【3】都合の悪いことは誰かのせい

「なんてことを!」

「この世界はここで終わらせる」


 屍累々の周囲を見渡し、焦るこの世界の『主人公』。

 その『主人公』の深層心理が、男子に見えた。


「努力は無駄だ。俺の親も、友人も同じ考えだった。高卒ですぐに働く人たちは早く結婚して、家を建てて、いい車を買って、幸せそうだった」


「逆に勉強とか努力ばっかりしている奴は、大学でも、職場でも努力を続けなければ、すぐに落ちこぼれてクビになってしまう」


「終わらない努力の向こうの幸せなんか、俺は見たことも聞いたこともない。だから落ちこぼれても何とも思わなかった。勉強するのはアホだと思っていた」


「仲間たちは高校卒業と就職していった。俺も小さな会社の営業職をはじめた。地元の企業だから、楽しそうに仕事している先輩がいるから、きっと俺も幸せになれるだろうと思っていた」


「しかし実態は違っていた。過酷なノルマと、終わらないパワハラに三か月もたなかった。俺の憧れていた先輩は、本当は借金まみれで、職を転々としていた。その先輩が詐欺とかで逮捕された」


「それからコンビニでバイトを始めたが、釣銭を間違えると自腹だし、クレーマーには土下座させられるしで、一年で辞めた」


「派遣になって工場に行った。しかし不景気で契約がなくなった。社員にとって俺たちは物品扱い。人間扱いされなかった」


 しかし男子はその苦労話を鼻で笑った。


「それはお前が努力をしなかったからだ」

「努力は無駄だ。金持ちだけが勝手に偉くなる。俺たち貧乏人は何も変わらない」

「大学に行けば、少なくともまともな就職先があっただろ」

「就職しても給料が変わらないじゃないか。責任のない派遣の方がましだ!」


「そんなことない。三十歳、四十歳になったとき、何倍もの差が出るんだ」

「嘘だ! そんな都合のいい話があるわけない! 努力は無駄だ。みんなが言うから! テレビが言うから絶対なんだ」


「そう思っているのはお前らだけだ」


 『主人公』は夜闇を階段で駆け上がる。

 そこからナイフを次々と投げてきた。

 鋭い銀の輝きは避けるのに精いっぱいだ。今までの雑魚とはまるで強さが違う。


「この世界は俺が作った。俺に勝てる奴など存在しない」


 ナイフが軌道を外れ、刺さった黒い空に穴が開き、星の瞬きのような光が見える。

 破壊されるハリボテの建物。家の中の人にもナイフが刺さる。

 しかし刺さっても、作り物の市民は静止したままだ。


 避けきれない。男子の服はボロボロになっていた。


「解ったか! 一万部売れた俺の小説の実力を」


 しかし息を切らせて仁王立ちする『主人公』を、またしても男子はバカにした。


「お前、その印税で何が出来た?」

「何って、新しいゲーム機買ったり寿司食べ放題とか、とにかく贅沢出来た」

「それで生活出来るのか? お前が嫌っている仕事よりも稼げるのか」

「当然だ! いまの仕事ももうすぐ辞める。俺は小説一本で生きられるからな」


「冗談言うなよ」

「なんだと」


「一万部売れても印税は8%で五十万円。年四冊出しても200万円しかない」

「そ、それでも売れ続ければ」

「残念だったな。この小説の読者を倒した以上、お前も底辺に逆戻りだ」

「う、嘘だ」


 そんな現実は認められない。


「嘘だ!」


『主人公』が大剣をどこからともなく出現させ、偽物の夜空から飛び降りた。

 まっすぐ男子に落ちながら、剣を振り降ろした。

 男子は細身の剣を斜め上に振り上げた。


 大剣が折れ、『主人公』が真っ二つになった。


「な、なぜこの俺が」

「積み重ねのない成功なんか存在しないのさ」


 男子の剣の波動が、そのまま背景の夜空を切り裂いた。まるでカーテンのような空がはがれ、周囲が真っ白になる。そこはビルや民家のある、現代の街並みだった。

 本物の光を浴びると、この世界の人も街も畑も、粉々に散ってゆく。


 そして『主人公』も、ギャラリーだった『読者』も消えていった。



 ********



「ここは」


 薄汚いロッカーが並んだ更衣室だった。

 パイプ椅子から落ちそうになる男は、あの世界と同じような体形だった。

 うたた寝なのに、何か月も経っているように感じる。


 そうだ俺は小説を書いていたんだ。

 

 寝る間も惜しんで書いた小説は、確かに出版され、それなりに売れていた。

 それがほんの数か月前であり、もう数か月経つ。

 思い出したとき、ドアが開いた。


「おい。何やってる。休憩はとっくに終わったぞ」

「は、はい」

「全く。これだから派遣は」

「はい」

「なんだ? ちゃんと謝れ」

「も、申し訳ございません」

「声が小さい」

「……」

「声が小さいって言ってるんだろうが!」


 社員が男を蹴飛ばした。ロッカーに体をぶつけ、倒れる男。


「そういえばお前、派遣辞めるとか偉そうに言ってたな」


 容赦なく社員は男を踏みつけた。


「あんな小説が売れるだって? バカじゃねーの」


 確かに、売れていたんだ。


「お前のような奴にほかに仕事があるか! ゴミクズめ」


 俺には読者がいたんだ。

 

「オラ! 働け! 働け」

「言わせておけば!」


 抑えられず、男はついに社員に殴りかかった。


 ――――――――


 鉄のロッカーが軋み、数分後には使えないほど凹んだ。

 呻き声も聞こえなくなり、更衣室が静かになった。


 ロッカーの一つから着信音が鳴った。工場内には持ち込み禁止のスマホだ。

 それはしばらくして留守電に変わった。


三好みよし かなめさん。編集部の名東みょうどうです』


 電話の向こうの男性の声がくぐもった。


『言いにくいのですが……次巻の刊行が中止になりました』


 編集部からの通知は続く。


『一巻と二巻は好評だったのですが、第三巻で売り上げが大きく落ちてしまい、当社としても次巻は出せないと……ぷぷっ』


 それまで神妙だった電話の向こうの声が、突然笑いに変わった。


『おいおい! 真面目な電話してるんだから邪魔するなよ』


 しかしスマホの向こうは盛り上がっていた。


『このギャグ最近SNSで話題なんだから』

『まあ流行らせたのは俺だけどな』


 ほかの編集部員の声が聞こえてくる。


『売れなくなった作家なんて切り捨てて当然だよ』

『なろう小説のどこが面白いのか、わたし未だに解んないのよねー』

『腹減らない? ちょっとコンビニ行ってくる』

『俺ざるそば』

『わたしは牛丼』

『お前ら向こうに聞こえるだろ!』


 名東と名乗る男が取り繕った。


『つ、次の傑作をお待ちしています。本当にありがとうござ……だからそのギャグやめろって』


 繕いきれないまま、爆笑とともに留守電は終わった。



 ********



「なんでこんな本、面白がってたんだろ」

「努力なしで何でも手に入るとか、アホみたい」

「こんな安直な世界に浸ってた自分が恥ずかしいよ」

「現実と乖離しすぎてる。この主人公には全く感情移入できない」

「僕も底辺だけど、こんなのに夢中になるほど落ちぶれたくないね」

「こんなの読むのは底辺だけ」

「バカにされるだけの存在は嫌だ。わたしは努力して、底辺を脱出する」


 文庫本が駅のごみ箱に、アパートの集積場に次々と捨てられてゆく。

 刊行されてまだ三か月経たないのに、古本の買取は拒否された。


 それは本来あるべき、本当の現実だった。

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