の後ろを掻きながら、八手が赤茶色の髪を揺らして首を傾げる。

「なんだよ、面白い提案って。栄須がうちに入ってくれそうな提案か?」

「あたらずといえども遠からず、なのだ」

「じゃ断る」

「待つのだ、石ノ森くん! 君の力が必要なのだっ!」

 佳代の言葉に、立ち去ろうとする石ノ森が立ち止まった。短く縛られた黒髪を揺らし、振り返る。

「……なんだよ、一体」

「どうしてもお前に手伝ってほしいのだ。そうじゃないと解決できない問題があるのだ! 頼む、どうか手伝ってくれなのだ……!」

 アーモンド形の瞳はひどく真摯で、まるで引き絞られた弓矢のようで。思わず唾を飲み込み、石ノ森は困ったように溜め息を吐いた。

「……仕方ないな。付き合ってやるよ」

「はぁ!?」

「何か悪いかよ」

 響いた野太い絶叫は八手のものだった。彼は熊のような足取りで佳代に近づくと、自分よりはるかに背が低い佳代の肩をがっくんがっくんと揺さぶる。

「待てよお前、どうやって石ノ森を手なずけた!? 神か!?」

「神ではないのだ。ああいう人は『お前が必要だ』って言うとあっさり協力してくれると思っているのだ。頼られたいという深層心理が――」

「な、無い!」

 佳代の言葉に、石ノ森の頬にさっと朱が差す。両手を派手に振って否定する彼の声を聞いているのかいないのか、八手は真夏の太陽のような笑顔でポンと手を叩く。

「そうなのか! それじゃあこれからはガンガン頼っていくことにするぜ!」

「おい、やめろ馬鹿」

「このスレは早くも終了ですねってか?」

「ブロントか!」

「さんをつけろよデコ助野郎!」

 ネタ発言を言い合う二人に、佳代は満足げに笑顔を浮かべて頷く。それを横で眺めながら、兆はやれやれ、と頭に手を当てた。

(お前ら、実は仲良しだろ……)



 昼休みの校舎前に水音が響く。何故学校にあるのかはなはだ謎だが、高圧洗浄機のホースが派手な音を奏でる。広範囲にわたって描かれたファンシーなイラストが、高圧の水に流されて消えてゆく。高圧洗浄機を両手で持ったまま、陽刀は未だ呆然と口を開く。

「……折角の大作が……なんで……」

「なんでって、普通こうなるのです。まず学校の壁に絵ぇ描くこと自体が普通の発想じゃないのですよ」

「まぁまぁ、落ち着けよ佳代ちゃん」

 陽刀と佳代の隣で、グレーのパーカー姿が気の抜けたような笑顔を浮かべる。初夏の風がパーカーのフードを脱がし、軽くウェーブした黒髪を揺らす。頬を膨らませる佳代に視線を向け、気の抜けたサイダーのように口を開いた。

「陽刀は変な奴だけど、才能は確かだからさ。大目に見てやれって」

「甘やかさないでくださいなのですッ! ……えーっと……」

白樺しらかばりつな。ごめん、名乗るの忘れてたわ」

「承知したのです。白樺先輩っ」

 アーモンド形の瞳をきりりと光らせる佳代に、グレーのパーカー改め律は満足げに頷く。そんな彼の反対側から銀髪黒マスクが顔を出した。

「勘解由小路氏、自分は?」

「……霧島きりしまえんじゅくん……だったのだ?」

「正解。覚えてて一安心」

 それだけ言って、銀髪黒マスク改めえんじゅは持ち場に戻ってゆく。一歩引いたところからそれを眺め、兆は佳代にそっと歩み寄った。

「よく覚えてんな、佳代。昔は人の名前覚えるの超苦手だったのに」

「ふん、僕はもう子供ではないのだ!」

「それはわかるけどよ」

 肩をすくめ、兆は佳代の高圧洗浄機に手を伸ばす。三白眼をふっと細め、何気なく口を開いた。

「代わるぞ。重いだろ」

「あぁ、お願いするのだ。兆は気が利くのだっ」

 にぱっ、と雲が割れるような佳代の笑顔に、兆の心臓が締め付けられる。奪い取るように高圧洗浄機をひったくり、顔を伏せる。

「……うるせぇよ」

 苺味の飴玉のような声が、ころりと漏れ出した。佳代に背を向け、兆は壁面の汚れにホースを向ける。その後ろ姿を、風に揺れるグロッシーブラックを見つめ、佳代は薄紅色の花が開くように微笑んだ。


「さて、八手君と石ノ森くんは……と」

 兆に後を任せ、佳代は二人の姿を探す。と、隅の方から言い争うような声が聞こえてきて、佳代はそちらへと歩を進める。

「だぁから、そこはもうやったって言ってるだろ! どんだけそこ狙うんだよ栄須はッ!」

「微妙な汚れが落ちてない。目が悪いのか?」

「両目ともAAだよ!」

「そこは『AAだよ』か『両目ともAだよ』でいいだろ」

「細けぇな栄須は! 真面目か!」

「二人とも、進捗はどうなのだ?」

 後ろから声をかけた佳代に、二人は振り返った。体格差こそあるが、二人の身長はあまり変わらない。何故か一つの高圧洗浄機を二人で持っている彼らに、佳代はふっと目を細める。堂々と胸を張り、太陽を背負っているかのように言い放った。

「仲が良さげで何よりなのだ!」

「良くない」

「ひ、否定すんなし!」

「実際問題悪いだろ。つか俺と仲良くしようとかキショい」

「はぁ!?」

 元気に言い争いを繰り広げる二人を眺め、佳代は月夜の狼のように深く笑う。腕を組み、仲良く言い争う二人を笑顔で眺めた。

(作戦成功なのだ……仲良くなるには、まずは共同作業と相場は決まっているのだ!)

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