【3】こんな事実はあり得ない

 颯爽と恢復は現れた。

 ハリボテの町を蹴飛ばすと、草原はおろか、ラスボスの魔王が住む城の内部までもが町のすぐ横に作られていた。恢復は読者が取り囲む中、生き返ったばかりの女性パーティが、人形のように静止しているのを、思い切り蹴飛ばした。


「これがお前らが奴隷にしたがっているものの正体だ」


 あっという間に成人雑誌の束に変わる女性。


「絶対逆らわない存在。何でも許してくれる存在。お前らそんな人形を相手にして楽しいのか?」

「うるさい! 俺の苦しみの何が解る」

「現実では女の子と手も触れたこともないのに」

「話し掛けただけでストーカー呼ばわりしやがる」

「無視されることがどれだけ辛いことか」


「努力しろ!」


 恢復は一喝した。


「女の子に好かれたければ自分を磨け! 底辺なら這い上がれ」


 読者からは、いつものように一斉にブーイングが起こった。


「偉そうに」

「そういうお前の職業は何だ? さぞかし勝ち組なんだろうな」

「こういう奴に限ってニートなんだよな」

「努力しても這い上がれないのが現実なのに」

「ひょっとして学生じゃないのか?」

「そうでなければ努力なんて軽々しく口に出せるわけがない」

「学生は夢とか希望とか持ってるが、大人になったら叩き潰されるだけだ」


「だからどうした」


 何を言う!

 叫びながら、彼ら読者が剣を抜いて突撃してきた。

 だがここでも、いつもと同じだった。

 折れそうな細い剣は切れ味鋭く、読者の手足を次々と切断し、彼らが受けてきた現実の痛みを思い出させる。胴体だけになって動けなくなると、剣を何度も突き刺して、彼らに負けることの屈辱を教え込んだ。



 もしここで恢復の本当の顔や名前が知れたら、ネットで叩かれるだろう。家を特定され、動物の死体を投げ込まれるかも知れない。一日中監視され、果てには襲撃されるかも知れない。


 しかし、この世界では読者も恢復もアバターだ。

 誰も誰かの正体なんか解るはずもない。

 そう高をくくっていたから、恢復は読者を堂々とゴミクズ扱い出来た。


「現実を変えられないのはお前らが逃げているからだ」


 ――――――――


 学生アルバイトにもバカにされる中年フリーター。

 怒鳴られながら、荷物を一人で担ぐアルバイト。

 親を殴り部屋に籠り、エロ動画に浸る引きこもり。

 ノルマに疲れ果て、電車に飛び込もうとする会社員。

 社会保険なしの業務請負。

 時給を勝手に下げられる店員。

 ネットカフェの深夜料金が終わる前に、暗い街に出て行く日雇い。


 住む場所すらまともに確保できず、貧困に喘ぐ彼ら。

 成績がよくなかったから。

 要領がよくなかったから。

 そして、努力しなかったから。


 ――――――――


 恢復の眼には彼らは雑草以下だった。いつものようにぶち壊したセットの中で読者の反論を笑い飛ばしながら、彼は物語の主人公と対峙した。

 足元には、物言わぬ肉塊が転がっている。


「お前のファンとお前を殲滅する」

「やれるものならやってみたらどうですか」


 そんな光景が間近であっても、いままでの敵にはない、自信満々の主人公がいた。

 小説の主人公は、通常は作者の分身であり、作者の言葉を代弁し、その言葉に共感した読者がファンとして、同じ小説世界を共有するのが常だった。

 なろう小説は主人公の絶対的な強さ――理屈も理論もない強さに読者が憧れる世界だから、その主人公に情けない敗北を与え、その強さが上辺だけのものだと読者に見せつけることで、今まで簡単に崩壊させることが出来た。

 恢復はずっと、そうやってきた。


 なろう小説の主人公の男は言った。


「聞いたことがあります。最近なろう小説のコミュニティを次々破壊している奴がいると。その本はたちまち売れなくなり、作者も廃業すると」

「そりゃどうも」


 恢復は主人公の肩を掴んで、握りつぶすような握力で凄んだ。


「次はお前の番だな」


 しかし主人公はそんな恢復を鼻で笑ったのだ。


「あなたは本当に僕を倒せると思っているのですか」

「なんだと」


 恢復が主人公の体を引き寄せ、拳を腹に叩きつけた。


「お前なんか素手でじゅうぶんだ」


 主人公が動かなくなったことに、歪んだ笑いを発する恢復。

 しかし次の瞬間、恢復の方が吹き飛んだのだ。


 今度は、主人公の拳が恢復の腹に炸裂していた。数メートル吹っ飛び、石畳の地面を削りながら、その体がようやく止まった。


「……そんな力が、底辺のお前のどこに」


 よろけながら、削られた石畳の下のアスファルトを踏みしめ、起き上がる恢復。


「周りを見てみなさい」


 主人公の男が言うと、鋭い視線が恢復の方に一斉に向けられた。

 その数、万を超える。


 彼らは剣を抜き、土石流のように恢復を目掛けた。


「こいつら」


 恢復は細身の剣一本だけで、いつものように読者を弾き返そうとする。

 しかし、その威力はいままでにない重みを伴っていた。


「なんて奴ら」


 攻撃を受ける体が弾かれそうになる。

 いつもなら瞬殺なのに、まるで押し返せない。


「俺たちの苦しみを思い知れ!」

「報われない社会を許さない!」

「努力して失敗した俺たちに稼げる仕事をくれるのか!」


 恢復の防御は限界だった。


「それは、個人の資質の問題だろうが」

「それを現実を解っていないと言うんだ!」


 ついに恢復は吹き飛ばされた。ハリボテの家を次々と貫き破壊し、小説の世界の外に弾き飛ばされそうになる。そこにはもう、現実の街や学校や職場が見えていた。

 崖のような世界の端っこに片手でどうにか掴まり、起き上がった。


「お前らぁ!」


 恢復は雄叫びを上げ、再び読者を倒そうとする。

 しかし、読者は容赦なく群がり、無数の刃で切り刻む。

 その剣すべてが憎しみだった。


 避けることも弾くことも出来ず、奴らの痛みが、恢復の自信を容赦なく砕いた。



 誰にも認められないことが、こんなに辛いことだったなんて。

 これが、負け組なんだ……。



「読者は僕の小説を求めているんですよ。みんな、僕の味方です」


 この世界の主人公が、下品な笑みを浮かべたのが、最後に見たものだった。

 恢復は弾き出され、現実に落ちていった。

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