第5話 なろうに追いつく現実

【1】あんな奴らに好き勝手されて

「なろう小説を破壊する奴が実在した」

「ネットの書き込みは本当だった」

「俺たちの夢と希望を奪う奴は許せない」

「正体を暴いて晒し物にしてやる」


 彼らなろう小説の読者は、社会ではゴミのような扱いなのに、ネットの中だけは信じられない有能さだった。時間を持て余す引きこもりも、ブラック労働に苦しむ底辺も、自らの正義を振りかざすチャンスだと、掲示板やSNSで活発に情報を交換する。数千、数万のそんな連中が、日常を忘れられる最高の娯楽だとはしゃいだ。


 彼らはネットでは特定班と呼ばれていた。どんな僅かな情報からでも、個人情報を突き止めることで有名だった。人とまともに話の出来ない連中が(ネットの中だけだが)連携して、国家機関をも凌ぐ能力を発揮した。



「あったぞ!」

「努力を信奉している腐りきった奴の小説だ」

「ニートや引きこもりをバカにしやがって」


 奴らに発見されたのは、主人公が努力と苦労を重ねる小説だった。かといって、その作者が、なろう小説のコミュニティを破壊して、読者や作者を廃人に追い込んでいるという証拠はどこにもない。


 構わず、奴らは暴れまわった。スパムや下品な書き込みや殺人予告で、小説投稿サイトの感想欄は数万に達した。作者が自著を宣伝するSNSから個人情報が割り出され、学校や職場が実名で晒される。


「こいつ大学でカンニングの常習犯だったぞ」

「マルチ商法の会社で年寄を騙して稼いでいる奴だ」

「スーパーで暴言吐いて店員に土下座させてたの見たぜ」

「道で小さい子に抱き着いたロリペドだってニュースになってた」


 それらがどこまで本当なのかは解らない。ネットの住人にとっては真実は重要ではなかった。努力を強制したり、努力の素晴らしさを語る奴を潰したいだけだ。

 だから作者の日常生活を盗撮し、悪意あるキャプションでネットで拡散し、徹底的に炎上させる。


 同じように努力を唱えるブログやSNSも、徹底的に攻撃された。

 そして、それを擁護する人にも、同じように誹謗中傷が行われる。

 普段なら、炎上は飽きれば沈静化する。そもそも真偽の知れぬ個人情報が、それだけの燃料だなんて、あり得いことだった。


「企業の経営者は成功を餌に努力を強制し、成果を奪って使い捨てにする」

「政府は企業と癒着し、教育現場で努力を刷り込んでいる」


 だが今は、マスコミやSNSが連日に渡り努力を否定していた。影響されたのか、二十代までの話題の中心は、政府の補助金を手に入れ、楽に暮らすことだった。

 そして補助金が少ない、受けられないと彼らは政府を批判し、マスコミはこれを大きく取り上げ、政権転覆に誘導していた。


 ――――――――


 そして、恢復の番だった。

 恢復の小説は、アクセス数が増えたのが災いし、すぐに発見されていた。感想欄が罵詈雑言で汚く埋まる。投稿サイトの運営会社もターゲットになり、彼らのオフィスには無言電話が鳴り響き、メールボックスはパンクした。


 危機を抱いた運営会社は、クレームの多い作品を一斉に非公開にした。

 百花繚乱を前提にしたサイトなのに、多くの小説が排除されてゆく。努力系の小説やマンガのファン、そして努力で成り上がった大企業の経営者のブログやSNSも攻撃され、炎上を恐れ閉鎖され、アカウントは非公開になった。


 好意的な数十の書き込みが、数万の悪意によって押しつぶされる。

 何より怖かったのは、その悪意が現実を浸食していることだ。


 実際に、恢復と同じような小説を書いていた人が住所や名前を特定され、写真を撮られて無断で晒されていた。家を監視され、爆弾を送り付けられていた。SNSでその事実を公開し、警察に通報したにも関わらず、全くニュースにならなかったことが、恢復の恐怖を増幅した。


