第48話

「俺はここまでだ。」


 腹ごしらえをし、少し休憩してから部屋を出た俺たちは、第5ダンジョン裏口の前まで来た。

 さすがに少しずつ緊張感が漂い始め、ホームを出てからここまでの会話はほとんどない。

 真っ昼間だというのに裏口のある路地に吹き込んでくる寒々しい11月の風が、緊張し始めた心を落ち着けたい今の俺にはむしろ心地よいくらいだった。


 マスターの言葉通り、今回はマスターを除いた5人でボスに挑む。

 マスターの能力は完全にサポートに振りきれており、初見ではない今回の攻略には参加しないことが決まっているのだ。


「ミツハルさん、ここまでありがとうございます。お陰で頑張って来れそうです。」


 代表してカケルさんが言う。

 喫茶店の前を通った時、入り口には臨時休業の看板が掲げられているのが見えた。

 攻略には参加しないにもかかわらず、一度入れた客を追い出してまで時間を作り、ここまで見送ってくれているのだ。


「俺にとっては当然のことをしたまでだ。思いの外喫茶店が忙しくなったけど、あくまでも俺の本業はこっちだからな。」

「マスター・・・。」


 隠そうとはしているのだろうがマスターの表情の奥には悔しさが読み取れた。

 精神的にマスターが頼りになるのは俺も含めて全員が分かっていることだが、トップパーティーともなると厳しい世界。

 会議の際に戦闘時にむしろパーティーにとって危険が大きいのではないかと判断されたのだ。


「陽向君、皆を頼んだよ。」

「俺、ですか?」

「そうだ。前回の攻略と違うのは陽向君が参加してくれたこと。ダンジョンで頼りになるのは俺も知っている。皆をよろしく頼んだ。」


 意外にも真っ先にマスターが声をかけたのは他のメンバーの誰でもない俺だった。


 言葉とともに差し出されたマスターの手を俺は慌てて右手で強く握る。

 悔しさ、期待、不安。マスターの様々な強い思いが伝わってくるようだった。


「さぁ、行こうか。」


 カケルさんの合図で不器用な笑顔で手を振って見送るマスターを尻目に順番に裏口へと入っていく。

 一番最後尾だった俺は他の4人と違って、あえてマスターの方を振り返ることをせずに4人の後に続く。

 今、俺の心の中でうずまいている複雑な感情が出てきてしまいそうな気がして、ただ心の中で行ってきます、と念じることしかできなかったのだ。


 裏口から入り、そのままダンジョンに侵入すると少し混雑した受付の後方を通って、管理用の1階ボス部屋までの経路、通称Fルートへと進む。

 一番ダンジョン攻略者の多い日曜のお昼時だというのに一切の人影がないというのは未だに違和感が大きい。


「よし、ここで最終確認をしよう。まずは各自自分の装備に不備がないかを確認だ。」


 Fルートに入ってしばらく歩いたところで全員立ち止まり、最後の作戦会議を行う。

 ここ最近はこの場所での確認が本格的な攻略前の通例となっている。


 1階のボスを倒し、出現したポータルを使った後の今日の目的地は地下29階。

 一昨日までで攻略および探索を終えているのは28階までで、俺以外の4人にとって辛い思い出のある29階を避けるようにして攻略を続けてきた。

 28階までと29階の構成に大差ないとなれば避けるのも当たり前のことで、その決定に疑問は持っていない。


 つまり今日はまず29階からスタートし、そのままボス部屋まで駆け抜け、そしてボスを討伐する予定になっている。

 今日は訓練のために積極的に接敵していたこれまでと違い、その間なるべく接敵しないようにして魔力や体力の消費を抑えるのだという。


「陽向くん?」

「あぁ、はい。すみません。」


 カケルさんがボーっとしていた俺の名前を不思議そうに呼び、俺も慌てて自分の装備をチェックする。

 防具、アイテムポーチ、その中のポーション類、そして新しい剣。


「良い剣だね。だけど本当にそれで良かったのかい?」

「はい。今の俺にはこれでももったいないくらいですから。」


 今俺が右手に持っている新しく買った剣は第5ダンジョン内で店売りされていたもの。

 ついでに言えばマスターと雪と3人でここに来た際に価格を見て諦めたショーケースに入った剣だ。


 装飾自体は柄の部分に幾何学的な紋様が申し訳程度に施してあるくらいで、完全に実戦向きのものだが、刀身は光り輝くようで素晴らしく、そして鋭く、装飾が少ない分重さも良い剣にしてはなかなかに軽い。


 カケルさんの本当にそれで良かったのか、という疑問は言葉通りのもので、能力者が自分の主たる武器として持つ物にしては少し見劣りするものであり、一般の攻略者でも買うことのできる店頭のショーケースの中でも一番高い剣ではなかった。


(剣は己とともに成長する。)


 これまで剣士としてダンジョンを攻略してきた俺は、自分の懐事情や実力から判断して少しずつ剣のグレードを上げてきた。

 もちろんもっと値段の高い良い剣を買うことも許されただろうが、まだ慣れない部分のある左手でとなると、能力者になって剣士としても様々な部分で出来ることの増えた今でもこの剣が自分の実力にはまだ不相応であると思っている。


