【5】噂の確証を巡って
「さあどうぞ」
そこはまるで、工事現場の事務所のようなプレハブの建物だった。鉄線で壁を支えられた平屋のプレハブは、夕日を受けて住宅地の外れに建っていた。
中は食堂だった。外観と同じ古びた店内にはテーブル席と小上がりの板間があり、ジャージやステテコ姿の老人たちで賑わっていた。
「あれ? あの人たち」
要が気がついた。
彼が慈に言われるままにテーブル席に座ると、役所に押しかけていた老人たちが集まってきた。
「よう! さっきの兄ちゃん。生活保護の申請はうまくいったか」
「は、はあ」
ジョッキ片手に機嫌がいい老人。
「それはよかった。これでワシらも堂々と飲み食い出来るぞ」
「あ、ありがとうございます」
要は彼らに頭を下げる。
「でも、どうして俺を助けてくれたんですか」
ビールの泡を飛ばしながら女が答えた。
「そりゃああんた。昔の血が騒ぐからだよ」
「昔の血?」
「若い時は警官相手に大暴れしたもんさ」
女はビール瓶を要のテーブルの前に置いて得意げだ。
「また始まったよ」
「本当は党のお金でタダ酒飲めるからだろ」
野次を入れる老人たちに囲まれ、慈は昔話に呆れ顔だ。
それでも得意げな女はビール瓶を指さした。
「こいつにガソリンを詰めて布で蓋する。火をつけて投げ込めば大騒ぎってわけさ」
「もう六十年前のことだがな」
女の話を適当に聞き流す男の老人。
「それって犯罪じゃあ」
「まあ飲め飲め」
物騒な話に驚く要に、温くなったビールを注ぐその男の横で、女は自信たっぷりに語り続ける。
「ガソリンだけじゃあありきたりだからね。瓶の中に鉄粉とか釘を混ぜたわけよ。爆発と同時に警官が火だるまになって、のたうち回るのは最高だったよ」
「やっぱりそれって犯罪」
「六十年前のことなんか誰も覚えてないさ。それにテレビや新聞も私たちを応援してくれたしね」
ガハハと笑う女は要を軽くいなした。
男もビールを飲み干してから思い出していた。
「いい時代だった。暴れるだけ暴れて、何事もなく一流企業に入れたからな」
「今日は久しぶりに暴れて楽しかったぞ」
「モロトフカクテルはもう作れないが、人海戦術ならお手の物さ」
ほかの老人も盛り上がっている。
「最近党が大盤振る舞いするようになって、すぐに酒にありつける」
「あれだけ渋ちんの党のどこにこんな金が?」
「いいじゃないか。楽しければなんでも」
「そういうわけで君も飲め飲め。ガハハ」
老人たちは本当に楽しそうに昔語りを続けていた。要は目を丸くするばかりだ。
「……こいつら、犯罪を平気で語ってやがる」
「昔のことだしね。本当かどうかも解らないし」
「そういうもんか……」
「というわけで、今日は全部奢りだから、何でも頼んで。おばちゃーん」
慈が呼ぶと、客と変わらない年齢の老人がゆっくり来た。
要がおそるおそる注文する。
「お、俺はビールと枝豆、いいかな」
「わたしはチューハイと唐揚げ」
すぐに生ビールとチューハイのジョッキが、レンチンしたつまみと出てきた。
要は久しぶりにアルコールを口につけた。あまりの甘露に全身の神経が踊る。
「よかった」
慈がその顔に嬉しそうにしていた。
――――――――
慈は三杯目のチューハイだった。
彼女は同じように三杯目の生ビールの要に聞いた。
「あなた、小説家だったんでしょ。どうして生活保護に頼るようになったの」
酔いを感じさせない冷静な慈に対し、要はすっかり出来上がっていた。
「それがさあ。聞いてくれよお」
「はいはい」
「俺の小説が突然売れなくなったんだ。前は一万部売れてたんだぜ。一万部っていったら大した印税だ。48万円もあるんだぞ」
「すごいじゃない」
慈は褒め称える。
「ところで要さんは、どんな小説書いてるの?」
「よくぞ聞いてくれました!」
要は立ち上がって、いつも持ち歩いている自著をテーブルに置いた。
「これはただの小説じゃない。いま一番売れているジャンル、なろう小説だ」
「……なろう小説」
まるで含みあるかのように慈は呟いた。
