【2】頭を使われては困ります
「あのう、勝浦さんですよね。ベストセラー作家の」
ヘッドライトの照らす街を壮哉が早足で歩く。後ろをどうにかついてゆく要のことなど眼中になく、それでも要はどうにか呼び止めようとした。
「勝浦さんってば」
今回も無駄足だったと、壮哉は怒り心頭だった。
要はその体形で周囲を弾き飛ばし、どうにか横に並んだ。
「どうやったらそんなに売れるんですか」
「読者の趣向を読む。それだけだ」
ぶっきらぼうに壮哉は答えた。要はしつこく、更に執拗だった。
「どうやって趣向を読むんですか」
「いまの社会状況を分析して、売れそうなネタを探す」
「小説って、好きなものを書くんじゃないんですか」
「それは素人の言うことだ」
「さすがベストセラー作家は違う」
短く話を詰めながら、壮哉はビルの中に入ってゆく。
「印税で何買うんですか? いいもの食べてるんですよね。高級外車とか旅行とかしてるんですか」
要は矢継ぎ早にプライベートなことを、遠慮なしに聞き出していた。
「いいなあ。俺もそういう生活に憧れますよ。これからどこに? 飲みに行くならいっしょに行きたいなあ。さっき飲んだ? 二件目行きましょうよ。ベストセラー作家の行く店ってすごく興味あるなあ」
自動改札の前で壮哉が立ち止まった。しかめっ面で見つめられ、要は言い過ぎたと焦った。このままじゃあ今日の夕食はスーパーの半額惣菜になってしまうと焦った。
だが壮哉は、ふんと鼻で笑ったのだ。
もう十時なのに、まだまだ乗客の多い電車のドアが開いた。
まるで知り合いだと、要は当然のように横の席に座った。
――――――――
「ここって」
電車を降りてしばらく歩くと、要は思い出した。
あのプレハブの居酒屋は、明かりも灯り、中の喧騒がここまで聞こえてくる。要は再び本が売れてからは、この居酒屋の存在をすっかり忘れていた。
「壮哉さん。お金あるのにこんな所に行かなくても」
「俺はここが好きなんだ」
プレハブの粗末な店は、いつものように老人で賑わっていた。
壮哉が座敷に座ると、要が遠慮がちに畳に上がってくる。
「いいんですか」
「ついてくると言ったのはお前だろうが」
オラついた風貌からは想像もつかない大人しさだったが、これも相伴にあずかるためだった。高級な店を想像してよだれを垂らしていたのだが、それでもタダ酒には替えられなかった。
「遠慮するな。なんでも頼め」
「あ、ありがとうございます」
以前に来たときのことは覚えていた。
安いが、料理の質は値段以上だった。
店の人は気さく。老人ばかりのお客も賑やかで、犯罪者っぽい発言には驚かされたが、居心地は良かった。
「それじゃ。ベーコンと唐揚げとハムカツと角煮と刺身盛り合わせとエビフライとモモ串。ビールはピッチャーでお願い」
「そんなに食うから太るんだ」
「へへ」
壮哉に指摘されても、決して止められることがないのが嬉しかった。
そういえば、ほかにこの店で何かあったような気が。
――――――――
机を埋め尽くす皿を前に、ジョッキを手にした壮哉は聞いた。
「さっき編集部で揉めてたみたいだな」
「そうなんですよ。聞いてくださいよ」
要はガツガツと食べながら恨みを込めて語り始めた。
「なろう小説は空前のブームなんですよ。今まで社会でゴミクズ扱いされてた奴らの最後の希望だ。だから一回は出版中止になった俺の本も売れまくっている。
それなのにですよ! 出版社は自分の給料を増やすことしか考えていない。俺も贅沢させろって言うの。俺は貧困者の救世主だぞ。いい思いをして当然だ」
どれだけ売れても印税が全く上がらないこと。その印税でさえ、だまし討ち同然のやり方で奪われたことを、私怨を込めてネチネチ語り続けた。
「あいつらのやりそうなことだ」
納得する壮哉の周りで、周囲では老人たちが、若い時に、限りなく非合法な方法で社会を変えようとしていた思い出で盛り上がる。
――――――――
樽と骸骨。二人が向かい合わせの光景は異質だった。
追加で頼んだ親子丼と醬油ラーメンを前に、要がジョッキ片手に喜んでいる。
ビールから日本酒に変え、ゆっくり喉を満たしながら、壮哉はその要に満足していた。その壮哉も酔ってきたらしい。
「お前、俺の状況も見てただろ」
「印税が上がらないことですか」
「ああ」
「12パーセントもあるんでしょ。俺の倍ですよ。信じれない」
「コミカライズ、アニメ、映画。どれだけ売れても権利料が手に入らない。製作委員会方式ってやつだ。分け前が欲しければ出資しろって言うわけだ。信じられるか? お前ら編集部の給料は俺が稼いでるんだっての!」
「まあまあ。落ち着いて」
徳利を手に暴れようとする壮哉を、今度は要が抑える番になっていた。
「次は焼酎持ってこい!」
息が荒い壮哉が、新しいジョッキを飲みほしてから見開いた。
「俺はな、独立しようと思ってる」
「独立って」
「自費出版をするんだ」
壮哉の言葉に、要が鋭く反応した。
「でも、自費出版業者は詐欺の温床だって聞いてるし、だいたい個人で出した本は書店に置いてくれないでしょう」
