第49話 それを言うならMI6でしょう
「……えーっと、ビッカメどっちだっけ……」
瞳を隠すほど長い黒髪の少年が、駅前をふらふらと歩いていた。真夏日に似つかわしくない白い肌と、明らかにサイズが大きいであろうパーカーとカーゴパンツ。駅前の人波をふらつきながら、彼は周囲の看板を眺める。と、その肩に軽い衝撃が走った。
「った! 君、何を……」
「あ?」
睨みつけてきたのは、短い髪の毛先だけを青く染めた少年だった。切れ長の瞳を細め、腕を組んで彼にガンをつける。二大不良グループの片割れ『イソップタシット』のナンバー2、3年8組の
「ん、志間っちどったの……って、あっれ?」
緑色の瞳が少年を捉える。見覚えのある顔に、少年は盛大に跳び退った。2年3組の上原憲太郎、『イソップタシット』の現役トップ。少年にとっては絶対に遭遇したくない人間の一人だったが……彼はずかずかと少年に歩み寄り、彼の長い髪を乱暴にかき混ぜた。
「なーんだ、ミキタンじゃん」
「その呼び方はやめてください!」
「あはっ、相変わらず陰キャのふりして元気だよねミキタン」
「ケンタロー、こいつ誰?」
志間の問いかけに、憲太郎は少年の髪を乱雑に撫で続ける。せめてもの抵抗と伸ばされた腕をがっしりと掴み、彼は口を開いた。
「2年1組の
「あぁ、東堂の腰巾着……」
憲太郎の言葉に、志間は興味なさげに視線を逸らした。未だに髪の毛をいじってくる彼に、少年――上北は噛みつくように叫ぶ。
「いい加減、離してください! 俺、これから用事が!」
「いや知らないし」
「っていうか俺なんかいじって、上原君に何かメリットあるんですか!?」
「あーもう、メリットとかデメリットとか、インテリみたいなこと言うなよ!」
言い放ち、憲太郎は上北にヘッドロックをかました。ぐぇっ、と変な声を上げ、上北はギブアップ宣言をするように彼の腕をタップする。助けを求めるように志間を見上げるけれど、彼は呆れたように肩をすくめるだけ。誰か味方となる人はいないものか、と周囲を見回すと――憲太郎以上に見慣れた影が、視界の片隅に映った。
「……っ!」
憲太郎の腕を押しのけようとしながら、彼はその人影を凝視する。きっちりと七三分けにされた黒髪と、銀縁眼鏡に縁どられた黒い瞳。ワイシャツにジャケットといったフォーマルな姿。それだけなら普段の彼だが……その手元には、大きなボストンバッグが携えられていた。憲太郎の腕から抜け出そうともがきながら、彼は死に物狂いで細い手を伸ばす。
「東堂、くん……っ!?」
「……っ」
彼は一瞬だけ上北に視線を向けたが……人違いだとでもいうように、すぐに逸らす。逃げるように駅の改札へと歩みを進めていく姿を、上北は迷子の子供のように見つめた。……と、彼の頭にかかる力が緩む。はっと振り返ると、憲太郎は興味なさげに頭の後ろで腕を組んでいた。
「……まさかのミキタン、捨てられた系?」
「そんなわけがないでしょう! 東堂くんはそんな人じゃありません!」
「はいはいそうですねー」
「俺、追いかけます!」
「はいはい……え?」
憲太郎の返事も聞かず、上北は弾丸のように走り出す。財布からICカードを取り出し、改札へと猪のように突っ込んでいった。
◇
国分寺から電車を乗り継ぎ、30分ほどで池袋に到着する。電車を出る人波に紛れながら、上北は東堂の背中を追いかける……のだが。
「ブクロの……東口? あっち何あったっけ」
「何で上原君がいるんですかッ!」
そう、何故か上原憲太郎がついてきているのだ。東堂に気付かれない程度に怒鳴る上北に、彼はひらひらと片手を振る。
「いーじゃん、どうせ暇だし。ちょっと強いからってイキり散らかしてる東堂クンの弱み握れたら楽しそうだし?」
「イキっ……!? と、東堂くんはそんなんじゃありません!」
