【3】やはり敵は敵

 次の日も、その次の日も、恢復と慈は講義の合間に、二人で検索結果を調べたり、講義が終わると、学校の図書館に行った。


「どうしてネット世界の検索なのに図書館なの?」

「一見関係ないことが、思わぬヒントになっているのよ。このなろう小説には引きこもりの心理が克明に解説されているわ。図書館には電子書籍化されていない本がたくさんある。学術系の高価な本は特にね」


 慈が探してきたのは、電話帳のような学術書だった。分厚さに負けないそれは、価格も驚きの六ケタだった。個人で買う人はどれだけいるのだろうか。


「この本に書いてあるのは、少しでも自分を良くする努力が空回りすることが、引きこもりの原因になるって」

「ネットには載ってないの?」


 そう聞くと、慈は自信たっぷりに首を横に振った。


「恢復くんはいつでもネット礼賛なんだね」

「だって。有用な情報は全てネットで調べられるし、そんな高価な本が売れないのだって、誰かが引用してネットにアップロードするから」


 そう言うと、慈はやはり自信たっぷりに首を横に振った。


「だったら恢復くんはその情報をどうやってネットから探し出すの?」

「どうやってって、そりゃ検索するさ」

「その情報が検索結果の500ページ目にあったらどうする?」

「そんなの誰も調べられないよ」


 そう答えると、慈は今度こそ自信たっぷりに首を横に振った。


「検索結果はね。検索エンジンの会社にお金を払った人が最初に表示されるの。次に、アクセスが必然的に多くなる、煽情的なサイト。事実を淡々と語るだけのサイトは、誰も見ることのないから、検索にさえ掛からない」


