第35話 そ、それを早く言えなのだ!

「戦勝!」

 派手な金髪が目を焼く。カラコンで緑色に染まった瞳が嬉しそうに瞬く。

「記念!」

 黒髪の中で、赤メッシュが派手に揺れる。大きな瞳が輝き、満面の笑みがその表情を満たす。

「なのだーっ!!」

 そして、アイボリーブラックの髪がふわふわと揺れる。アーモンド形の瞳が輝き、白シャツに包まれた両腕が派手にぶち上げられた。昇龍二高付近の焼肉屋には2年3組全員が集まっていて、佳代はそんな彼らを見回して声を上げる。

「皆! 今日の体育祭は僕たち白軍の勝利に終わったのだ! というわけで祝杯なのだ! 祝勝会ってわけなのだから、チームがどうとかいけ好かない奴だとか、そういうことは一回忘れて仲良くやるのだ! というわけで皆、乾杯の準備はいいのだ?」

「いええええええええいっ!!」

 むさ苦しい歓声が響き渡る。眉根をぴくぴくと震わせながら、きざしは額を押さえて溜め息を吐いた。もともと昇龍二高の生徒はノリがいい者が多く、彼にとってはそこまで居心地がよい場所ではなかった。しかし周囲の生徒たちは次々とコップを掲げ、兆も肩をすくめながらコップを手に取る。全員がコップを持ち上げたのを確認し、憲太郎はコーラが入ったコップを持ち上げた。

「それじゃあ、見事勝利したことを祝して――かんぱーい!」

「かんぱーい!!」



「んーっ! 焼肉美味しいのだぁ!」

「楽しそうだな、佳代」

 頬に手を当て、食リポをするタレントのような表情で焼き肉を堪能する佳代。その隣で、兆は頬に無事な方の手を当てた。三白眼を細め、彼の横顔を眺める。堪能しているのか、ほのかに赤く染まっている頬。それはいちご大福のように柔らかそうで、兆は片手が折れていてよかった、と心の底から思った。

「そりゃもう楽しいのだ! 皆楽しそうなのだし、焼肉は美味しいのだし!」

「ったく……本当に無邪気なやつだな」

「むっ! 僕は子供じゃないのだぞ!」

「まぁ、そうだけどよ」

 むっと頬を膨らませる佳代、その表情はたこ焼きのように愛らしくて。ふっと視線を逸らし、焼肉を網から引き揚げる。

「お前、危なっかしくて見てらんねえんだよ。ちょっと目ぇ離せば不良のど真ん中に突っこんで正論吐いて、挙句の果てに頼んでもないのに人をマシな方向に強制連行するっつーか……本当、何なんだよお前。本当わけわかんねぇ」

「ふん、僕は僕の目的のためにやってるだけなのだっ」

「声上ずってるよん」

 兆の隣に座る国近が、赤メッシュを揺らして笑う。軽めに焼いた肉をタレにつけながら、からかうように言い放った。

「佳代ちゃんってさ、自分のために生きてんのか他人のために生きてんのかわかんないんだけど。ぶっちゃけどっちなん?」

「うーん……」

 短い指を顎に当て、佳代は数秒考える。その横顔は真剣にギャグを考える芸人のようで、それすらも兆にはひどく輝いて見えて。しばらく黙って考えたのち、佳代はゆっくりと口を開いた。

「……今は昇龍二高のため、なのだ」

「……」

「二高のため……か」

 呟き、兆は傍らのウーロン茶に口をつけた。小さく喉仏を動かし、目を伏せる。佳代の表情はまるで雪解け水が流れる小川のようで、何故か直視できなくて。そんな兆を視線で撫でて、佳代は柔らかい春風のように口を開いた。

「自分のため、とも言えるのだけれどな。単に僕が許せないってだけで、望んでもない人の道を無理やり捻じ曲げるのは、ある意味では僕の我儘わがままともいえるのだ……それでも、僕はやるのだ。人の苦しみはできるだけ取り払ってやりたいのだし、他人が辛い思いをしているのは、見てられないのだ」

「正真正銘のお人好しじゃん」

「本当によ……」

 小さく息を吐き、兆は再びウーロン茶に口をつけた。佳代は昔からそういう人間だった。1組に病気の子供あれば行って看病してやり、2組に疲れたクラスメイトあれば行ってその肩を揉み、3組に泣きそうな人あれば心配することはないと言い、4組に喧嘩やいじめがあればつまらないからやめろと言うタイプの子供だった。そのせいで殴られたりもたくさんしたが、それでも佳代は決して屈しなくて。そんな彼が心配で、眩しくて……兆は、ずっとずっと彼のことを見つめていた。


「本当、そんなだから……お前は」

 言いかけて、はっと息を呑む。その先に続く言葉を探して、一帯を見回しても見つからなくて。同時に何故か心臓が萎縮するような感覚を覚え、兆はコップの中のウーロン茶を一気に飲み干した。

「……兆? 僕がどうかしたのだ?」

「なんでもねえよ。つか肉焦げてんぞ」

「うわっ!?」

 慌てて網に視線を向けると、佳代が焼いていた肉が焦げて黒い煙を上げていた。慌てて肉を回収し、若干涙目で叫ぶ佳代。

「そ、それを早く言えなのだ!」

「気付けよ……」

 呆れたように目を伏せ、先程引き揚げた肉を口に含む兆。それは思ったよりも熱くて、思わず口元を押さえるのだった。



「……でも、1学期は本当にこれで終わりなのだ? 体育祭の閉会式が終業式とか、学校としてどうなのだ?」

「そこ突っ込んでどうすんだよ」

 言い放ち、兆は茜色を通り越して暗くなってゆく空を見上げる。隣では佳代が軽い足取りで歩いていて、体育祭の疲れなど知らぬように。兆の一歩前に出て、くるりと両手を広げて回る佳代。そのまま兆の方を振り返り、後ろ向きに歩き出す。

「それにしても夏期講習、何で全員参加じゃないのだ?」

「普通そうだろ。講習なんて赤点取った奴とか、出席日数が足りてない奴が行くやつだろ。むしろ一高は何で全員参加なんだよ」

「そりゃ進学を目指す者として当然なのだ。勉強はできる時にしておくものなのだ」

「進学、なぁ……」

 呟き、ふっと目を伏せる兆。その瞳にどこか悲しそうな光が宿った気がして、佳代はかくりと首を傾げた。

「……兆?」

「なんでもねえ。放っとけ」

「……」

 佳代はしばらく不満そうに口をとがらせていたが、兆がしばらく睨みつけていると観念したように肩をすくめた。くるりと半回転し、歩き出す。

「わかったのだ。……話したくなったら、いつでも言ってくれなのだ」

「おう」

「僕は普通に進学を目指すのだ。夏休みもずっと勉強してるのだ。昔みたいに一緒に遊んだりとかはできないと思うのだ。前もって謝っておくのだ」

「いいよ、んなこと……」

 呟くように言い放つと、アイボリーブラックの髪を揺らして佳代は勢い良く振り返った。小さな顔の中で、アーモンド形の瞳が瞬く。彼は昇ってゆく太陽のような笑顔を浮かべ、こく、と首を傾げた。

「とはいえ、連絡くらいは取っておくのだ。気が向いたら会いに行くのだ! 兆もいつでも僕の家に来ていいのだぞ!」

「うるせぇよ……」

 憎まれ口を叩きながらも、兆は佳代からふっと視線を外す。その言葉は白日のようで、兆の心臓がひどく疼くようで、彼は顔を隠すように深く俯いた。……その頬がほのかに赤く染まっていることに、彼はまだ気づいていない。

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