第2話 思い込みの階層社会
【1】貧困学園
高層の校舎と木々が調和する私立大学は、大勢の学生で賑わっていた。
気の合う仲間で集まり、雑談で絆を確かめ合う。
狭いけれど確実な輪が三々五々。
しかしその輪に入らない彼もいる。
それが男子の名前だった。
校舎の中も状況は同じだった。講義も、仲のいい人だけ固まっている。
恢復のようなぼっちは、ここではマイノリティだった。
講義が終わると、女子が数人の学生に囲まれていた。
「僕、アルバイト先が倒産して……新しいアルバイトも決まらなくて、お金がないんです。
助けてください! お願いします!
切実な男子が女子の前で頭を床にこすり付けた。
「心配しないで。ね」
彼女が出してきたのは、弁当だった。
男子一人だけではない、窮状を訴えるほかの男子や女子の分もある。おにぎりは手作りだったが、おかずは出来合いの惣菜もあった。しかし食べるものにも困った学生にとって、それは至宝の輝きだった。
「ありがとう。ありがとう」
「家賃や電気代が払えないなら、政府や自治体の窓口を紹介するから」
みんな飢えていたのだろう。次々と弁当を頬張る。
「席に座って食べてね。たくさんあるから」
彼らは慈の弁当を食べながら、スマホを使っていた。遊んでいるのはゲームだった。昼食の五百円は出せないのに、ゲームの中のアイテムを手に入れるのに課金は惜しまなかった。
そしてもう一つ。小説の投稿サイトを読む人たちもいた。
自由に投稿出来、読むのも無料。サイトで人気が出て書籍化された小説は数知れず。その小説の登場人物になり切って、弁当と同じように貪り読んでいる。
「あ、その小説面白いんだよね」
「海部さん。これ知ってるの?」
リア充っぽい海部さんが知っているなんて。
意外な顔をする男子に彼女はにっこり微笑んだ。
「現実ではダメな人でも、異世界ではヒーローになれる小説なんだよね」
「そうだよ。なろう小説を読むことが僕のいちばんの楽しみだ」
「みんなだって本当はもっと豊かに、幸せに、楽しくなれる権利がある。その夢を語るのがなろう小説。夢中になって当然よ」
海部の励ましに男子は嬉しくなって、スマホを次々とスクロールさせた。
そんな中、一人の女子が言った。
「でも海部さん。本当に政府が学生にお金をくれるの? そんないい話があるの」
「うーん。くれるんじゃなくて、正確に言えば貸付かな」
「貸付って。それって借金なんじゃあ」
暗い顔をするのは彼女だけではなかった。誰もが、せっかくの箸を置いて深刻になった。
「お金を借りられるのはありがたいけれど」
「就職出来るかも解らないのに」
「就職しても少ない給料じゃあ返せないよ」
そんな心配を海部は杞憂だと笑い飛ばした。
「大丈夫よ。国とか自治体からの借金なんて返す必要ないから」
驚く彼ら彼女らに彼女はきっぱり言った。
「国は大企業が有利になるような政策を決めて、そのかわり大企業からたくさんの税金を集めてるの。中小企業やパートや派遣社員は大企業の奴隷、犠牲なのよ。集めた税金のほんの一部が貸付金の予算ってわけ。
だからその貸付金は、あなたたちのご両親や、あなたたち自身が稼ぐはずのお金なの。奴隷になった上に、返さなければいけないなんておかしいわ」
「そうなんだ」
みんな驚いている。慈は得意げだった。
「もちろん『必ず返す』って言わないと貸してくれないけど、あとで収入が減ったら、無理に返さなくても平気よ」
「でもそれじゃあ犯罪みたいで嫌だよ」
海部はそういう男子にきっぱり言った。
「わたしたちの利益を奪い返して何が悪いの?」
「奪い返すって、暴力みたいで嫌だよ」
「わたしだって暴力は嫌いよ。暴力に頼らなくても社会は変えられるわ。あいつらが借りたお金を返せと言うのなら、それは不当だって訴えればいいのよ」
「どうやって? 裁判とかするの? 海部さん」
「お金も手間も掛かりすぎるよ。海部さん」
海部は彼らにちょっとだけ厳しく忠告した。
「みんな。わたしのことは苗字じゃなくって、
慈の言葉に彼ら彼女らは頷いた。
その態度に納得した慈は、きっぱり言った。
