【2】都合のいい存在

 自由になった要だったが、親を含め、知っている人は誰も迎えには来なかった。

 当然だと、彼は諦めていた。



 返してもらったスマホから、久しぶりにネットで情報を探ってみる。しかし自著は事件のことを含め、作者共々底辺だと扱われていた。予想通りとはいえ、今までのファンでさえ足蹴にしてくる様に、ひたすら腹が立った。


 拘置された間もとくに痩せなかった体だったが、本来ならこれからの将来を危惧して、スリムになって当然だった。しかし要には心の中に未来があった。


 そして、待ってましたとばかり、壮哉のSNSにアクセスしてみた。


「あれ」


 しかし壮哉は、要のアクセスをブロックしていた。

 公式なSNSだけでなく、要ほか一部の人しか知らない私的なSNSも、完全に遮断されていたことに、嫌な予感しかしなかった。


「そんな」


 他の誰もが、要をブロックするのは既定だろう。

 だが、壮哉だけは既定でなかった。

 嫌な予感しかしなかった。


 ――――――――


 要は足を進めた。

 節約のために、ひたすら歩いて二時間。以前、覚悟を決めた日と同じ道程。

 あの角を曲がれば、あの古い家が見える。

 記憶通りに要は足を運んだ。


 要は言葉を失った。柱だけになった家が、重機で破壊される最中だった。


「危ない」


 ふらふらの足で近づく要を、作業員が慌てて止めに入る。ようやく我に返ると、要は地面に膝をつき、声を上げた。


「こんなことが! こんなことが」


 その叫びは家屋の解体よりも強く響く。

 守られなかった約束に、取り戻せない自分に、絶望は叫びを与えるだけだった。



 ********



 スマホで見る出版社のホームページからは自著は削除されていた。最初から存在しないかのように、見たことも聞いたこともない本と作者が、かつての自分の場所を埋めていた。

 そしてあれだけ売れていた壮哉の本も、そこから削除されていた。



 スマホで検索してみる。テレビにも、ネットにも広告がないのに、壮哉の本はSNSやネット掲示板で話題になっている。本は電子書籍や通販で売られていた。


 高い。ハードカバーで高級感ある装丁だが、それでも書店の数倍の価格だ。

 同じように電子書籍も、普通なら手を出さない値付けだった。


 しかし数多くの感想から、この本の評価の高さが伝わってくる。

 ここにいるのは、投稿サイトで新作を求めて移り気な、にわかファンではなかった。壮哉の本を、壮哉の価値観を共有した熱狂的な人たちだった。マスコミを使った広い世界を相手にせず、閉じた世界で隆盛を奮う姿は、かつて居酒屋で語っていた、彼の夢と合致していた。


 なろう小説だって、現実を盛り込んだ要素は少なからずある。どれだけ主人公が無双しようとも、どれだけ脇役が噛ませ犬だろうとも、現実に即した世界観が、文章のどこかに残っている。

 まるでそれは、読者が現世から乖離するのを避けたい良心だった。



 しかしここまで、読者の理想を現実にした、なろう小説は存在しなかった。



 主人公が負けたり傷つくような要素を徹底的に排除し、読者にとって気持ちいい展開だけを詰め込んだ小説。優秀。金持ち。権力者を片っ端から罠にはめ、陰惨な死を与える。無条件で異性に好かれ、誰からも褒め称えられ、ひれ伏される。テーマや内容は存在しない。読者の歪んだ支配欲と性欲を満たし続けるだけの、文章の羅列。


 出版社には、なろう小説となろう作家を啓蒙したいらしく、そこまで突き抜けた本は未だ存在しなかった。それもあって、壮哉の本は底辺の中の底辺を熱狂的な信者にしていた。

 自分が起こした事件が切欠で、なろう小説は以前ほど売れなくなったらしい。

 芸能人がテレビやネットで宣伝することもなくなった。

 危険なものだというイメージだけでなく、これは考えたくないのだが、一般の読者が興味が持てないのかも知れない。

 だから、親に暴力を奮った金で、高価な本を買う読者のSNSに、要は壮哉の的確な志向に納得すると同時に、うすら寒いものを感じていた。



 これだけ成功している壮哉に会うために、助けてもらうために。

 要は、捕まる前に壮哉から貰った少ない餞別で、日雇い労働者のための格安の宿泊所で泊まりながら、毎日SNSを検索し続けた。


 ついに、見つけた。



 ********



 芝生の囲む豪奢な新居の駐車場に、高級外車が滑り込んだ。

 ラフでありながら、清楚な身だしなみは、貧相な体型を繕うのに十分だった。

 車から降りてきた壮哉が家に入ろうとするそのとき、要は退路を塞ごうと立ちはだかった。


「約束通り、帰ってきたぞ」


 しかし壮哉はまるで他人だという顔で、脇をすり抜けようとする。


「俺のおかげで稼いでいるみたいだな」

「さあ」

「とぼけるな」


 要は壮哉の両肩を掴んだ。


「お前のグループに入れてくれるんじゃないのか。俺の本を売ってくれるんじゃないのか。お前みたいに稼がせてくれるんじゃないのか」

「さて」


「約束を守れ。お前の契約が解除できたのは誰の指図だ。バラされたいのか」

「俺は何をしろと言った覚えはないぞ」

「なんだと」

「お前が勝手に解釈して、勝手に果物ナイフを持って、勝手に編集部を襲撃した」


「だからそれはお前が」

「そこまで言うなら証明してみせろ」

「証明だと」

「俺が発した言葉が、何かに残っているのか」


 壮哉がそこまで言うと、要は言葉を詰まらせた。


「お前が勝手に妄想したものじゃないのか」

「妄想なわけが……そんなはずはない」


 自分の行動を立証できない。あの居酒屋で壮哉が言ったことが、アルコールと理想と状況をつなぎ合わせた妄想なのかも知れない。壮哉にきっぱり否定されたことで、真実が解らなくなってしまう。

 しかし要は、否定に飲み込まれたくないと顔を真っ赤にして叫んだ。


「俺はファンも金も全て失った! それなのにお前は俺を利用して」

「黙れ犯罪者。お前は執行猶予中なんだろ。これ以上騒ぐと警察を呼ぶぞ」

「くそう」

「出て行け」


 壮哉がスマホを耳に当てるだけで、要は驚き、喚きながら逃げていった。


 ――――――――


「母さん。外に行こう。今日は懐石料理だよ」


 外の騒ぎを聞きつけ、玄関を開けたのは老いた母親だった。得意げな壮哉は、最近になって、ようやく母が行動を共にしてくれることが嬉しかった。


「お前のおかげで全てがうまくいったよ」


 壮哉は笑った。

 なろう作家は危険だというイメージ。

 出版社による契約書の偽造。それが壮哉の契約解除を後押ししてくれた。

 笑いながら、要のことが意識の外に消えていった。


「さあ母さん」


 壮哉が外車のドアを開けると、母親がゆっくり乗ってくる。


「これからは好きなものを買ってあげるよ。欲しいもの何でもだ」


 助手席で母親は喜んでいた。


 少なくとも、壮哉にはその喜びが、感じられていた。

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