【4】魔窟を崩す者

 勉強嫌いで努力嫌いの底辺が頭の中で作り上げた、ニセモノの中世。

 そこでは、以前の数倍に増えた読者が、理由も根拠もなく主人公が最強になる過程に熱狂し、努力も頭脳もなく女性に好意を寄せられる状況に心酔していた。


 これが、掃き溜めか。


 自費出版になったことで、マスコミの作り出した流行に左右されない読者だけがここに集まっている。慈と要はそれぞれのアバターをまとい、読者と同化していた。


「慈さん? どこにいるんだ」


 たしかに同時にこの世界に入ったはずだった。要は探したが、数万の読者の歓声の中に、それぞれの存在は埋没していた。

 しかしそこで、街と外を隔てるハリボテの城壁が倒壊した。

 潰されそうになる読者に混じって、要が逃げる。

 この世界では、現実での重症もまるで関係がないはずなのに。たとえ本の中の世界でも、いや本の中に逃げ込んでいるからこそ、現実のような痛みは絶対に嫌だった。


 ――――――――


「いたぞ」

「性懲りもなく」


 読者たちが目敏く指差した先に居たのは、折れそうなほど細い剣を下向きに構えた戦士だった。いつものようにハリボテの家々を蹴飛ばして現れたのは、恢復だった。

 届く距離に現れた恢復に、要が驚いた。


「お前は確かに排除したはずだ。なぜここにいる」


 その言葉は、少し離れた場所にいる慈も同じだった。


 躊躇なく、次々と襲い掛かってくる読者。また返り討ちにしてやると高を括っていた読者だったが、以前の結果を覆し、鎧袖一触で屍を積み上げる。


「こいつ、まるで別人か」


 見覚えあるアバターが圧倒的な強さを見せつけることで、読者が戸惑った。


「お前のどこにそんな力がある」

「今まで逃げてばっかりだったくせに」


 要が怒鳴り、慈がバカにすると、恢復が答えた。


「確かに、僕は戦いに負けてからずっと逃げ続けていた。正体を特定されるんじゃないかと、お前たちが怖かった。個人情報が晒され、日常生活を失うこと。何より僕が小説家としてデビュー出来なくことを恐れていた」


 でもこのまま逃げていても、何も変わらない。

 だから僕は、戦うことにした。



 ――板野さん! 今までどこに行ってたんですか。


 アパートに籠っていたあの日、ついに壮哉からの電話があった。


「離島に転勤になっちゃって。ネットもロクに繋がらないし、やることと言ったら飲み会だけだし、上司には毎日奢らされるし。奢らないと一日中説教だし。カードローンも使い切ちゃって。督促を無視してたら島に怖い人たちが来てね。ははは」


「はあ。やっぱりこの人って」


 電話に出るんじゃなかったと諦めていた恢復に、雄武は明るく言った。


「まあそう言わないで。那賀くんがどんな事態になってるのか、知ってるよ」


 恢復は痛いところを突かれて、嫌な顔をした。


「僕は、僕の小説をこのまま終わらせたくないんだ」


 雄武は、これから恢復が聞きたいことを先回りするように答えた。


「それなら那賀くん。きみの小説をもっと有名にしようじゃないか」

「そんなことしたら」


 血相変える恢復に、雄武は続けた。


 出来るだけSNSで拡散して、底辺たちに炎上させる。そうすれば、恢復の小説は有名になり、多くの人に読んでもらえる。


 確かに商業的には、なろう小説以外には厳しい時代だよ。しかし、努力を重ねて成功ししてきた人たちは、その審美眼に叶った小説を熱望しているんだ。なろう小説と、そのなろう小説を称賛する社会に愛想を尽かせた、彼らを取り込む――。



「それから僕は積極的に小説を公開した」


 特定は怖かった。底辺どもの攻撃は凄まじかった。徹底的に人格を否定され、剣山のような数と鋭さの殺人予告がネットを埋め尽くした。それでも僕は諦めなかった。


「そうしているうちに、高評価が増えてきた。努力を信じる人が、僕の小説を見つけ、今までにないくらいの数で、論理的に褒めたたえたんだ。精緻で、決してご都合主義ではない、リアリティを追求した傑作だと」