「自分たちの有利になるように法を捻じ曲げているのは大企業や政府。それを真っすぐに、正しい姿に戻すための活動をすればいいのよ。デモをしたり、SNSにあいつらの横暴を書き込めばいいのよ」
慈の口調が熱を帯びた。
「そうすればテレビとか新聞が報道してくれる。有名になれば支援者が増えて、裁判の費用も出してくれるようになる。みんなあなたたちの味方よ」
目から鱗が落ちるように、周りが納得していた。
「慈さんはどこでそんなやり方を知ったの?」
「生きる上では常識よ。みんな大げさなんだから」
「そんなのおかしいよ」
思わず声を上げたのは
「国が決めたルールを勝手に破るなんてあり得ないよ。それは犯罪だよ」
「何言ってるの」
「法律は大企業や政府が勝手に決めたものじゃない。みんなが投票した国会議員が決めたものなんだ」
「は?」
しかし
「それは政府や大企業に騙されているのよ!」
「大勢の人が投票したことには違いないよ」
「それなら、選挙そのものが不正操作されているのよ」
「そんな証拠どこにあるんだ」
「わたしの周りのひとは誰も政府与党に投票なんかしていないからよ。ここにいる人だって、みんな選挙に行ったんでしょ? 与党に投票した人なんていないよね」
「う……うん」
みんなもごもごと口を動かすだけだ。
選挙に行ってないなんて、この雰囲気では言えない。
「これだけ貧困を放置した与党になんか投票していないよね」
「う……うん」
与党に投票したなんて言えない。
「ほら。与党が圧勝するのは不正があるに違いないのよ」
「誰も不正なんかしないよ」
そう言う恢復を慈は抑え込みにかかった。
「票を買収してるに決まっている。社会の大多数の貧しい人を蔑ろにする連中が法を守るなんてあり得ない」
「この国の仕組みは僕たち一人一人が作っているんだ。誰も蔑ろにされていないよ」
「証拠は? 奴らが不正をしていない証拠はあるの」
「そんなの出せないよ。出せるわけないよ」
みんなが作った政府はみんなの意見を繁栄してることに間違いない。
なのに慈は、それを堂々と否定した。
「わたしには解るよ。奴らが汚れていて、貧しい人が正しいことが」
貧しい人だけが選ぶ政治家だけが、民意を反映した正しい政治をするの。
「そんなの暴論だ。全ての国民が選ばないと意味がない」
しかしほかの学生が、慈に替わるかのように猛攻撃してきた。
「お前何様なの? 政府の味方しやがって」
「わたしたち生まれた時からずっと貧しかった。奨学金も限界まで借りて……これ以上借金を増やしたくないの」
「だったら頑張っていい会社に就職してお金持ちになれば」
「一日八時間バイトしないと学費も生活費も払えない」
「毎日二時間しか寝てないんだ」
「この国は間違っている。親が貧しいから子供も貧しいなんて理不尽だ」
恢復は言った。
「それでも、それでも努力すれば」
「努力したっていい会社に入れるとは限らない」
「リストラされたら終わりだ」
「いい成績取ったってホームレスになった人もいっぱいいるんだ」
「そんなのごく一部だよ。いい成績だったひとは殆どがうまくいってる」
「そんなはずはない」
「わたしは実際に見た!」
「僕も聞いたことがある」
「だから、努力すれば成功するなんて嘘だ!」
いい成績だった人が貧しくなった証拠は、彼らの記憶の中にしかない。でもそれは、他の人が誰も知りえない以上、嘘だとは誰も言えなかった。
彼ら彼女らは恢復に敵意をむき出しにする。
慈は言った。
「恢復くん。だったっけ。あなたの目が濁っているから嘘を真に受けるの。貧しい人が見たものこそが真実なの」
「みんなで選んだ政府が悪いはずがない」
「まだ言ってる」
「政府の横暴に味方する奴め」
「二度と僕たちに近づくな」
「出ていけ!」
そうやって恢復は講義室を叩き出された。
――――――――
興奮冷めやらぬ男子女子に、慈は言った。
「わたしが知っている人がセミナーをしてるの。無料だから行ってみるといいよ」
配られたビラには、貧困な人への給付金の相談会と書いてあった。
みんな、二つ返事で了承した。
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