「いや、どう見てもイキってるでしょ。ミキタンの目は節穴なん?」
「ミキタンはやめてくださいッ!」
小競り合いを繰り広げながらも、上北は東堂の背中から視線を外さない。東口改札を抜け、真っ直ぐに目的地へと向かっていく様子の東堂を、二人は一定の距離を保ちながら追跡していく。飲食店の軒下へ、電柱の陰へと渡り歩く中で、憲太郎は不意に口を開いた。
「ってか、ミキタンは何であんなに東堂クンについてってるん? つまんないじゃん」
「つまらなくなんかないですよ……!」
注意深く東堂を観察しながらも、上北は憲太郎の言葉をぶった切る。ちらり、緑色の瞳が上北を捉えた。目を覆うほど長い黒髪で、彼の表情はわかりにくい……だが、その頬は恍惚としたような紅色で。やれやれ、と肩をすくめる憲太郎に、上北は聖人を讃えるように言葉を紡ぐ。
「俺は……あの人の覇道を、見届けたい」
「いや、何言っちゃってるのミキタン……」
「だってあの人のカリスマ性、普通じゃないですもん……将来、絶対に歴史に名を残しますって。一番近くであの人の人生を見届けられたなら、どんなに幸せか……!」
「ラリってんねえ……」
最早何も言うまい、と憲太郎は盛大にため息をつく。複合商業施設に入ってゆく東堂を追いながら、彼は何気なく呟いた。
「……ていうか東堂クン、こんなとこ来るんだ。意外」
「確かに……普段はこういうお洒落な場所には見向きもしないんですけど。というか、あまり私生活には踏み込んでほしくないみたいで、俺も詳しくは知らないんですけど……」
「側仕えのミキタンにも言わないとか……よっぽどの秘密主義じゃん。MP3かよ」
「それを言うならMI6でしょう」
なお、MP3は音楽ファイルのフォーマットで、MI6はイギリスの秘密情報部である。
◇
「……うわぁ……」
「……おぉ……」
明らかにドン引きしている声と、感嘆したような声が重なる。商業施設内の広場には、カメラのシャッター音が途切れることなく響いていた。周囲を満たすのはカメラを持った人々と、現実味の薄い服装やメイクの人々。
「……コスプレイベント? ねえミキタン、どこで道間違えたの?」
「いや……確かに東堂くん、こっちに来たと思うんですけど……困ったな、もしかして見失った?」
「うっわぁ……あのキャスターギルガメッシュ全ッ然似てない引くわー。あ、でもあっちのデオン様は普通に似てるじゃん」
「FG〇やってるんですか!? ……いや、今それどうでもいいので! 東堂くんを探しましょう!」
最早ただのマスターと化した憲太郎の服の袖を引っ張りながら、上北は周囲の人々に目を光らせる。まさかコスプレイヤーではないと思うが、彼のイメージ的に撮影者というのも考えにくい……と考えていると、聞き慣れた硬質な声が耳を打った。
「見ろ――人がゴミのようだ!」
「……はい?」
滞留するガスのような感覚が、上北の首元に纏わりつく。絶対に振り返りたくない。今のは明らかに東堂の声で、しかし東堂が絶対に言わなさそうな台詞で……。
「……え、何今の。3分間だけ待ってくれる人?」
「だと思います、けど……今の声……」
「うん、言いたいことはわかるよ……明らかなキャラ崩じゃん……」
憲太郎の声もかすかに震えている。まるで信頼していた人の奇行を目にしたかのように。言いつつも、彼は静かにスマホのカメラを起動させた。声がする方向に端末を向ける彼に気付かぬまま、上北は恐る恐る、声がする方向に視線を動かす。
茶色のスーツに黄色のスカーフ、目元を覆う明るい色のサングラス。片手にはリボルバー式とみられる拳銃。茶色のウィッグを被った頭と、ニヒルに笑う口元。上北にとっては毎日見ている顔が……拳銃を構えて、堂々と胸を張った。
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