「貧困層から金を奪う奴らを許さない」

「努力なしでも豊かになるのは、弱者の当然の権利だ」


 そんな声が急速に増えてゆき、ネットを、リアルの社会を浸食していった。


 政府も大企業も、その信者も権力を持った絶対的な支配者だ。

 不正に塗れた選挙なんかで変えられるわけがない。法律は支配者が一方的に作ったものだ。強者が汚いやり方を使うなら、弱者も同じようにしなければ決して勝てない。それが対等な戦いであり、自分たちに残された唯一の方法だと彼らは信じ、絶対に妥協をしなかった。


 ――――――――


「自分の怠惰を社会のせいにしている。気に入らなければすぐに暴れる。だからあいつらは底辺なんだ! だから貧困なんだ」


 そう叫んだ恢復だったが、彼を取り囲むのはアパートの壁だった。カーテンを閉ざし、大学にも行かず、近所のコンビニで買った弁当の容器ばかりが増えてゆく。


「絶対に許さない。僕をこんな目に逢わせた奴らを」


 いままで自分がしてきたことは、彼の頭にはなかった。


 恨みをキーボードにぶつけるが、小説の更新は止まったままだ。

 投稿サイトの非公開設定は、いつまでも解除されないままだ。

 そして、あのアパートにもしばらく行かないままだ。


 しかし一度は、恢復は再起して、勝浦壮哉の小説の世界に再潜入したのだが。



 ――今日も無人のアパートで、またあいつのなろう小説を読んだ。

 底辺読者が死守するご都合主義に吐き気を催しながら、横になる。

 いつもなら、それは勝利の合図なのに。


 来たぞ! あいつだ。

 性懲りもなく。

 弱っちいくせに。

 やっちまえ!


 恢復は逃げ惑うばかりだった。努力の積み重ねより、奴ら底辺の恨みや憎しみの力の方が大きいことに打ちひしがれて、汗びっしょりで彼は目を覚ました――。



「僕は奴らとは違う。貧困を盾に暴れる必要はない。アルバイトも不要だ」


 そう思うと、少しは気が晴れた。

 関わりのあるSNSの書き込みとアカウントは、炎上になる直前に残らず削除した。まだ特定はされていなかった。それが彼の希望だった。



 ********



 慈は、恢復のことなどすっかり忘れ、毎日のようになろう小説の世界に潜入した。


 行く先々のコミュニティで、なろう作家と読者に、ニートや引きこもりやブラック労働は全て社会が悪いと演説した。自己責任は支配者の作った言葉であり、読者も作者も変わる必要はないのだと甘言した。


 たちまちコミュニティは強固になり、現実以上の読者の居場所になった。新刊はどれも飛ぶように売れ、読者はなろう小説の世界に没入した。



「どうやってなろう小説をそこまで有名にしたんだ?」


 会うと、青年部の人たちからそんなふうに聞かれた。

 SNSを利用したステルスマーケティングだと慈は語った。それは嘘ではないにしろ、決して最大の理由ではなかった。


 こんな楽しい秘密、誰にも話したくないと、慈は思っていた。


 ――――――――


 なろう小説の読者は現実を、強者が好き勝手に支配する社会を否定し、恢復のような努力を信奉する社会に激しい敵意を向けるようになった。


 彼らの攻撃の発端にはいつも慈がいた。彼女は努力系のコミュニティを探すと、底辺たちを焚きつけた。努力系のコミュニティが次々と破壊されることで、彼らの喜びがネットだけでなく、大学の貧困学生からも伝わってくる。


 彼らの目の前の、小さな幸せを叶えたことが、慈にはたまらなく嬉しかった。


 ――――――――

 

 ふと見ると、アパートのいつもの襖が少し開いていた。あの役人――雄武が言っていた開かずの間。隙間から覗いてみたが、そこはマットレスと枕だけの、この部屋と同様の場所だった。


「そういえば、もう恢復くんにずっと会っていないな」


 思っていたよりずっと頭が良かった。

 真剣な顔はちょっと、かっこよかった。


 ふと我に返る。

 いまは、自分の理想を叶えるときなんだ。

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