第29話
待ち合わせ時刻であった19時の5分前になって、制服姿の雪がホームの扉を開け、部屋の中へと入ってきた。
当然のことながら妹を部屋にいれる許可はカケルさんにもらっているため、無断で連れ込んでいるわけではないことを一応ではあるが申し立てておく。
(あれ?)
妹の表情がいつもと少し違うことに気付く俺。
「お兄ちゃん、ごめん。待ち合わせ時間ギリギリになっちゃったね。」
開口一番、額に汗を浮かべ、焦った様子の表情で言う雪。
声もいつもより小さめで、心なしか力がこもっていないように思える。
待ち合わせ時間に遅れたわけでもないし、俺には雪がそこまで焦っている理由がいまいち分からなかった。
「いや、ここで優雅に待っていただけだから全然問題ない。それよりもこれから何をするか詳しく教えてもらってないけど、もちろん普通に第5ダンジョンを攻略するわけではないんだろ?」
「そう、だね。お察しの通り今日は明確な目的がある。とりあえずは私についてきてほしいかな。」
そう言い残して雪はソファーに腰を掛けることもなく、先ほど通ったばかりの扉を再びくぐって外に出る。
(すぐに出発するとは思ってなかった・・・)
妹の予想外の行動に、俺は慌てながらも少ない荷物を素早くまとめ、外で待つ妹に続いた。
扉の外で棒立ちして待っていた雪に、俺は思ったことを伝える。
「学校終わりにダンジョン協会の本部に寄ってから直接ここに来たんだろ?外は寒かっただろうし、少しの間だけでも休憩して良いんだぞ。・・・俺には焦っているようにも見えるけど、今日何かあったのか?」
「焦ってる・・・。確かに焦ってるのかも。」
それだけ言い残し、俺の次の言葉を封じるように、無言で、そして早足で歩き始める雪。
(どうしたんだ?本当に何があったのだろうか?)
明らかに朝とは様子が違うことが分かり、不審に思う。
今日の一日の行動を考えてみると学校か、もしくはさきほど寄ったはずの本部で何かあったのか。
時期的なことを考えると地下40階の攻略関連で何かしらの進展があったと思われるが、雪の纏っている雰囲気的に突っ込めるものではなさそうだった。
(とりあえず今はついて行くしかない。)
俺と雪は会話を交わすことなく第5ダンジョンの建物内へと入り、人ごみの中をかき分けながら進む。
ここ数日は裏口から入っていたため、今まで通い慣れた道ではあるが、なんとも不思議な気持ちである。
「あ、あれって能力者の雪さんじゃないか?」
「そうっぽいな。声かけてみるか?」
「い、いや、止めておこうよ。何か怒られそうな気がする。」
今日は変装もしていないためすぐに気付いたのだろう、少し先の高校生っぽい集団からそのような話声が聞こえてくる。
この高校生たちではなく、周りの人も雪の雰囲気を感じ取っているのか、いつものように声をかけてくることなく、遠目で見守っている感じだ。
そのまま誰にも声をかけることなく人ごみを突っ切ってダンジョン内部に侵入すると、入ってすぐのところにある受付にいたセイラさんが俺と雪に気付き、笑顔を浮かべながら嬉しそうに手を振ってくる。
俺は恥ずかしい気持ちを抑えてセイラさんに手を振り返すが、雪に反応はない。
(・・・これはやっぱりおかしい。)
進行方向ではないとはいえ、俺も雪もセイラさんとは仲良くさせてもらっているため、受付に顔を向けてセイラさんの存在を確認するのは第5ダンジョンを訪れた際の当たり前になっている。
セイラさんも忙しくなる時間帯だし、恐らく今話すことは出来ないだろう。
しかし、せっかくセイラさんからも気付いてもらえたのだ。手は振らないにしろ、せめて会釈ぐらいはと思い小声でそのことを雪に伝えるが、またしても反応はない。
俺は仕方なく申し訳なさそうにセイラさんの方に数度お辞儀をしてから少し先を進む雪に再び続く。
セイラさんは不思議そうにしながらも、笑顔でゆっくりと頷き、先へ進むよう促してくれた。
そして数十分後。
辿り着いたのは何日ぶりかの地下10階ボス部屋の扉の前。
主は当然、ゴブリンジェネラルだ。
(考えないようにしていたけど雪がここに連れてきた意図は分かる。)
すでに息が詰まり、少しずつ動悸が増してきていた。
途中から妹がどこを目的地としているのかは薄々気付いていたためだ。
ここまでの道中は連携のれの文字もなく、現れた敵は雪が魔法で瞬殺。
明らかに俺の実力が見たいとか、能力の実験をしたいというわけではなさそうだったのだ。
雪は俺が予想していた通りの言葉を言った。
「お兄ちゃん、ゴブリンジェネラルとソロで戦って。能力を手に入れた今なら楽に勝つことができるはず。」
今度は俺が無言になる番だった。
思うところはあるが、確信ではない。
雪の方を向いて自分の心を落ち着かせるように、ゆっくりと大きく頷く。
(大丈夫、きっと大丈夫だ。)
唱え続ける言葉とは裏腹に動悸はさらに激しくなり、手が震え始めているのも感じる。
(雪の言う通り今となってはそこまで恐れる相手じゃない。能力との相性も悪くはないだろう。なら、やるしかないだろう?)
