【4】日雇い
初めて見る、スマホの求人サイト。
初めて探す、アルバイト。
「時給1500円……週5日、一日8時間。工場での軽作業」
ダメだ。フルタイムだなんて、まともな大学生に出来るアルバイトじゃない。
「時給1200円。深夜のみ。ファミレスでの給仕」
ダメだ。夜に寝ない仕事なんて絶対講義に影響が出る。そんな仕事をしている学生もいるだろうけど、成績は悪いに決まっている。
「時給1400円。事務所でのデータ入力。土日のみ」
これいいな。
しかし応募しようと画面をタップして、恢復は慌てて取り消した。
この仕事も、給料が入るのはずっと先なんだ。
だから。
「時給1000円。日払い可。土日のみ可。誰でも出来る簡単なお仕事です」
引きこもる理由を忘れ、恢復は迷うまでもなかった。
――――――――
僅か数分で返事が来たことに恢復は驚いた。
SNSで指定された電話番号に掛けると、軽い口調の若そうな男が出てきた。
「何? 今何て言ったの」
恢復が答えると男は大げさに驚いた。
「バイト初めて? え? そりゃ珍しい。どうしてうちに応募したの? 金欠? 実家が破産? ああ、財布落としたの? 親に仕送りしてもらえばどう。お母さーんって泣いて頼んで」
「バカにしないでください。僕は自分の力でお金を稼ぎたいんです」
「そりゃすげえや! ははは」
「だからバカにしないでって言ってるでしょうが」
「ははは」
恢復は言葉端を尖らせたが、男の笑いは止められなかった。
「初アルバイトならきついかもよ」
「大丈夫です」
「場所はSNSで地図送るから」
そこまで言うと、男の口調が変わった。
「逃げるなよ」
声が凄みを帯びたのだ。
恢復が言葉を失うと、電話は切れた。
********
バカにされても、ここで諦めるわけにはいかなかった。
五時に起きた。まだ夜も明けないうちに指定された駅前に行く。こんな早朝なら誰にも見つかるはずはない。帰りだって、アパートから遠くで外食したり、カラオケボックスで夜が更けるのを待てばいい。
そう思うと、特定されることへの怖さが薄らいだ。
ロータリーに大きなワゴン車がいた。
数人が並ぶそこにおそるおそる近づくと、呼ばれた。
「おい」
近づいてゆくと、その男から呼ばれた。電話で聞いた声と同じだった。
「日雇いか」
「どうして解るんですか」
「電話より若いな。今日はお前くらいの奴は一人だけだ」
金髪でノーネクタイにスーツ。
いかにもな容姿を、恢復は冷ややかに眺めた。逆にその男の同じ視線を、恢復は意識から消し去った。恢復が眺めるのは、同じように集まってきた数人の中年から老人。着古した服装からは、経済的な貧困よりも内面的な貧しさが漂ってきて、恢復は見下した。
「お前ら早く乗れ。始業時間に間に合わないと給料から引くからな」
ともすればホームレスの連中がワゴン車に押し込められる。
最後に乗ろうとした恢復を男は呼び止めた。
「はい?」
「お前が那賀恢復か」
高圧的に男が言った。
「バイト初めてだってな。どんだけセレブなんだよ」
「それは僕の家庭の事情です」
「偉そうに。学生のくせに」
男が鼻で笑った。
「音を上げるなよ」
「わかってます」
そう言ってみたものの、ワゴン車が動き出すと、不安しか湧かなかった。
――――――――
男が運転する無言の車内で約一時間。着いたのは工業地帯にある薄暗い倉庫だった。周囲はグレー一色の建物ばかりで、コンビニすらない場所だ。事前に昼食持参と言われたのはこれが理由なのだと恢復は知った。
近づく冬を、屋内でも感じる。
天井が高い倉庫の下、簡単な説明をする男の声が反響する。
「作業中は時間が空いてもスマホは禁止だ。指示されたこと以外は絶対にしないように。ここの社員の言うことには絶対に従うように。守らない場合はすぐに出て行ってもらうからな」
軽い容姿とは裏腹に、男の声は凄んでいた。ありふれた時給1000円で、厳しそうな場所に来たと、恢復の不安が増幅されてゆく。
男がスーツの上から、作業着のジャンパーを着ける。
八時にベルが鳴ると、その音量が心臓に響く。
作業が始まった。
――――――――
最初は確認しながら、ゆっくりと手を動かす。商品に説明書きのタグをつけるだけの、本当に誰でも出来る仕事だ。間違いようもなく、これで時給1000円ならお得だと、恢復を含めて誰もが思っていた。
社員が商品を運び込む中、恢復もペースを上げ、ほっと胸を撫でおろした。
しかししばらくすると、その男が豹変した。
「お前ら遅い!」
「何チンタラやってる」
「そんなのでノルマが達成出来るか!」
「一秒でも休むな」
仕事の遅い奴を見つけると、後ろから容赦なく怒鳴りつけた。
平気で蹴ったり殴ったりした。
「おい那賀! もっとペースを上げろ」
恢復も例外なく背中を蹴飛ばされる。
怒りで我を忘れ男を睨みつけた。
「偉そうに」
「偉いんだから当然だ。お前らの給料は俺が預かってる」
「くそう」
「働け! 手を動かせ」
強引に姿勢を戻され、後頭部を殴られた。
「くそう!」
まるで看守だ。しかし給料欲しさに、誰もが従うしかなかった。
こんな屈辱的なことと、何度も男を睨みつけたが、恢復にはそれ以上の術はなかった。怒号飛ぶ倉庫での単純作業は、夕方五時まで果てしなく続いた。
――――――――
疲れ果て、もう腕が動かなかった。
ようやく倉庫から外に出ると、体は汗だくで、外の気温と逆行していた。朝乗ったワゴン車は疲労と異臭が漂い、一刻も早く降りたくなる。
日の落ちた駅前に着くと、男が先に降り、労働者が並んだ。あれだけ憔悴していた連中が、恢復以外は急に元気を取り戻した。
咥えタバコの男が、片手で薄い封筒をつまんで渡す。
「ほい。ほい。ほい」
みるみる日雇いの顔が輝いてゆく。
「これでビールが買えるぞー」
「タバコー」
ホームレス寸前の底辺たちが、コンビニに喜び勇んで向かう。
横にあるパチンコ屋に駆け込む奴もいた。
「明日はもっとまじめに働けよ」
「だからやってます」
男は恢復を鼻で笑った。
ふん。と男は冷たい目をした。
恢復も歩きながら封筒を開けた。それから何回も千円札を数えた。入っていたのはなぜか7000円だったことに、男のもとに慌てて駆け寄った。
「どうした?」
「お金が足りません。7000円しかありません」
「何がおかしい」
「時給1000円のはずです」
恢復が不審な目を向けると男は面倒くさく答えた。
「日払いは1000円安くなる。ネットの契約書を読んでないのか」
慌ててスマホを開くと、恢復は納得するどころか、改めて怒りの目を向けた。
「弱みに付け込んで、騙しやがって」
「何だその目は。嫌なら明日から来なくていいぞ。次の仕事はないがな」
この金額ではまるで足りない。恢復は俯くしかなかった。
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