恢復《かいふく》のフロンティア

【２】欲しいものは努力でつかみ取る

　逃げ帰ったと思われた恢復だが、あいつらの目を気にしながら、奥の古い校舎に入っていた。複数の小さな校舎が連結した場所は、大学創設時からあるらしい。つなぎ目に差し掛かるたび通路が折れ曲がる。

　方向感覚が麻痺する。休み時間の講義室は賑やかだった。横目に進み、ストリートを幾つも枝分かれさせたその奥。行き止まりのような場所に恢復は入る。

『関係者以外立入禁止』

　細長いドアの向こうの廊下は、人ひとりがやっと通れる幅だった。喧騒が嘘のようだ。窓もなく、非常灯だけの暗い廊下。

　人影はなかった。ようやくたどり着いたのはまるで民家の和室だった。

　十畳ほどの畳敷で、恢復は靴を脱いで上がった。

　障子の向こうに窓があり、見える景色は、大学の非日常感とは対照的な、古いアーケードだった。シャッター街と化したアーケードに並ぶように、二階建ての細長い校舎が頭だけを突き出していたのだ。

　和机だけが置かれた部屋は、まるで旅館だった。窓一つ向こうは別世界で、居ながらにして旅行の気分に浸れるから、恢復はここが好きだった。

　木目の天井を仰ぐように、彼は横になった。秋の入口を抜けた頃は、眠るのに最適だった。

　努力は絶対に裏切らない。

　僕は努力で成功をつかみ取るんだ……。

　――――――――

　外はすっかり闇だった。人ひとり通らないシャッター街を水銀灯が照らす。もう夜学の講義が始まっていた。恢復は慌ててキャンパスを出た。

　帰りに牛丼（並）を食べてから、アパートに帰る。

　リュックから机にノートパソコンを出してきた。

　まずは講義のレポートだ。成績は維持しなければいけない。

　それは就職とは関係なく、努力は必ず認められるという証拠を作るためだ。

　三時間かかってレポートを書き終え、時刻は十一時だ。

　恢復は一息ついたが、液晶画面を閉じなかった。

　エディタソフトが開かれた。

　休む間もなく書きはじめたのは、小説だった。

　約二時間。考えて書いたのは約４０００文字。

　今日の主人公の活躍は――。

　バカにされ、努力をして、それでも認められずに虐げられ、それでも土下座し続ける主人公。偉い人が、ようやくその努力を認めてくれるという重要な下りだった。今までの苦労が溜飲される展開に恢復は心酔した。

　出来た原稿を早速、小説投稿サイトにアップロードする。

　時間がすぎてゆく。

　彼の小説はアクセス数は多かったが、感想は少なかった。

　しかもその中身は、惨憺たるものだった。

『こんなつまらない小説は見たことがない』

『主人公が努力をしたり、嫌な奴に頭を下げたりする。最低』

『楽して強くなる主人公以外は認めない』

『現実でこれだけ苦労してるのに、どうして小説の世界で努力を見せつけられるの』

『早く消してください。楽しい投稿サイトを妨害しないでください』

「それでも、それでも僕は諦めるわけにはいかないんだ」

　投稿サイトで人気がある小説、書籍化された小説は、主人公が無双の強さで敵を蹂躙するものばかりだった。仲間は主人公の引き立て役。女性キャラは主人公が好きに扱える奴隷役。

　現実世界では最低のダメ人間の主人公が、異世界ではダメのままで最強になり、誰もが称賛してくれる。

「そんな都合のいいことあるもんか」

　ダメな奴はどこに行ってもダメ。

　いきなりに優秀になるわけがない。

　それが現実であり、それを無視して夢想に浸るのは負け組だ。

　しかし。

　何度も負けて、それでも努力で勝利をつかむ作品なんて、ここではいちばん嫌われるジャンルには違いなかった。

　＊＊＊＊＊＊＊＊

　そんなある日、恢復の小説に感想が入った。

　評価は星五つ。はじめての最高評価だった。どうせ褒め殺しだろうと、いつものように訝った。しかしレビューの内容は、正真正銘のべた褒めだった。

「底辺が異世界で無双する小説ばかりの中、努力を重ね、強い者に頭を下げ、したたかに成功を掴み取る主人公に感服しました。

　努力を放棄し、タナボタばかりを求める作品と、それに自分を投影する読者どもには辟易としていました。この小説は社会を変える力になります。必ず」

　ほんとうに、あたたかい言葉だった。

　――――――――

　それからは、新しい章をアップロードするたびに、最高の評価が入った。

「本当に素晴らしい」

「これを評価しない奴はアホです」

「ありえないほどの興奮です」

　悪い評価も相変わらず多かった。しかし謎の同一人物からの高評価に釣られ、アクセス数が急増してゆく。そして、その人以外の好感も増えていった。恢復は、自分の小説の正しさをようやく実感した。