【7】対決

 文字の羅列の地面を、ものすごい速度で通りすぎてゆく。その地面がなろう小説の文章に変わってゆく。質量を帯びはじめたなろう小説は、形を、色を伴い、中世風の山野や町や城を形成してゆく。


 それに合わせ、恢復の格好も中世の剣士ふうに変貌した。


 ハリボテの世界を生み続けるのは、紛れもなく現実世界の人間だ。恢復はなろう世界を体当たりで貫きながら、そこに向かって飛び続けた。


 非現実の空に穴を開けたとき、ようやく恢復の足が地に着いた。


 ――――――――


 昼間なのにカーテンを閉ざし、パソコンのモニタだけが明かりの部屋だった。

 まるで骸骨のような痩身の男が、ひたすらキーを叩いていた。

 壁紙がはがれ、天井はたわみ、床は穴が開いている。

 これなら家の外もお察しだろう。


 薄いドアが開き、老女がゆっくりと部屋に入ってきた。


「お仕事がんばっているかい」

「母さん」


 老女はご飯と焼魚と漬物を、お盆で運んできた。


「これって、母さんも同じものを食べたの?」


 頷く老女にその男――壮哉は納得がいかなかった。


「俺も母さんももう貧しくないんだ。お金だって渡してるし、高級な食材も調べて買ってある。何でも好きなだけ食べられるのに」

「気持ちだけで嬉しいよ」

「母さん」


 老女を説得するために、壮哉は自分の力を見せつけた。


「俺は変わったんだ」


 机の引き出しからこれ見よがしに札束を引っ掴み、壮哉は母親に渡した。

 しかし老女はそれを床にそっと置いた。


「これは壮哉が稼いだお金だ。だから壮哉が自分で使うんだよ」

「だからこそ母さんに贅沢してもらおうと」

「どれだけお金があっても、それで過去が変わるわけじゃあないからね」


 その言葉に壮哉の表情が変わった。


「なんで母さんは俺の努力を解ってくれないんだ!」


 札束を拾うと押し付けた。

 しかし老女は首を横に振り、決して受け取ろうとはしなかった。


「俺は自分を変えた。なろう小説で過去を塗り替えたんだ!」

「その言葉、父さんに聞かせたかったね」

「母さん!」


 またその話だ! 俺のことを絶対に認めてくれない。


 ――引きこもり、家族不和。そして父親の過労死。

 それは俺のせいだ。だから自分を変えようと、ここまで頑張ってきたんだ。

 それなのに。母親は部屋から出てゆく。十数年間続いた忌まわしき日常を、その過去を変革した俺を、まだ否定し続けているんだ――。


「母さんのために家を建てる。すごい豪邸を! 絶対に! 絶対」


 そう叫んだときは、暗い部屋の床に、おかずが残るだけだった。


 ――――――――


 勝浦かつら 壮哉そうやはキーボードを叩き続ける。そうやって形作られた文字はなろう小説となり、投稿サイトで、また紙の本で多くの人の手に取られ、一部の読者との間に、共通の感情を持つコミュニティが構築されていた。


