エピローグ

希望と絶望の先にある始まり

 スピーカーでがなり立て、人垣を作るデモ活動は、相変わらず街の至る所で行われている。平等な社会とは、努力しない人、努力したくない人にも、あらゆる権利と金を与えることであり、そのためには、格差社会を容認する政府与党や大企業を潰し、資本家を殺してもいいという過激な論調が、相変わらずハウリングしていた。


 マスコミも針小棒大に政府与党を貶し、彼らの活動を全面的に支持していた。 


 しかし先の選挙で、野党は惨敗した。


 あれだけ困窮した、困窮していたつもりの貧困者は、政府与党の補助金に満足して、それ以上の活動どころか、投票にすら行かなかったらしい。

 投票率は過去最低だったが、政府与党の岩盤支持者は数を減らすことなく、結果として現政権はさらに実行力を増すことになった。


 野党に資金を投入していた外国勢力は、選挙直前になって、党の運営権を要求してきた。実現できるはずもなく、結果大量動員は突然止まったことも敗因だった。


 ――――――――


 テレビ番組の街頭インタビューで、不採用になった映像がある。


「あっちこっちでデモしてるけどさ、いつも20人くらいしか来てないじゃない」

「まるで見世物だよね。恥ずかしい」

「デモする人って、わたしたちとは別の世界の人って感じ」 

「平日の昼間から。無職でニートなんだろ。犯罪しそうだし、近付きたくないね」


「テレビ局の人? 昨日のニュースで見た5000人の集会。会場の公園の外から見てたんだ。100人いなかったよ。上着を何回も着替えて、カツラやメガネを付けたり取ったり。スタッフが何人もいて、指示を出して、映画のロケみたいだったけど、あとでCGで合成してたのかな?」



 ********



 校舎の隅っこ。商店街に突き出した部屋で、慈は背中を向けて畳に転がっていた。


「ねえ。海部さん」


 恢復が聞いても返事はない。眠っているような背中に、彼は反応が欲しくて触れようとした。


「恢復くんにそんな覚悟があるの」

「なろう小説って、最近勢いがないから、気にしてるのかなって」


 声とともに体が動き、恢復は慌てて手をひっこめた。

 しかし、それ以上彼女が何も答えなかったことが、察するには十分だった。



 ********



 相変わらず恢復の小説は、平等とか博愛とかの信奉者から叩かれていたが、そういう反政府的な手合いを嫌う人からの高い評価を集め、ある日彼のもとに、メールが送られることになった。


 ――――――――


「きみが那賀なか 恢復なおるくんか。驚いたなあ。学生?」

「若いことはそれだけで売れることだよ」

「うちの出版社がなろう小説専門? それは誤解だよ。読者がストレスを起こさない小説は、読者が求める小説だ。きみの小説は多くの読者に愛されている」


 恢復は褒めそやされ、照れながら、それでも顔は軽くならなかった。


「そう言われて嬉しいけど。でも僕の考え方を嫌う人は大勢います。出版社は本の売上だけでは赤字で、スポンサーが出版物を利用することで得られるロイヤリティが最大の収益だと聞きました」


「よく知ってるねえ。最近の学生は優秀だ」

「知り合いの社会人が教えてくれました。だから」


 ――対外的なイメージを大事にするスポンサーは、僕の小説のように炎上中の作品を嫌うのではないでしょうか――。



 出版社のフロアの奥、ふかふかのソファのある応接室で、恢復は本心をぶつけてみた。しかし編集長という人は、笑ってみせた。


「それが事実ならテレビやネットのCMから努力系のものは、とっくになくなっているよ。マスコミも解っているんだよ。理想で腹は膨れないからね」


 ドアをノックした人が、編集長に書類を見せる。一通り目を通した編集長は、無数のうねった線でデザインされた、大きな印鑑が押された書類を二通、恢復のテーブルの前に置いた。内容も確認せず恢復が訝ったのを、彼は承知だった。


