【6】続けるためには

「え? どういうことですか」


 恢復はスマホを耳に当て聞き直していた。


「長期出張でね。電車で1時間くらい掛かるから、向こうで泊まっている」

「最近来ないと思ったけど、そういうことだったんですね」


 恢復は言った。


「そっちに行きます。板野さん」


 恢復は大学の帰り道、普段は使わない電車に乗った。


 ――――――――


 待ち合わせは地方都市の商業ビルだった。上階はすべて駐車場で、店には降りる階段しかない。

 地下に着いて、恢復は驚いた。


 まるで映画のセットのように、昭和レトロな街が広がっていたからだ。街の中の飲食店はラーメン屋さんばかりで、ここはラーメンのテーマパークだった。

 お客でごった返す中に、雄武は待っていた。誘われるまま、恢復は店に入った。

 外観の昭和レトロとは裏腹に、壁一枚向こうは普通の飲食店だった。

 ラーメン屋では珍しい、外国のビールを空けながら、雄武はつまみを頬張っていた。恢復も進められるままに、チャーシューとビールを頼んでみた。

 ビールは苦くて嫌いなのに、これは甘みがあって、するすると飲める。


「私のお気に入りでね、もう何回も来ているよ」

「聞きたいことがあるんですけど」


 恢復が片手を上げて質問する。


「電車で一時間なら、こっちにも来られるんじゃないんですか」


 恢復がビールの小瓶をグラスに傾け、不満げに言った。

 雄武は神妙な顔で答えてみせた。


「あいつらの活動が活発化している。半世紀大人しかったあいつらが。政府は彼らの陰謀を全力で阻止するために、様々なデータを収集している」


 それで残業続きで、ロクに外に出る時間もないんだ。


「本当は帰りたいけどね」


 宿舎は古くて汚くて、嫌になる。

 店のすぐ外の昭和レトロ溢れる広場を眺め、雄武はそう漏らした。

 同時に恢復もため息をついていた。


「那賀くんこそ」

「あいつらに……あんなカスどもが僕を弾き返すなんて」


 心配する雄武に、それから恢復は語り始めた。

 はじめて負けたときの屈辱を、恨みで何倍にも増幅しながら。


「あいつらは仕事どころか日常生活一つまともに出来ない、知性も教養もない原始人だ、生産能力はゼロのくせして、権利だけは一人前に主張する。消費は安い外国産だけ。犯罪行為は人一倍。あんな寄生虫をのさばらせては国家は死んでしまいます」


「那賀くんそれは言い過ぎでは」

「これでも自粛している方です」


 怒り散らす恢復に、雄武はやさしく、慰めるように言った。


「那賀くんの言う通り、あいつらの力はその数だけだ。しかし数の力は侮れない。ときには負けることだってあるさ」

「板野さんは自分で潜入しないから、そんな軽く言えるんです」


 赤ら顔の恢復がムッとして、、机を拳で叩いた。


「どうすればいいんですか! 板野さん! どうすればあいつらに勝てるんですか」


 テーブル越しにネクタイを締められ、雄武が苦しんでいる。


「お、落ち着いて。ね」

「がるる」

「お待たせしました」


 そこにラーメン鉢が二つ到着した。


 ――――――――


 ここだけでしか食べられない珍しいラーメンに恢復は驚いた。そしてビールとのマッチングに、心も体も満たされてゆく。


「ようやく落ち着いたようだね」

「板野さん。僕は勝たなければいけないんです。板もさんもそうでしょう? あいつらに負けることは許されないんですよね」


 訴える恢復に、雄武は頷いた。


「私は那賀くんみたいに、小説の世界に入ることは出来ない。けれど、客観的に状況を推測することなら出来る」


 雄武はスープを掬ってから、その感触を何度目か確かめてみた。


「複雑な味わいだと思わないかな」

「確かにそうです」


 恢復もレンゲを使って、雄武の言葉の意味を探ろうとした。


「世界を構成する要素は一つではない。私はそう思うんだ」

「どういうことですか」


「いままでの那賀くんの話から推察すると、なろう小説の主人公は作者の分身であり、読者は主人公に共感して、同じ小説の世界を共有している。

 だから小説の主人公を倒すことで、作者の作った世界を破壊し、読者の居場所をなくすことが出来た。読者が離れることで、作者は書く気力を失っていった」


 作者と読者を夢想から分離させることが、なろう小説の撲滅に繋がるんだ。


「しかし、那賀くんの力が通じない主人公が現れた。読者が酔い知れる無敵の主人公。私は思うんだが、那賀くんの考えの外――最初から夢想の外に、作者がいるとは思わないかな」


「つまりそれは」

「作者が自分の小説を信用していない」


 ――――――――


 ラーメン鉢が空になると、店を出て、二人で昭和レトロを散策した。


「作者が何者なのか、それを探ってみよう。私も協力する」


 恢復が少し元気になった。この地下にあるテーマパークの天井に投影された空は、夕方と夜を何度も繰り返し、郷愁を誘っていた。



 ********



 恢復と別れたあと、雄武は徹夜続きで疲れた体で官舎に帰った。

 廊下に蛍光灯が明滅する、悪い意味での昭和を残す官舎。ボロボロの絨毯の上の、積み上げられた書類の山に、雄武のため息が蘇る。

 ふとスマホを見ると、実家からSNSがあったようだ。


「役人が公私でお金を使うのは解る。だが、これ以上仕送りは出来そうにない」


 そのメッセージのすぐ後に、雄武が血相変えて検索した画面。

 それは使途自由のカードローンの紹介だった。


 恢復と会うたび、高価な食事に招待すること。

 いくら古いとはいえ、住居とは別にアパートを維持すること。

 それは若い雄武には経済的な足枷でしかなかった。


 同じ状況を維持するために、雄武は大きなため息をついた。

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