【4】堕ちてしまったその末路

 晩秋の幹線道路。その歩道をひたすら歩く男がいた。財布を二度見しても、そこには十円玉が三枚あるだけ。バス代もなく、今は歩くしかない。


「なんで派遣、辞めちゃったのかなあ」


 服がヨレヨレ、足もフラフラな三好みよし かなめがため息をついた。


 本が売れなくなったにも関わらず、派遣元の横柄な社員を殴り飛ばして、解雇されてしまった。通巻で1万5千部売れた作家だというプライドがあって、あんな奴隷的な仕事はしたくなかった。しかし預金はすぐに尽き、慌てて求人誌片手にあちこち電話するが、判で押したようにどこも不採用だった。


 とりあえず日雇いの仕事もしたが、印税を貰っていたときの浪費がたたり、すぐに日当は消えていった。嫌な日雇い先だとバックレることもあり、仕事を申し込んでも断られるようになっていた。


 そして、電気もガスも水道も止められ、食べるものもなくなった。

 行きたくないが、行くしかない。

 彼が向かったのは街中の古びた役所だった。


 ――――――――


 窓口は言い争いの戦場だった。


「だからあ! さっきから何回も言ってるだろ! 仕事がなくなって一週間ロクなもの食べてないんだってば」

「だからあ! さっきから何回も言ってるでしょ! そこに困窮者用の食料ならあるから。持って行っていいから」


 要は、空腹を抑えきれないにも関わらず、バスケットに置かれた長期保存用の菓子パンやカップ麺に要は見向きもしなった。これを受け取ることは体のいい追い返しだ。知っていたからこそ、彼は窓口の職員にひたすら唾を飛ばした。


「今週中に家賃を払わないとホームレスになるんだってば!」

「今週中に仕事を探せばいいでしょう! 日雇いならあるでしょうが」


 職員も唾を飛ばし返した。


「日雇いに断られたからここに来ているんだ! 俺には生活保護が必要なんだ」

「その健康そうな体で生活保護? 役所をバカにしているんですか」


 何も食べなくてもそう簡単に痩せるものではない。


「生活保護は国民の権利だろうが! ネットで調べたぞ」

「ネットを使うお金があるならスマホを売って家賃を払ってください! だいたい元のは何の仕事をしていたんですか」


 そう尋ねる役人を、要は鼻で笑った。


「小説家だ」

「……いま何て言いました?」


 現実世界でこれほど聞き慣れない単語も、そうはないだろう。


「聞こえなかったのか? 小説家だ」

「……いま何て言いました?」


 全く信用していないふうの職員に、要は自慢気にカバンから文庫本を出してきた。


「かなり人気があったんだぞ。お前はこのタイトルをを見たことがないのか」


 自著をカウンターの上に並べる要。

 パラパラとめくる担当職員。


「……こんな本、本当に出版されたんですか」

「どういう意味だ!」

「私も小説は好きでたくさん読んでいますが、ここまで酷い出来なのは初めてです」

「なんだと!」

「自費出版じゃないんですか? こんな自己満足な本を一般の書店で売っているなんて信じられません」

「言わせておけば!」


 職員が本をカウンターに投げ捨てると、要は掴みかかった。


「俺の本に何をしやがる!」

「な、何かすると警察を呼びますよ」

「お前のような奴がいるから俺の本が売れなくなった」

「な、何かすると警察を呼びますよ」

「一生だなんて言ってないだろ。なろう小説は不滅だ! 俺の本もまだまだ売れるはずだ。それまでの間生活保護を出せ! 出せよ」


 激昂した要が暴力で脅しにかかる。そのままカウンターを乗り越え、職員の男に馬乗りになった。周囲が騒然とする。


「せ、生活保護は働けない理由が必要なんです……得体の知れない小説を書く暇があるのに、なぜ働かないんですか」

「だったら俺でも働ける仕事を寄越せ」

「は、ハローワークに行って……」


 首を絞められ苦しむ職員。要の周囲を、こういう事態のために常備されたサスマタを手にした職員が取り囲んだ。要は周囲を睨みつけた。


「俺が犯罪者だって言うのか! 善良な納税者を暴行するのか」


 要は今度は周囲に殴りかかったが、あっという間にサスマタで首を抑えられた。


「警察呼んで! 早く」


 職員が慌ただしく動く、そのときだった。



「やめてくさだい!」


 それは要よりもずっと若い女子だった。大学生くらいだろうか。彼女はカウンターの脇から、職員と要の間に割って入った。


「ひどいじゃないですか! 聞けばこの人は仕事を失い、食べるものにも困っているんですよ。それを追い返そうとか捕まえようとか、人間のすることですか」

「規則は規則です」


 職員が言い切った。


「だったらわたしも規則で戦います。正式な生活保護の申請は断れないんですよね」

「ま、まあ。そうです」


 女子は要の首を抑えつけるサスマタを足で蹴飛ばすと、その体を起こしてあげた。


「あなたも落ち着いてください」


 女子は要の手を引く。柔らかく優しい感触に要はときめく。そして女子がスマホでどこかに連絡すると。待ってましたとばかりに、人の波がこのフロアに詰めかけてきたのだ。


「ここが生活保護の申請窓口か」

「わしらも困窮しているからなあ」

「どうやったら生活保護を貰えるか、話を聞かせてくれないか」


 数十人の老人で狭いフロアがたちまち埋め尽くされる。入りきれない老人がカウンターの中にも押し寄せた。


「外に! 早く外に出てください」

「こんな状態で出られるか」

「押さないでください! 用のない方は帰ってください」

「用があるから来ているんだろうが」


 職員も身動き出来ず、後から駆け付けた警察官も近づくことすら出来ない。


「さ、こっちですよ」


 混乱の中、女子は要の手を引いた。彼女は押すな押すなのフロアの隅っこで、テーブルに要の向かいに掛けた。


「わたしの言う通りにすれば絶対に生活保護が受給できます」

「ほ、本当か」


 女子の微笑みは、疲れ切った要にとって女神だった。


 ――――――――


「そこはこういうふうに書くんです。身分証明書は持っていますか? 運転免許証でなくても大丈夫です。健康保険証を見せてください」


 ひとつひとつ、申請書類の書き方を教える女子。

 履歴書すらまともに書いたことのない要が驚く中、女子は申請書を書き慣れているように、手際が良かった。

 ようやく職員が老人の波を押し返したとき、女子は黙って書類を突き出した。


「彼は生活保護を申請に来ただけです。はい。これ」


 女子はそれを職員に手渡した。


「早く判を押してください。後ろの人たちが待っているんですよ」


「こっちの受付はどうなったんだー」

「いつまで待たせるんだー」

「は、はい」


 さっきの職員は渡されるまま、反射的に受付印を押していた。


「これで正当な受理ですね」


 混乱の中で意思に反してしまった職員に、女子はにっこりした。


「受理されたということは、脅迫ではないことが証明されたわけです。警察官さんもそう思いますよね」


 ようやくここまで来られた警察官が事情を理解出来ないまま、首を傾げた。

 女子は老人たちに目配せした。


「あーこんなに混雑しているなら、話は明日でいいや」

「帰ろう帰ろう」


 すると、あれだけ騒いでいた老人たちは、何事もなかったかのように去ってゆく。あっという間に役所は元の静けさを取り戻した。

 要は驚くばかりだった。


 女子は海部かいふ めぐむだった。


「はあ、疲れた」

「だったらそこのパンでも食べれば」


 あれだけ拒否していた自治体の支給品を、要は今度は遠慮することなく両手いっぱいに、がっついた。

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