【4】迫る真実

「全く、恢復くんは」


 これで明日は会えなくなってしまった。

 そう思うと、慈は足元のゴミ箱を蹴飛ばしていた。


「会うのは、明日でいい。あの小説家の正体を明かして、自慢してやるんだから。それから謝らせて、まっすぐな心にさせないと。あいつは」


 慈は自室でパソコンに向かっていた。小さなワンルームだった。薄いガラスで、家賃と引き換えに用心の悪さが際立つ、どこにでもある学生用のアパートだった。


 一人でもできるよ。

 最初はそう意気込んでいたが、それが雲を掴むようだと気がつくのはすぐだった。


「やっぱりヒントが少なすぎる……恢復くんに期待」


 一瞬そう思って、今度は机に拳をぶつけていた。

 痛みが、自我を取り戻させる。

 わたしは学校では、並ぶ者のいない有能になっているのだから。


 ――――――――


 思い出すのは、中学生のころの記憶。

 両親とが大好きだった。何気ない日常で、一緒にいることが当たり前だった。


 ――――――――


 ノートパソコンの液晶画面の結果に、慈は一喜一憂する。

 ネットを辿ってゆくと、なろう小説の溜まり場の掲示板を見つけた。


 ――俺も画面の中に入りたい。

 ――画面の中には入れないけど、文字の世界なら入れるかもよ。

 ――どういうこと?

 ――俺は小説の世界に入ったことがある。

 ――本当にそんなこと出来るのか。


 その書き込みに食いつく人たち。


 ――まあ、入ったのはほんの一瞬だけどね。

 ――どうやって入ったの?

 ――嘘のような簡単な方法だった。


 リアルタイムで掲示板に書き込まれ、話題が盛り上がる。


『私も聞きたい』


 慈もそんなメッセージを書き込んでいた。


 ――俺は反野党だ。あいつらが国会の審議を妨害し、国民の総意を棄損するのが許せない。


『ふんふん』


 政府の言動を妄信する、そういう頭のおかしな奴の書き込みだと、慈はその書き込みに何が反論するわけでない。


 ――ネット掲示板で、野党をどうやったら殲滅出来るか盛り上がっていたんだ。


『それで?』


 ――いろんな案が出たよ。野党議員を24時間ストーキングして、うつ病に追い込む。野党のシンパを片っ端から虐殺する。野党の事務所にドローンで爆弾攻撃する。逮捕さえなければ俺もやってみたい。


『ふうん』


 ――そのとき、あの書き込みがあったんだ。


『どんな書き込みなの?』


 ――政府野党と、それを支持するマスコミは、メディアを利用して、政府与党を悪者にしているって。


 ――政府野党がマスコミを利用するためには、マスコミにとってメリットが必要だ。だからそのメリットである、スポンサーを集められる要素が使われた。


 それがなろう小説だった。


 ――彼らはなろう小説を利用して、底辺を底辺のまま固定しようと画策している。自分から這い上がろうとしなければ、マスコミやスポンサーの洗脳、ひいては政府野党の政策に簡単について来るからと。なるほどって思ったね。


 ――俺はそいつの話をもっと聞きたかった。すると、掲示板から、そいつ個人のSNSに招待されたんだ。俺は迷わずアクセスした。


 慈は興味津々だった。


 ――それから俺は、この社会が、いかに政府野党に汚染されているのかを語り続けた。そいつは真摯に聞いてくれて、正しいと褒めてくれる。本当に嬉しかった。


 ――そいつは言った。きみなら小説の世界に入り込めるかも知れないって。なろう小説の世界に入り込んで、読者と作者の歪んだ思想を叩き潰せるって。


 ――だから、直接会おうって言われた。


『行ったの?』


 ――実際に会ったのは大学の近くのコンビニだった。タクシーで待っていたのは同い年くらいの若い男だった。タクシーに乗ると目隠しされ、後ろ手で縛られた。


 ――あーこれやばいって思ったよ。拉致される。内臓抜かれるって。


 ――そもそも胡散臭い話だったしな。俺だって小説の世界に入れるなんて本気で思っていなかった。


 ――でも、心配しないで、ってすごく優しく言ってくれた。このまま掘られてもいいって思った。


「ウホッ」

「ホモ歓喜」


 ほかの書き込みが茶々を入れる。


 ――一時間くらいだろうか。ようやくタクシーが止まった。そのまま男に手を引かれ、俺は階段を昇った。


 ――ようたく目隠しを外されたとき、胡散臭さが頂点に達した。ただの汚いアパートなんだよ。窓はべニア板で目張りされて、汚い和室には、マットレスと枕だけがあったんだ。


 ――研究っていえば機材がたくさんあると思ってたのに、これは絶対騙された。


 ――男は政府の役人と言ってた。この国を正しい方向に導くために、この研究を立案し、莫大な予算が支給されているって。だが、このアパートを見てその言葉を信じられる方がおかしい。

 

「平日から男に掘られに行くニート」

「そのマットレスで襲われるわけだな」

「尻は無事か?」

 

 ――残念ながら括約筋は処女のままだ。だいたい俺はホモじゃないし、ニートでもないから。まあ、その人はちょっとイケメンだったが。


「やっぱりホモじゃねーか」


 ――研究内容を俺は聞いてみたが、部屋に滞留する思念がどうとか、潜在意識がどうとかって、あり得ないことしか答えてくれなかった。


 ――とはいえ、ここまで来て帰りたくもなかった。渡されたなろう小説を読んでから、マットレスに寝てみた。すると夕方なのに、すぐに眠くなった。


「サーッ(迫真)」

「睡眠薬盛られた?」


『それから、どうなったの?』


 周囲のホモネタを無視して、慈が真剣に聞いていた。


 ――さっきまで読んでいたなろう小説の世界が、確かに見えたんだ。中世っぽい街とか人とか山とか。でも街の人は、後ろから見ればただのべニア板だった。家も城もまるで映画のセットのように、何もかもが薄っぺらい偽物の世界だった。なろう小説のご都合主義と同じくらい薄っぺらだった。


 ――俺はその世界に入ろうとした。しかし見えない壁に阻まれて、その世界には入れなかった。


『そうなんだ』


 ――目を覚ますと、男にそのことを報告した。男は残念そうにしてたけど、すぐに帰りのタクシーを呼んでくれた。アパートから、目隠しのままタクシーで送ってくれて、俺は最後に一万円をもらった。


 ――それ以来、男からは連絡はなかった。プライベートSNSは閉鎖され、二度と会うことはなかった。


 あとの書き込みは、吐き気を催すホモネタで埋め尽くされていた。

 慈は尋ねた。


『男を特定するヒントはないの?』


 ――タクシーから降りるときに、こっそり一枚だけ撮ったんだ。


『見せて。見せて』


 ――駄目。もしあいつが本当に政府の役人なら、俺のことが特定されるからな。


 慈や、ほかの参加者が見たのは、モザイクの掛かった画像だった。


 ――――――――


 掲示板の書き込みの最後に、そいつのSNSが書き込まれていた。

 慈はすぐにアクセスして、聞いていた。


『掲示板の話、すごく興味があります。一度会ってください』


 ――騙して何か買わせようとしているの? それとも宗教?


『まさか。話を聞きたいだけです。お礼も出します』


 ――いくら?


『一万円です』

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