「そういうイメージを持たれるのは仕方がない。私たちも随分と叩かれたからね」


 最初こそ印税は少ないが、売上に応じて、今までよりも高い率で上げてゆく。当社の規定する出版部数で、コミカライズやテレビ放送、映画化の際に、一定の権利を作者は得られる。


「もちろん契約しないのも自由だよ。持って帰って、内容をよく確認してほしい」


 報道されていた悪行三昧と全く違う。いままで身構えていた恢復に、編集長は機敏な声を上げた。


「きみの小説は、お金のためだけに売るのではない。どんな形であれ、社会を変革したいという気持ちを私たちは応援するよ」


 どうやって離島から抜け出したのか、突然帰ってきた雄武おむといっしょに、何日もかけて、契約してはいけない内容を勉強し、交渉のやり方を研究したが、そんな準備を不要にする言葉に、恢復は満たされた。



 ********



 出版社の広告は恢復の予想を超えていた。いままでヒットしていたなろう小説を押し退けるように、あらゆるメディアで恢復の小説は宣伝され、当人は、デビュー作がこれだけの資金を掛けられることに戸惑い、恥ずかしくなった。


 それは同時に、もっと努力して、評判倒れと呼ばれないよう、小説のレベルを上げると同時に、作者自身も、立派な大人になろうと思った。


 だから、発売前なのに、既に出版社から二冊目のプロットを要求され、遅くまで書いていても、今日も休まず講義に出席した。


 ――――――――


 大学は平和に戻っていた。政府からの補助金は、退学者を出すことなく、たとえアルバイト漬けであっても、誰もが諦めずに過ごせていた。

 慈が相変わらず取り巻きに出来合いの弁当をふるまっていたらしい。

 その取り巻きは、もうみすぼらしい姿を晒すことはなかった。


 誰かに頼ってばかりで、自分を磨こうとしない。将来を探求しようとしないあの表情は、ここでは消え去り、誰もが自立と自信を持ったように見えた。

 だから恢復は誤解した。


「サイト見たわよ。あなたが話題の作家だったのね」

「バレてたの」

「夢を形にするなんて、そんなに簡単に出来るものじゃないよ」



 顔や本名は伏せていたのに、ネットでの特定班の能力に、恢復は驚いた。だがそれも、有名税だと思って、ある程度は受け入れなければと、覚悟はしていた。


 慈は嬉しそうで、恢復はだから誤解した。

 このまま僕と僕の小説を認めてくれるかも知れない。以前のようにまた仲良くなれて、僕の理想を後押ししてくれるかも知れない。



 だが慈はスマホの画面を見せつけてきた。

 顔写真入りで特集された記事は、恢復の小説のネットでの人気ぶりを多元的に綴った、読者の好奇心を先導する、作者の開拓にとっては気恥ずかしい内容だった。


「いままで叩かれてきた作家の正体、ここに見たり」

「もう邪魔は出来ないよ。発売は決まっているからね」


 棘の立つ言い方だったが、それもただの嫌味だと思っていたから、軽く受け流そうとした。


「みんなも補助金を正しく受け取って、正しく使ってくれたんだね」

「そうだよ。そのおかげであなたと戦うことが出来る」


 開拓は耳を疑った。

 自信に満ちた連中が、揃ってスマホの画面を見せつけたからだ。


 ――苗字を強制するなんて、グローバル化に反することだ。

 ――苗字のおかげで家柄や社会的地位が固定されてしまう。

 ――苗字を守ることは、封建社会を復活させることに等しい。

 ――犯罪を犯したら、その家族や子孫まで罰を受けなければいけないのか?

