第22話 お前は何一つわかってないのだッ!
「おっはよー」
「
ホームルームが終わるのを見計らい、先生がいなくなるタイミングで教室に忍び込む。と、佳代がアイボリーブラックの髪を揺らして勢いよく振り返った。立ち上がっても小柄な彼にズビシッと指さされ、憲太郎は呑気に肩をすくめる。
「しょーがないじゃん。
「……何時に寝たのだ?」
「……3時過ぎ?」
「朝ではないかッ! 日付が変わる前には寝ろ!」
「だって兄貴が受験勉強でオールするって言ってたんだもん。横でパ〇ドラしてモン〇トしてツイ〇テしてFG〇してたら気付いたら3時でさー」
「寝ろ! せめて勉強しろ!」
ぜぇぜぇと肩で息をする佳代をよそに、憲太郎は悠然と自分の席へと歩いてゆく。ふと男子生徒の一人が顔を上げ、ちらりと彼に視線を向けた。
「てゆーかケンタロー、前に兄貴のこと超嫌いとか言ってなかったか?」
「っ!」
わかりやすく身をすくませる憲太郎に、クラス中から冷ややかな、あるいはからかうような視線が突き刺さる。羞恥心か別の感情か、頬に上がっていく熱を振り払うように、憲太郎は金髪を振り乱して弁解を始めた。
「いや、超嫌いだよ!? 超嫌いだけど!? 別に仲直りしたとかそういうんじゃないからね!? まともに話してみたら兄貴、めっちゃ優しくて包容力あって俺のこと大事にしてくれて、絶対モテるだろとか思ってないからね!?」
「……超墓穴掘ってんじゃねーか!」
一拍遅れて放り込まれたツッコミに、教室は割れんばかりの爆笑の渦に叩き込まれた。別の意味で真っ赤に染まった頬を腕で隠し、絶叫する憲太郎。
「あーもー! 兄貴嫌い超キライ! 最悪ー!!」
「なぁ、佳代」
「ん、どうしたのだ、
悶絶する兆を遠巻きに眺め、頬杖をついたまま兆は口を開く。何気なく首を傾げる佳代に視線を向け、兆は静かに問いかけた。
「あれでよかったのか?」
「……上原がいいなら、いいのではないか?」
「何で疑問形なんだよ……」
呆れたように溜め息を吐くと、佳代はようやく隣の席に腰を下ろした。ぼんやりと天井を見上げる彼に、兆は静かに続ける。
「確かにあいつは少しは楽になったかもしんねえ。けど、現状は何も変わんねえ……結果は何も出てねえ……しかも体育祭終わったら1学期終わるぞ? こんなんで、佳代がここにいる1年の間に二高を変えられるのか?」
「ふん、甘いのだ。これも策略の一つなのだ」
わかってないな、と言わんばかりに片手を広げ、佳代は兆の椅子に自分の椅子を近づけた。びくりと震える兆に顔を寄せ、佳代は人目を気にしながらも囁く。薄い空気を介して体温すらも伝わってきそうで、兆は思わず息を呑んだ。
「雑草は根っこから抜くものなのだ。上原はクラスの、いや二高の中でもトップクラスの影響力を持っていると踏んだのだ。そんな彼が不良じゃなくなったら、波及して不良じゃなくなる生徒が増えるはずなのだ」
「……っ」
「バタフライエフェクトってやつなのだ。少なくとも、ないよりマシなのだ。……それに何より、僕は兆に――」
「だぁっ! 近ぇ!」
佳代の肩を持って引っぺがし、荒い呼吸を繰り返す兆。その頬がほの赤く染まっているような気がして、佳代はきょとんと首を傾げる。彼を直視できないまま、兆は必死に深呼吸を繰り返して……ふと、心臓の音が耳を打った。痛いほどに脈打ち、全身を必要以上に熱するようなそれに……不思議と心地よさを覚えて、兆はそっと手を下ろす。
◇
「やぁ、
「む?」
ふと降ってきた声に、佳代は弁当から顔を上げる。七三分けに銀縁眼鏡の少年が彼を見下ろし、鍛え抜かれた日本刀のような微笑みを浮かべている。
「……東堂? お久しぶりなのだ」
「ああ、お久しぶり。今、大丈夫かな? ちょっと廊下で話そうじゃないか」
「む、構わないのだ。じゃあ兆、ちょっと行ってくるのだ」
「……ああ」
東堂に連れられ、廊下へと出ていく佳代。二人の背を眺めながら、兆はゆっくりと腰を浮かせ、座り直した。と、彼の机に歩み寄ってくる影。特徴的な赤メッシュが入った黒髪を揺らし、国近は勝手に佳代の椅子に腰を下ろした。大きな瞳はどこか張り合いをなくしたように曇っていて、兆は怪訝そうに眉をひそめる。
「どうしたんだよ、国近」
「ねえキザッシー……ケンタローに何があったん?」
「……っ」
曇った瞳はどこか真剣で、兆は思わず息を詰まらせる。先日、隣で聞いていた電話を耳元に蘇らせるけれど、どこまで話して良いものか。思わず国近から視線を外し、口をつぐむ。国近はしばらく曇った瞳で彼を見つめていたが、ふと大きな瞳を閉じた。
「……話したくないんなら、別にいいけど。でもなんか、あのままケンタローがヤンキーやめちまったら、張り合いがなくて嫌っていうか……」
「……あいつもそう簡単にやめないだろ。仮にも『イソップ』の頭だぞ」
「それはそうだけどさ。もしもの話だよ……」
吐息のように呟き、国近は大きな瞳で天井を仰ぐ。その瞳はまるで、大切な人を喪う夢を見ているかのように映った。
◇
「話は聞いたよ、勘解由小路君。不良たちの喧嘩に出くわして、止めようとして逃げられたんだって?」
「かなり歪んだ情報が伝わっているのだ!?」
思わずひっくり返りそうになり、佳代は教室の扉に勢いよく張り付いた。東堂の冷ややかな視線を跳ね返すように睨みつけ、噛みつくように言い放つ。
「逃げられたっていうか、連中が勝手に逃げたのだ! 救急車呼ぼうと思ったら、警察呼ばれると勘違いして――」
「そう、そこだ」
すっと指を伸ばし、東堂は勝ち誇ったように笑みを深める。壁に張りついたまま首を傾げる佳代に、腰に手を当てて言い放った。
「そこで君は警察を呼ぶべきだったんだ。権力を利用して抑えつけてしまえばよかったのだ。何故それをしなかった? そうでもしないとあの厄介な不良たちは言うことを聞かないだろう。みすみす逃がしてしまうなんて、最適解とは言えないね」
「ふん、その場限りの最適解なんざ知るかなのだ!」
ようやく壁から手を離し、佳代は勢いよく振り返った。眼鏡越しの瞳を跳ね返すように正面から睨み返し、ズビシッと彼の眉間を射抜くように指さす。
「――お前は何一つわかってないのだッ!」
「な、何だって?」
意表を突かれたように目を見開く東堂を見上げ、佳代は堂々と言い放つ。誇り高き獅子のような視線が東堂を射抜き、小さく喉の鳴る音が響いた。
「よいか? 頭ごなしに抑えつければ不良が更生するというものではないのだ! そんなことをしたら反発を招くのは中世の絶対王政を視れば火を見るよりも明らかだろう! そんなこともわからず何が生徒会、何が人の上に立つ者! 産着の中から出直してくるがいいのだッ!」
言うだけ言って身を翻し、教室の中へと消えてゆく佳代。東堂は呆然と口を半開きにしたまま、その後ろ姿を見送るのだった。
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