しかし要には届かず、彼は本を掲げ胸を張っていた。
「現実で虐げられていた奴が異世界に転生して、無敵のヒーローになる小説だ」
「へえ。そうなんだ」
「現実には夢も希望もない。どれだけ努力してもブラック労働やホームレスしか道がない。そんな俺の、そしてあいつら読者の希望なんだ。なろう小説は」
「そうなんだ」
慈は頷きながら要の話を聞いていた。
どれだけ辛い人生を歩んできたのかを語る要。彼の苦労話は、努力を放棄した自己責任の帰結なのだが、慈はときどき相槌を打ちながら聞き続けた。
自分の全てを認めてくれたような気がして、要の話はヒートアップしてゆく。
「ニートになった俺だったが、親の年金だけじゃ暮らせないのは確かだ。でも仕事はきつくて安いのばかり。全て社会が悪いと思っていたとき、ネットで見つけたのがなろう小説だった」
慈は氷ですっかり薄くなったチューハイに口をつけた。
「なろう小説の中では誰でも成功出来る。俺をバカにした偉そうな奴らも、なろう小説の中では土下座させることが出来る。何十本もなろう小説を読むうち俺は思った。金持ちは努力しなくても最初から成功者だ。俺たちは努力してもこき使われるだけ」
要の怒りが盛り上がる。
「貧困から金持ちになった奴はただ運が良かっただけだ。努力は嘘つきだ。だから俺は努力を否定するためになろう小説を書いて、サイトに投稿したんだ」
「それで?」
「あっという間に人気が出てな。出版もすぐに決まった。俺と同じ考えの読者がたくさんいて嬉しかった。それから」
そこから先を聞きたいと、慈がそば耳立てた。
「ずっと思っていた。俺の小説は文章の中だけで完結していない。小説の世界で、俺と読者は繋がっている。読者の反応が、小説を通して俺に伝わって来る。それはまるで、俺と読者で作る一つの世界だった」
思い出し、要はジョッキをテーブルに叩きつけた。
「その世界をあいつが徹底的に破壊したんだ」
「あいつって?」
「それが解れば苦労はしない!」
要は激昂した。
「あいつが小説の世界を壊してから、読者が離れ、投稿サイトのアクセス数は激減。本は売れなくなって出版社からは契約解除。借りたアパートも家賃が払えず、あっという間にホームレスだ」
「ふうん。そうなんだ」
「その聞いたような口ぶりはなんだよ」
要は酔った勢いで机に拳を叩きつけた。慈が慌てて取り繕う。
「ご、ごめんね。そういう話、聞いたことあるから」
「本当か!」
慈が頷く。
「そういえば、俺と仲良くなったなろう作家も、次々と廃業していた」
「……要さんはもう、小説は書いていないんですか」
「読者さえいれば! 俺の小説を認めてくれる読者さえいればいつでも書ける」
そこで慈が立ち上がった。
「要さん」
慈は要の手をそっと握った。
女の子と触れたことなど一度だってなかった要にとって、それは衝撃的だった。
慈は上目遣いで言った。
「本当に辛い人生を歩んでいたんですね」
「あ、ああ」
「その気持ち、お察しします」
「あ、ありがとう」
まるで芝居がかった台詞なのに、要にとって、それは人生が開けた瞬間だった。
――――――――
居酒屋を出る頃には、すっかり夜の闇だった。街路灯が眩しく視線に掛かる。
「ほ、本当にありがとう。慈さん」
「いえいえ。困ったことがあったらいつでも相談してね」
彼女はSNSのアドレスを交換して、別れ際に手を握ってくれた。
「要さん。あなたは必ず小説家として復帰できます」
「それは読者が戻ってくるということか」
「そういう時代がもうすぐ来ます。だから諦めないでください」
要がニコニコ顔で別れたあとに、慈は店から持ち出した使い捨て手拭きで、残った要の油分を拭った。そしてSNSを開いた。そこには、最近出版が打ち切られたなろう作家のリストがあった。
「やっぱり、噂は本当だった」
慈は確信した。そしてその瞳はネットの中を向いていた。
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