「その口ぶりはお前も検討したことがあるのか?」
メガサイズの腹をさらに膨張させようと、ラーメンを啜る要は頷いた。
壮哉は話が早いと結論を自慢気に語った。
「俺には固定ファンがいる。流通に必要なISBNコードは個人でも取れる。書店は名の通った作家なら個人でも置いてもらえる。もちろんダウンロード販売もありだ」
「そんなやり方があるんだ」
思いつかなかった情報に要は驚き、壮哉は自分の作戦がそうやって認められたことにまた満足した。
「販売部数が下がっても、利益が丸取りだから収入は増える。なによりアニメや映画での権利交渉が出来る。俺の小説を利用して稼ぎたい奴から金が取れる。まさにいいことずくめだ」
「すごいじゃないですか! 俺も自分で出版する」
要は驚くばかりだ。
だがそこで、壮哉の口が止まった。
「どうしたんですか」
「出版社が妨害することだ」
出版社と聞いて要が反応する。
「あいつらにとっては裏切者になる」
「察しがいいな」
要が赤ら顔で歯ぎしりする中、壮哉は彼の言いそうなことを列挙した。
「出版社を裏切った者がタダで済むわけがない。俺と、俺の小説の評判を落とすために、マスコミやネットでスキャンダルを書きまくるだろうな」
「くそう」
その通りだと要は残ったつまみを食いちぎった。
「こんな不条理が許されるか!」
「全くだ!」
抑える存在がいなくなり、二人は大声でジョッキを机に叩きつけた。
――――――――
「隣いいかしら」
そんな二人が若い声に首を向けた。
すると要は、ようやく思い出した。
「慈さん」
「慈さんじゃないか」
「え? 壮哉さんも知ってるんですか」
壮哉の慈に対する既知の態度に、要は驚いた。
「あたしはチューハイ。レモンで」
「はいよ」
注文を取りに来たおばちゃんに、慈はいつものように頼んでいた。
――――――――
「いやあこんなところで会えるなんてほんとうに偶然ですね」
「私はいつも来てるよ。ね。壮哉さん」
「ああ。きみと飲んでいると本当に楽しい」
殺気に満ちた空気はどこへやら。要は慈の存在にすっかり心を和ませていた。
「慈さんの言った通りだ。回復どころか前の三倍売れるようになりましたよ」
生活保護を抜け出してから、すっかり忘れていた女神に、要は夢中だった。
しかし慈は座敷に上がってからは、壮哉の横に陣取った。
「100万部達成おめでとうございます。壮哉さん」
「ああ。ありがとう」
「慈さん。何食べますか? 俺が奢るから、何でも言ってくださいよ」
「お前は俺が奢ってるんだろうが」
調子のいい要を壮哉は軽くいなした。
常連同士で仲良く話す二人が、彼には羨ましかった。
慈は要のことなど興味ないみたいで、壮哉にだけ話掛けていた。
「壮哉さんのおかげで、貧しい人たちが、政府と戦うようになったんですよ」
「デモ行進のことか」
「それだけではありません。大臣の個人攻撃をSNSで一人1000回書き込んだり、省庁のメールサーバーをスパムメールでパンクさせたりしているんですよ」
「やっぱり犯罪者の集団だ……」
「不正で政権を取った政府に、このくらいの反撃は当然です」
そう口に出した要を慈は睨みつけた。要は黙るだけだった。
慈は軽くビールを口につけてから、聞いてみた。
「さっき、ちょっと聞こえたんですけど、独立ってどういうことですか」
「きみにも解るだろ。印税が少ないからだ」
慈が少し考えた。彼女が次に出した言葉は、厳しいものだった。
「それは間違っています」
「なぜだ」
「出版社から離れたら売れなくなります。宣伝してもらえなくなります」
「俺には固定ファンがいる」
「壮哉さんなら、出版業界の流行り廃りの激しさは知ってるでしょう」
「お前に俺の何が解る」
「壮哉さん。きっと出版社から嫌がらせを受けますよ」
「それは承知の上だ」
慈はジョッキを机に置いた。
「ちょっと外の風に当たってくる」
これはダメだと立ち上がり、慈は青い顔で外に出た。
――――――――
「まずいよ。出版社という後ろ盾のない作家は、マスコミが相手にしなくなる。ほかのベストセラー作家が同じことをして、メディアへの露出がなくなれば、なろう小説全体が忘れ去られてしまう。あいつだけ売れても、意味がないのに」
彼女は店内に戻った。壮哉は要とビールのお代わりをしていた。
慈が座敷の横に立ったままで、声を大きくしてみた。
「あのう壮哉さん。やっぱり独立なんて無謀なこと、やめた方が」
「だから作戦を練っている」
「自費出版は大変ですよ。今なら面倒なことは全て出版社がやってくれます」
「俺の気持ちは変わらない」
「なんで! なんでですか」
「黙れ」
「そんなことしたら全てを失ってしまいます」
「やかましい!」
壮哉が怒鳴りつけた。
「どうして人のことに首を突っ込むんだ」
「壮哉さんの考えが幼稚だからです!」
慈は千円札二枚を机に叩きつけ、店を出ていった。
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