 誰にも見つめられなかった中学、高校時代。

 何の役にも立たなかった大学。

 そして多くの読者と同じように、ブラック企業で虐げられてきた。

 全ての努力が無駄になり、人生を諦め、引きこもって親に無心する日々。

 暴力も奮った。


 ある日、希望が現れた。

 ネットの広告で知ったなろう小説。


 努力なしで最強になるなんて。こんなご都合主義が人気だなんてありえない、と最初は笑った。夢に逃げ込んでも現実は変わらない。当たり前のことだ。


 しかし、読者の境遇が自分と重なることをネットで知った。夢想は現実の痛みを和らげる薬物なのだと知ったとき、そんな読者を救いたいと思った。


 虐げられてきた社会への復讐。

 それが、書きたいものだった。


 自分を変えるのではない。現実を捨て、自分にとって都合のいい世界の方を現実とすることが、読者の望みだだから、壮哉はそれに応えようとひたすら書き続けた。


 彼らは没頭した。あっという間に投稿サイトの人気ランキングでトップになり、出版化されたことで、札束をはじめてこの手に掴むことが出来た。


 人を楽しませることで自分も豊かになれることが嬉しかった。だからこれからも、無数の読者に薬物を投与し続ける。彼らが悲しみを忘れ続けられるように。


 ――――――――


 恢復は壮哉の椅子のすぐ後ろに立っていた。

 壮哉は驚かなかった。


「この前の雑魚か」

「お前の人生を見たよ。確かに悲惨だった」

「そりゃどうも。俺を悲惨だと言うお前の人生は、さぞ恵まれているんだろうな」


「どうして解るのさ」

「お前は底辺の娯楽を愉快に破壊する奴だからな」

「ボクは社会を救いたいだけだ! 現実を捨てた人ばかりになれば、この国は滅んでしまう」

「滅んでもいいじゃないか。こんな国」

「国が滅びると、お前はお前で居られなくなる」


 恢復は立ったまま、壮哉は椅子に座ったまま向かい合っていた。


「国家の滅亡は、外国がこの国も乗っ取ることだ。お金や仕事は奪われ、食べるものにも困るようになる。それだけじゃない。ボクたちの文化も、芸術も、言葉や名前でさえ破壊され、支配国のものに書き換わってしまう」


 なろう小説だって、支配者の都合で規制される日が来る。


「お前はそんな生活がしたいのか。底辺以下になってしまうんだぞ。お前の親だって幸せに出来なくなる」

「その前に外国に逃げるさ」

「非国民め」


 しかし壮哉は座ったままだった。

 いままでと違い、頭に血が上らない作者に、恢復はペースを失いそうになった。


「お前はどうして国を守ろうとするんだ? 国に金を貰ったのか? これからも貰い続ける確証があるのか」

「お前の親は金で喜ぶのか!」


 はじめて、壮哉が反応した。


 恢復は語った。

 僕がいままでなろう小説を倒して来られたのは、あいつら底辺の妄想よりも、ボクが現実を認める覚悟の方が強いからだ。

 なろう世界に浸ることは、努力から逃げ続けることだ。たとえ現実が辛くても、真っすぐ向き合うことで、安く使われることから抜け出せるんだ。


「お前の親がお前を認めないのは、どんなに金持ちになっても、なろう世界の片棒を担ぐお前が、引きこもりだった時と何も変わってないからじゃないのか」


「違う! 俺は変わった! あんなニートや底辺とは違う」

「そうやってバカにする底辺とお前は同類なんだよ」


 恢復は剣を抜いた。折れそうなほど細い剣を下向きに構える。これは敵を油断させ、挑発したのち一刀両断し、プライドを引き裂く、いつものやり方だった。


 しかし壮哉は対抗しなかった。今までのなろう小説の作家のように、主人公になり切ったり、大剣を構えることもなかった。ただうつむいて語った。


「やっと掴んだ夢を、そう簡単に諦めると思っているのか」

「お前は商才があって頭もいい。だったら親を喜ばせる方法を知ってるだろ」


 それは恢復が自分に言い聞かせる言葉だった。


「お前なら絶対解る。努力の素晴らしさを。努力が全てを変えられることを」


 暗い部屋のすぐ外。

 なろう小説の世界では数万、数十万の読者が狂喜乱舞している。


「……俺には、お前も現実から逃げているように見えるんだがな」


 そう呟いた壮哉は冷静だった。

 恢復はその言葉を全力で否定した。絶対に認めなかった。


 だからこそ、恢復は彼は剣を収めたのだ。

 そして、座ったままの壮哉に手を差し伸べた。


「絶対出来るよ。自分を変えられる人だげが成功するんだ」


 恢復は知っていた。

 ここで壮哉を倒すことは、恢復自身の主張を否定することでもあったから。


「……俺でも、変えられるのかな」


 壮哉が立ち上がっていた。

 折れそうなほどの痩身で、それでもしっかり床を踏みしめていた。

 壮哉の心が揺らぐと、彼に作られたなろう世界が、地響きとともに崩れ始める。



 ――世界に燦然と輝くことが、この国の本来の姿だ。国民全員が努力し続ければ、その理想は実現する。社会は分断されていて、努力は無駄だと底辺は言うけれど、それは自らの怠惰が原因だ。ガラスの天井は存在しない。常に社会は平等だ――。



 ハリボテの街や城、ベニヤ板に色を塗っただけの草原や山、暗幕の夜空やライティングの太陽。それらニセモノの構成物がバラバラになってゆく。


 この世界が永遠不変だと思っていたのに。読者は逃げ惑った。

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