 ――どれだけ悪いことをしても、それは政府や社会のせいだ、

 ――外的要因なのに罪を背負うなんておかしいじゃないか。 

 ――支配者はそうやって階層を固定している。

 ――そこまでして独裁を続けたいのか。


「その独裁者がここにいるのよ」


 慈が、ここにいる全員が、軽蔑の指差しを示す集中に開拓がいた。

 無数の書き込みでSNSは大炎上していた。


 ――こんな奴の小説がデビューするなんて信じられない。

 ――差別主義は叩き潰さないと。

 ――もっともっと拡散させて、こいつを社会から追放しよう。

 ――出版社に苦情のメールを入れました。

 ――出版社だけじゃだめだ。スポンサーにも報告しないと。


「青年部や婦人部総出で拡散しただけのことはあったわね」


 あの居酒屋で毎日たむろする老人も、慣れないスマホやタブレットでSNSを使ってくれたことが功を奏したと、慈は得意だった。


 開拓のことを煽り散らす連中は、ほかにもいた。

 突然、見知らぬ番号で着信して、恢復は思わずスマホを取った。


「よう。お前が那賀なか 恢復なおるか」


 その声と喋り方に聞き覚えがあり、恢復は目を見開いた。


勝浦かつら 壮哉そうやか」

「よく知ってるな。会ったことはないはずだが」


 僕はお前を良く知っている。


「どうやってこの番号を知ったんだ」

「どうもこうも。ネットでお前の住所や出身高校、家族構成や電話番号まで全部出回ってるぞ」

「まさかそこまで」


 想像以上の特定班の活躍に、恢復は冷や汗をかいたが、電話口では平静を装った。


「なろう小説は落ち目なんだって? 目先の利益だけで独立したくせに、こんな暇なことしてる場合なの?」

「暇じゃないさ。これもプロモーションの一環さ」

「どういうことだ」


――なろう小説なんてもう古い。これからはレイシストを倒すヒーローの物語だ。

――これなら無条件で女の子にモテても、誰も文句は言わないからな。

――まずは手短な奴から始末する。


「俺もいるぜ」

「お前は三好みよし かなめ


 スマホの向こうからのもう一つの声に、恢復は驚いた。


「おい要。いまは俺が話しているんだ」

「いいじゃないですか。壮哉さん」

「どうして一緒にいるんだ。お前と壮哉は仲違いしたはずだ」

「それを知ってるなんて。俺もネットで特定されたかな」


 要は深刻どころか、軽く笑い飛ばした。


「どこで聞いたか知らないけど、その情報は古いぞ」


――俺も壮哉さんのグループに入れてもらったんだ。

――レイシスト撲滅は奥が深くて、一人じゃカバー仕切れないってね。


「ほかの奴らが真似する前に、大量の新作でこのジャンルを支配するってわけだ」


 壮哉はそう言って、自信たっぷりに笑った。


――岡崎 開拓。徹底的に叩いてやる。覚悟しておけよ。



 呆然とする恢復だったが、すぐに次の着信があった。

 嫌な予感がして、編集部からの電話に慌てて出る。

 しばらくして、恢復の声が詰まった。


 出版は中止。


 すぐに反論する恢復。


「どういうことですか。これは特別な契約だって。スポンサーも納得してるって」

「それとこれとは話が別です。きみ個人がSNSで炎上したらまずいでしょう」

「苗字の件は差別発言なんかじゃありません」

「きみの見解を聞いているのではない。スポンサーにどう思われるかが重要なんだ」

「そんな身勝手な」

「炎上が収まるまで出版は中止です。それじゃ」


 まるでダブルスタンダードだと、恢復は憤った。

 同時に非通知の着信が響く。切っても切っても、無限に掛かってくる悪意。

 慈や取り巻きたちの嘲笑が、恢復を逃げ出させていた。


 ――――――――


 怒りに塗れ、開拓はアパートの扉を引きちぎるように開いた。

 ここに来る途中、着信を止めたくて思わずスマホを地面に叩きつけていた。

 割れた画面を畳に放り投げ、興奮したままで横になる。

 生活感のまるでない、古びた和室の部屋が、唯一の場所だった。


 ――――――――


 同じ時間、すぐ隣の部屋には慈がマットレスを隅に追いやっていた。

 襖一枚挟んで、二人同時に目をつぶる。


 絶対に勝つために。

 あいつらに勝たなければ、夢が潰えてしまう。


 戦いは、始まったばかりだ。

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恢復《かいふく》のフロンティア すが ともひろ @tomohiro_suga

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