「そんなの知ってるよ。でも引きこもりは深刻な社会問題だし、こんな高価な本の結果だし、絶対人気が出るよ」

「だったら調べてみたら」


 恢復は早速スマホで検索をはじめた。学術書のタイトルで調べ、本の見出しや重要そうなフレーズで調べた。しかし、検索結果は片手で余るほどで、恢復は驚愕した。


「だからわたしは、人と人のつながりを大切にしてるの」


 ネットが全てではない。慈はそうやって恢復の自信を制した。


 ――――――――


「あのう。海部さん」


 恢復が呼びかけると、横を歩く慈が顔を向ける。


「今日は、ありがとう」

「ねえ恢復くん」

「何?」

「恢復くんは、冬休みは実家に帰ったりするの?」

「うん」

「帰ったら、ご両親は喜んでくれる?」

「え? うん」


 恢復はどうして、そんなことを聞かれるのか解らなかった。

 慈は言った。


「ちゃんと愛情を伝えられるって、いいよね」

「どういうこと」


 尋ねたとき、いつもの貧困な学生が慈を取り囲んだ。


「誰かと思えば上級国民だ」

「俺たちを差別しやがって」


 みんな恢復に、いきなり軽蔑の目を向ける。しかしターゲットは戸惑う彼ではなく、現在の困窮は慈にぶつけられた。


「毎日深夜バイトで、それでも家から持ってきたおにぎりだけで」

「飲み物だって家で作った麦茶」

「肉も魚も買えなくてフラフラなのに、バイトしないと教科書が買えないから」


 いつもように恢復が横から反論する。


「政府からの奨学金があればそんな事態はなくなるよ」


「奨学金を借りてもこの状態だ」

「奨学金は借りたら返さないといけないんだ! その分も貯めておかないと」

「だから慈さん。僕たちを助けて」

「返さなくてもいいお金を貰う方法を教えて」


 恢復には、彼らの他力本願は我慢ならなかった。


「みんなスマホで課金しているくせに。なろう小説なんか読んでるくせに」


「なろう小説をバカにするな!」

「なろう小説のおかげで俺たちは希望が持てたんだ」

「何も努力しなくても、誰でも幸せになる権利が私たちにはある」

「幸せになれば。お金があれば夢を掴むことが出来る。スマホゲームの課金だって」


「それは現実から逃げているだけだよ。ただの夢ですらないんだ」


「お前は貧困者から娯楽を奪うのか」

「みんなは何のために大学に来てるの? 努力して豊かになるためじゃないの?」


「努力は無駄だって言ってるだろうが!」

「大卒はそれ以下の底辺より、少しましだからだ」

「そんなことも解らないのが上級国民だって言ってるんだろ!」


 恢復の言葉は周囲の悪意に油を注ぐだけだ。

 そして、慈は彼の前できっぱり言ったのだ。


「いまこの場で困っている人を救うのが、わたしの使命です」


「僕だってそんなにお金持ちじゃない。でも僕だって頑張って」

「恢復くんは寂しいんだよね。こんな殺伐とした世界だから。だからお金でしか虚勢を張れないんだよね」


 彼女は恢復に向き合った。そして突然、恢復は包まれた。

 まるで母親だった。

 彼女の柔らかい体が、どこまでもどこまでも自我を喪失させる。

 彼を胸に留め、慈は歌った。


 ――お山のむこうに日が沈む

 さむい夕暮れ もう帰ろう

 囲炉裏の消えた その家は

 あの子がひとり 泣いていた

 

 坊やは走る 暗い道

 あの子の声が 遠くなる

 囲炉裏を囲んで 眠くなる

 ここはみんなが あったかい――


「さあ。落ち着いたかな」



 しかし恢復は、その母性を引きはがした。


「こんなものに……僕は騙されないよ」


 あっと驚く慈に、恢復ははっきり言った。


「欲しいものは、努力でしかを手に入れられない。誰かに頼る幸せは、あり得ない」

「恢復くんは貧困の実態を何もわかっていない」


 慈はたちまち怒り出した。すると取り巻きが呼応した。


「どうせ汚いことして稼いだ金だろ」

「貧しい人に全て差し出せ」

「金持ちは敵だ」

「貧しい人こそ幸せになるんだ」

「貧困者に土下座しろ」

「わたしたちを笑いものにしてる」

「大学から出ていけ」

「消えろ!」


 今日の別れ際は、慈に近づくことすら出来なかった。



 ********



 政府からの補助金の需給が、大学の話題を占拠していた。

 彼ら彼女らは、次々と補助金を勝ち取っていった。これでスマホゲームが出来ると、喜びに満ちていた。

 

「あなたは補助金を受給しないの?」

「私、預金が300万円あるの。でもこのお金は、親が食べるものも我慢して貯めたの。大切な学費だけど、これを持っていたら補助金は申請できない」


 目の前にいる人の、目の前の不幸を救う。

 それが慈を動かす力だった。


「そんなの、調査が入ったときだけ誰かに預かってもらればいいのよ。これで資産はゼロ。堂々と補助金が受給できるよ」


 そうやって、考えたこともないような方法を提示される人もいた。


「それは不正じゃないの?」

「政府の人は不正ばっかりやってる。わたしたちの補助金なんか、それに較べたら数百分の一よ」


「だったら、してもいいんだよね。補助金、貰ってもいいんだよね」


 そう意気込む女子に慈は頷いた。



 そう。これは不正なんかじゃない。

 奴ら上級国民と同じことをして、何が悪いのか。


 一刻も早くこの社会を変革しないと、また人が死んでゆく。

 変えなければ。その想いが慈を動かした。



 ********



 やはり、水と油だったんだ。

 その層は、簡単には交わらないんだと、恢復は確信した。


「これだけのヒントがあれば、海部さんがいなくたって」


 訪れたのは、いつものように、営業中でも閑散としたスーパーだった。三階のいつものアパート。いつもの合鍵で部屋に入る。そして、いつ洗ったのか知らないマットレスに横になる。


「なろう小説で無双になって、スマホゲームで夢を掴むなんて。彼らは、僕のいる現実とは分断された、別世界の住人みたいだ」


 恢復の気持ちは変わらなかった。


 ――――――――


 そういえば、あれだけ嫌われたのに。

 恢復はなぜか、慈と繋がっているような気がしていた。

 彼女が、すぐそばにいるような気がした。


 逸る気持ちで目を閉じた。

 ブログ。SNS。

 いくつものコミュニティを移動する恢復は、真実に近づいているのを感じた。

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