 主人公が傷つく。負ける。そして努力しても簡単には勝てない。努力は無駄だと、周囲の人にバカにされる。それでも諦めずに自己を研鑚し、頭脳と経験を駆使して、圧倒的な敵に辛勝する。 


「潰しても潰しても努力系の小説が現れると思ったら……あなただったのね」


 慈の質問に恢復は頷いた。

 僕の小説に触発され、ほかの努力系の作品が次々とアップロードされたんだ。


「だったら、全力で潰さないとね」


 慈が歯ぎしりして、後ろを向いた。そこには、この世界を守るために集結した数万の読者が、剣ではなく、機関銃を構えていたのだ。


「今度こそ再起不能にする」


 絶対的な殺意が、ニセモノとはいえ中世であるこの時代に、時代を超越した兵器を持ち込ませた。横に並び、空の色の壁紙を張った壁の足場に昇り、完全に取り囲んだ数万の読者が、一斉に引き金を引いた。


 恢復は空中高く舞った。無数の銃弾が石畳のテクスチャを粉々に破壊して、白いポリゴンの地面を穴だらけにする。ある者は恢復の姿を追って空に、ある者は着地を狙って地面に。連続する弾丸がこの世界の家を、街を破壊しながら恢復を捉えた。


 しかし、恢復の目前で無数の死は弾かれたのだ。


 重厚な盾を構える数人の戦士。屈強な体を持つ戦士が、恢復を中心にして全方位を防御する。悉く銃弾は跳ね、それが流れ弾となって、攻撃する読者自身に襲い掛かった。苦しみもがき、次々とこの世界から読者が消えてゆく。


 盾の戦士たちが、瞬間に読者の目前に移動して、素手で殴りつけた。

 たった一発で、読者の群れがなぎ倒される。

 数か所で同時に、まるでドミノ倒しのように、数万の群れが浸食されてゆく。

 吹き飛ぶ読者が、街や草原や山や岩場のハリボテに次々と叩きつけられた。

 この世界が、ボロボロに壊れてゆく。


「どうしてなんだ」


 息絶え絶えで、夢の世界を破壊する悪魔だと言う読者を、戦士は見下した。


「現実の痛みは、こんなもんじゃないぞ」

「ここは、現実じゃないのに。痛みも苦しみもないはずなのに」

「さっさと夢を捨てろ」


 倒れた読者の襟首を掴んで、戦士は全力で殴りつけた。


「努力しないからお前らは底辺のままなんだ」

「なろう小説でお前らの暮らしはよくなったのか?」

「生活保護は本当に最低限だ。贅沢している余裕なんかないぞ」

「文句あるか? あるなら偉くなってみせろ」

「俺たちを潰せるような社会的地位になってみろ」


 たった数人が読者を煽りながらなぎ倒してゆく。

 数万の読者が次々と消滅してゆく。

 恢復が呆然として、そして尋ねた。


「あなたたちは、誰なんですか」


 爽やかに戦士は答えた。


「きみの小説のファンだよ」


 ほかの戦士が恢復のそばに立った。


「あなたの小説は本当に面白い」

「努力なしで成功はつかみ取れない。当たり前のことを当たり前に教えてくれる」

「いままでこんな小説が埋もれていたなんて信じられない」

「なろう小説なんかぶっ潰せ」

「底辺がのさばること自体がおかしいんだ」


 そう讃えられ、恢復は胸躍った。


「さあ、この世界にとどめを」


 余りの攻勢に圧倒され、その場から動けないままの慈が、はっと思い出した。


 努力系の小説が、急に復活してきたこと。しかも、なろう小説に反撃を開始したこと。彼らは、現実を放棄した底辺は底辺のままだと語った。大勢の一般人が賛同していた。正論で攻撃すると、底辺はは捨て台詞を残して逃げ出していた。


「このことなんだ」


 慈の視界の中で、恢復は逃げ惑う読者を背後から切り付け、そのプライドをズタズタに切り裂いていった。

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