【3】変えるために何をするべきか

 恢復はいつもより早く起き、ご飯も多めに食べて、駅までの足取りも軽く、電車に乗った。駅の陰でガラスに映るのは少しいい顔だった。

 あの貧しい学生たちが、今日は外のベンチで集まっている。


「低レベルが低レベルで集まっている。何の向上心もなく、いまが楽しければそれでいいって考えている。そんな奴らを見返せる日がもうすぐ来るんだ」


 そして、やはり彼らの手にはなろう小説があった。


「誰もが、安易な方に流されてゆく」


 恢復は顔をそむけた。


「昨日のセミナーは驚いた」

「政府があそこまで酷い搾取をしているなんて」

「僕たちはいつ政府の横暴に殺されてもおかしくないんだ」


 物騒な、あり得ないような会話が飛び交っている。

 それを纏めているのは慈だった。


「でもこんな状況でも解決策はあるの」

「何? それは何」


 詰めかけるように尋ねる男子女子。


 こいつらには近づいてはいけない。

 いくら嘘捏造で固められたことであっても、奴らは感情で物事を判断する。

 真実は介在しない。

 こいつらを黙らせるのは、小説が本としてデビューしてからだ。

 そう思って恢復は、足早にそこを立ち去ろうとした。


「あ、差別主義者だ」


 しかし遅かった。

 慈が気付くと、たちまち取り囲まれる。


「僕は差別なんかしてないって何回言えば。海部さん」


 慈は明らかにムッとした。


「苗字で呼ぶのはやめてって言ったよね」


 恢復に慈は言った。


「苗字はその人の人格や個性じゃなく、家や出身地を現すものよ。人の才能や実力を無視して差別するための道具。だから苗字は不要なの」

「そんなわけ」


 反論しようとした恢復よりも、慈の後ろにいた男子の方が早かった。


「慈さん。ボク思うんだけど、ボクは自分の苗字は僕は好きだし、苗字は家族の証だと思うんだけど」


 それは恢復の言いたい言葉だった。

 慈はその男子を否定するわけでなく、諭しに掛かった。


「家族はそんな狭い世界の言葉じゃないよ。友達も、近所の人も、外国の人も、みんな家族だよ。地球の人が全員家族なら争いもないし、みんな平等で平和な生活が送れるのよ」

「そうだよね。そうだよね」


 男子は安心した。いままで小さなことに拘っていた自分が恥ずかしくなった。

 そして、世界が一つになることで、(理由は解らないが)自らの貧困が解消されるような気がして喜んだ。


「バカなことを」


 一人だけ声を上げたのは恢復だった。


「苗字はその人の歴史なんだ。人の成り立ちは突然始まったものじゃない。親とか先祖からの歴史が反映されるんだ。だから親や先祖のせいで、才能や努力が否定されることも、仕方ないことなんだ」


 しかしそれは彼らの怒りを増長させた。それを代弁したのは慈だ。


「やっぱり恢復くんは差別主義者だ!」


 慈は思い出して言った。


「この前SNSで同じ意見を見た! 苗字のことを書いたのはあなたでしょ」

「……そ、そうだよ」


 恢復が否定しなかったことに学生の怒りが爆発した。


「やっぱり! お前はレイシストだ」

「出ていけ! 大学に来るな」


 生徒の一人が石を投げてきた。


「暴力は嫌いじゃなかったのか!」

「これは暴力じゃない。間違った考えを正すための制裁だ」

「そうだそうだ!」


 次々と石が飛んでくる。

 慈自身は何もせずに、薄く笑って見ているだけ。

 またしても恢復は逃げ出していた。



 ********



 なろう小説の流行は止まらなかった。

 人生に絶望した中年の逃げ場所でしかなかったなろう小説だったが、貧困な若者の増加が書籍の売り上げを加速させていた。読者は希望を失い、現実に疲れ果てた末に、現在の境遇をひっくり返してくれる夢想の物語に心酔した。


 ――――――――


 いつものように外食で夕食を済ませ、ワンルームのアパートに帰る。講義の宿題を出来るだけ早く済ませてから、いつものように小説を書き込む。

 アルバイト漬けなのに、なぜか食べるものに困るような、正当な理由のない貧困を抱える奴らとは違う。

 スマホゲームに課金する必要はない。現実から逃げ出す理由もない。何も困らない生活は、恢復にとって当たり前の暮らしだった。

 彼は書き続けた。


「あいつらがいるから。底辺のままで底辺に留まり続けるあいつらがいるから。なろう小説を礼賛するあいつらがいるから、僕の小説は評価されないんだ」


 キーを打つ速度がどんどん速くなる。


「くそうくそうくそう」


 そして怒りに塗れた文章をアップロードする。

 しばらくして、いつものように感想欄に評価が入った。


 いつもの最低評価と、いつもの最高評価。

 しかしそれはいつもではなかった。


 謎の人物の書き込みが、恢復の視線を釘付けにした。


「私のクローズドSNSに来ませんか? あなたとはいろいろ話したいのです」

「嬉しいです。でも、ちょっと……怖いです」


 素直ですね。

 謎の人物はそう書き込んだ。

 恢復にとって、その人物が魅力的に思えて、贖えなかった。


 ――――――――


 二人だけのクローズドSNSで、恢復は小説の意見を貰うようになっていた。

 その人物は、恢復が大学生だと驚いていた。

 その年齢で国家の将来をこれだけ見据えていることに。


 その人物は政府省庁の役人だと語った。

 二十代だとも言っていた。


「今の社会は間違っている。本当に国家のことを考えている人を差別主義者と貶める。底辺が底辺のままで居たいがために、なろう小説のような世界に浸りきっている。このまま現実逃避が拡大すれば、この国は滅びてしまう」


 だから、底辺を必ず引きずり出して、救い出さなければいけない。


「でも、僕の言葉は、まだまだ届かないんだ」


 だったら読ませるようにしましょう。聞かせるようにしましょう。


「どうやって」


 それを実際に会って、確認したいのです。


「でも怖い。見ず知らずの人と会うのは」

「信用してほしいのです……社会を変革する最良の方法を、君に見せたいのです」

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