覚悟を決めた俺は扉に手をかけ開こうとする。
しかし、そこまで。自分の思考とは裏腹に体が動かないのだ。
俺の腕は鋼鉄に固まったかのように、それ以上扉を押し込むことができなくなっている。
疑念が確信に変わった瞬間だった。
「ゆ、雪。無理だ。開こうとしても手が言うことを聞いてくれない。雪の意図は分かる。ゴブリンジェネラルが能力に制限がかかっている原因だと予測していたんだろ?」
震えた声で雪に伝える。
「正しくはゴブリンジェネラルと戦った光景、なのかな。」
そう。あの時、俺は一度生きることを諦めた。
体はボロボロで立っているのがやっとの状態。
能力の発動がなければ間違いなく俺は死んでいた。
いや、俺だけではない。あの場にいた全員が同じ結末に終わっただろう。
力があれば救えたはずの命もあった。
あと少しのところで大剣によって残酷にも失われた命。
死ぬ直前に魔道具の支配から逃れた女子の口から放たれたのは最愛の家族を呼ぶ弱々しい声だった。
先回りを繰り返し、俺のことを嘲笑うかのようにサークルメンバーの命を奪っていったゴブリンジェネラル。
あの瞬間、俺に力があればとどれほど強く思ったことか。
しかし生を諦めた時に、皮肉にも能力は発動したのだ。
確かに結果的には自分の命とサークルメンバー4人の命を救うことができた。
だが、当然のことながら失われた命はもう二度と戻らない。
「お兄ちゃんは悪くない。」
そう。
客観的に見れば俺は悪くない。むしろ被害者と言ってもいいだろう。
悪いのは魔道具を使ったリーダー格の男。
しかし俺が命を救った彼も魔道具の影響で廃人寸前。
ついでに言えば彼のターゲットは俺だった。
「お兄ちゃんは最善を尽くした。」
そう。
あの場での最善は尽くしたと言えるだろう。
人を守りながらゴブリンジェネラルと戦うのは一般の攻略者には難しい話だ。
そもそもゴブリンジェネラル自体がかなりの強敵なのだ。
だが力が足りなかったせいで、能力の発動が間に合わなかったせいで、片手の指以上の人の命がすぐ目の前で失われた。
悲しみ、怒り、後悔。
俺の深くに浸透したこれらの感情をぶつける相手であるゴブリンジェネラルはすでに倒され、リーダー格の男も感情があるかさえも分からない。
俺のせいでもある。
あの時俺が言い返していなければ、素直に他のダンジョンの攻略をしていれば、違う未来があったかもしれないと、どうしても思ってしまうのだ。
それほど目の前で起きた光景は悲惨だった。
気付かないようにしていただけでゴブリンジェネラルの俺をあざけるような笑みは俺の目の前にあったのだ。
(・・・俺は弱い。)
能力どうこうという話ではない。
間違いなくあの光景がトラウマとなって能力は制限されている。
しかし能力が本来も弱いのは、俺の心が弱いせいなのだ。
「雪、来週もう一度時間を取ってここに来ることは出来ないか?それまでに気持ちの整理を・・・」
「だめ。だめなの。」
雪の涙の入り混じったような声に驚き、俯き下を向いていた顔を上げ、雪を見る。
(なんで、何で泣いているんだ?)
俺を慰めるため、励ますためではないだろう。
泣いている雪を見たことで、俺はここまで抱いていた違和感の正体を聞かざるを得なかった。
「・・・どういうことだ?」
「地下40階の攻略開始の日にちが早まった。開始は明後日。何度でも、何度でも付き合うから、今日乗り越えてほしい。お兄ちゃんのあんな姿もう二度と見たくないから。」
涙ながらに話す雪。
俺は言葉を出すことができなかった。
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