「左手の剣もだいぶ慣れたみたいだからね。上位種のオーガにも十分通用していたし剣での活躍も期待しているよ。」

「はい、期待に応えられるように頑張ります。」

「そんなにかしこまらなくていいのに。陽向くんも緊張してるのかな?」


 おどけるようにそう言ったカケルさんに俺は苦笑する。

 どうしてもダンジョンに来るとカケルさんがリーダーということを意識してしまい、自然と固くなってしまうのだ。


 しばらくして全員が装備の点検を終え一度しまうと、それを確認したカケルさんが再び話し始める。


「よし。29階と30階をなるべく接敵しないように駆け抜けたら少し休憩を挟んでそのままボスに挑む。準備運動は必要だが魔力はなるべく温存しておくように。そしてボス部屋では茜に魔力水晶を破壊してもらった後すぐに戦闘を開始することになるだろう。部屋に残っているのはジェネラルオーガ1体にハイオーガ2体。ハイオーガをミサキと俺、ジェネラルオーガを陽向くんが担当して、茜が後方から、ヒカリが陽向くんの担当するジェネラルオーガを中心に動き回って支援する。」

「敵の数も少ないし、いつも通り報告は必須だけど基本的には戦闘中自由に立ち回って構わないからね。」


 カケルさんとミサキさんの言葉に、俺は黙って頷いた。

 本来ならハイオーガが3体現れるところ、1体討伐済みの今回はヒカリさんを遊撃に回せる余裕がある。

 一度討伐に失敗したボスは時間が経てば経つほど力を付けていくというのが常識だが、前回の戦闘時にそれなりのダメージを負わせていることを考えると心配するほどではないだろう、というのがカケルさんの見立てだ。


「あかねの魔法はあまり期待しないでね。」

「大丈夫だ。これまで通りやれば問題ないさ。」


 うつむいて言った茜ちゃんを励ますようにカケルさんが声をかける。

 攻略当日になっても体が成長しなかったのはパーティーとしても想定外のことで、今の体では大きな魔法を使うのが難しかったり、体力的な限界が訪れるのが早かったりして、強いて挙げるならこれが心配材料といえるだろうか。

 とはいえ、ここ数日オーガと戦っている中でも本来よりも威力が劣っているという茜ちゃんの魔法は十分通用しており、本人以外の全員がそこまで心配することではないと思っていた。


「何か質問がある人はいるかな?・・・よし。なさそうなら、さっそく出発しよう。いつも通り道中気になることがあればすぐに言うように。」

「あれ?今日は円陣組まないの?」

「・・・あれは止めておこう。この前やったときには僕の大事な何かが失われる気がしたよ。」


 女性陣3人が輪になるように集い始めているのを見て身構えていた俺はカケルさんの言葉に安堵した。

 一昨日までの数日間、ミサキさんの提案で出発直前に5人全員で円陣を組んで手を合わせ、『ファーイブ、スターズ!』と声を出して気合を入れるということをしていたのだ。

 女性陣はかなり楽しそうにしていたが、俺とカケルさんは恥ずかしさでそれどころではなく、ちょっとした憂鬱なイベントになりつつあった。


 すでに恒例行事になったと思っていたのだろう女性陣から白い目で見られてあわあわするカケルさん。

 俺が言い出せなかったことを言ってくれたカケルさんに感謝しつつも、茜ちゃんにジト目で腕をつねられる姿に同情する。

 気付いたら全員の間に張り詰めていた緊張感は薄らいでいて、出発前の雰囲気としては最高の物だった。



 そしてその約2時間後。


 俺たちは29階、30階を予定通り進み、もう少しでボス部屋に辿り着く、というところまで来た。

 29階を通るときは4人ともさすがに辛そうな感じがあったが、ここまでの道のりは順調といってよく、オーガとの接敵もわずか5体のみ。

 連携や基本動作を確認しつつ体も温めることができ、今は万全の状態といえるだろう。


 緊張がなくなったわけではないが、いざダンジョンの中を進み始めると、皆普段のような雰囲気に戻り、警戒しながら雑談もしつつ、パーティーの空気感はかなりいいものだった。


「さぁ、そろそろだ。そこまで疲れてないと思うけど事前に決めていた通り全員で一度休憩をとるからね。」


 他の4人と違いこの階層は完全に初見のため、俺は隊列に着いて行くのみだ。

 もちろん警戒はしているのだが、先頭を務めるミサキさんの索敵はほとんど外れることがなく、出会い頭の戦闘が発生しないため、かなり楽なものだった。


「そこの角だ!ボス部屋がいよいよ見えるよ。」


 ミサキさんがテンションを上げるように言う。

 なんだかんだ言ってもダンジョン攻略好きの集まりでもあり、ボスの攻略は楽しみでもあるのだ。


 5人の隊列は少しスピードを上げ、曲がれば正面にボス部屋という角に差し掛かる。

 その角を曲がると茜ちゃんの魔力水晶によってふさがれたボス部屋の扉が見える、はずだった。


「あれ?」


 先頭で一番最初に角を曲がったミサキさんが先ほどまでのトーンとは違う声で呟いた。


(え?)


 他の4人も急いで続いて進むと、飛び込んできた想像とは違う光景にミサキさんの言葉が表すような困惑が俺の胸の中にもあふれる。


「そんな・・・、ありえない。」


 茜ちゃんの口から思わずといった感じで言葉が漏れた。

 5人の目に映ったのは、通常の閉じられた赤を基調として豪華に装飾されたボス部屋の扉。


 そう。

 魔力水晶でふさがれているのではなく、5人が見たのはこれまで俺も見てきたようなぴったりと閉じられた攻略者をただただ待っているような通常の状態の扉、だ。


「・・・どういうことなんだ。」


 思わず出てしまったカケルさんの震えた声が、シンとした地下30階に響き渡った。




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